ごきげんよう!ひとりです。
朝井リョウさんの『もういちど生まれる』を読んだので、今回はその読書感想文を書いていこうと思います。読んでいない方にも伝わるようにあらすじを紹介しながら話していくつもりですが、ネタバレも含むので、知りたくないという方はブラウザバックしてください。
『もういちど生まれる』
『もういちど生まれる』は5つの短編から構成される作品で、5人の主人公がそれぞれの物語を紡いでいく形になっています。登場人物は主に二十歳前後の若者たち。私がこの一冊を通してまず感じたことは、「二十歳前後の自己陶酔感」に対する恥ずかしさでした。嫌な言い方をすれば、「イキリ」ってやつです。自分の大学生の頃を思い出して、なんだかムズムズしました。高校生までとは違って、自分で自分の人生を選択するようになっていく時期です。自由を手に入れる代わりに、責任を背負うことになります。文字だけ見れば、もう一丁前の大人ですよ。だけど、何を勘違いするのか、この時期って「自由」だけにフォーカスが当たるんですよね。ある意味、無敵状態。マリオがスーパースターを拾ったかのような。プライドを脅かす奴がいれば、相手を一蹴したつもりの「ダサい」という言葉で精一杯に抵抗して、自分を守ろうとする。いわゆる「堅い理論武装とプライドの過剰包装」ってやつです。でもそれが正しいわけじゃないこともなんとなく知っているから、いよいよ強がっていられなくなると、自分の間違いを素直に認めて降参する。そんな時期。モラトリアムって言われている時期ですね。多分、ここが柔軟に軌道修正できる最後の時期なんじゃないでしょうか。間違えるのは恥ずかしいけど、それを認められない大人になってしまうのは、もっと恥ずかしい。いっぱい恥をかきながら、恥ずかしくない大人へと成長していくわけです。
あとで黒歴史になるかもしれない言動を、後先考えずに衝動的に繰り返す。それでも、目まぐるしく日々が過ぎていくもんだからいちいち振り返る暇もなく、間違いを犯していても気づかずに常に強がっていられる。そのうち、「自分はもしかしたら、大統領じゃないけど大統領みたいな、スゴイ何者かにでもなれるのではないか」と、過大で誇大な自信を抱いたりする。でも、いつかはスーパースターの効果が切れてしまうんです。
私がこの作品を読んで一番嬉しかったのは、「自分だけじゃない」とわかったこと。「二十歳前後の恥ずかしい過ちって、誰もが経験するものなんだ」と、そう思えることが出来た。お金持ちのあの子も、いつも調子の良いあの子も、真面目でGPAの高いあの子も、熱血体育会系のあの子も、美人で人気者のあの子も。みんなみんな、若気の至りと呼ぶべき恥ずかしい過去を人並みに抱えているんです。傍から見たら信じられないけど、完璧でロボットみたいな人間って実際にはいないんですよね。自分だけがダメ人間みたいに思える時ってあるけど、誰にでもダメ人間な時期はあるんだって、そう教えてくれるような作品でした。ちなみに二番目に嬉しかったのは、「ジョージ朝倉」という文字が目に飛び込んできたこと。大好きな作家さんの本に、大好きな漫画家さんの名前が出てくるなんて!!思わず鳥肌が立ちました。
ひーちゃんは線香花火
大好きな彼氏と、大好きな女友達と、大好きな男友達と、<私>。東京という広い世界で暮らしているけど、<私>の世界にはこの4人しかいない。でも、この4人がずっと変わらずに幸せならそれでいい。そんな女の子が主人公の物語。だけどやっぱり現実は、そこまで完璧で理想的で綺麗ではないんです。ヤキモチをやいてくれない彼氏への不満、男友達で満たされようとする下心、距離感が近すぎていつか壊れてしまいそうな女友達との友情。そういう不安定な要素も少なからず付いてくるんです。
この話の主人公は、「常に安心していたい、不安があればすぐにでも取り除きたい」という欲求から、無意識に利己的な行動を取りがちです。自分の都合で他人の気持ちの重さを無かったことにしようとします。例えば、彼氏が不在の間に男友達との浮気を図ってみたり、女友達が自分に対して恋心を抱いていると知ったら「そんなのは大したことじゃない」と言ったり。彼氏からの愛情が足りないと感じて、他の男で満たされようとするけど、彼氏はちゃんと主人公のことを愛していたし。男友達が自分に好意を寄せていると勘違いして、浮気相手として利用しようとするけど、それはただの自惚れだったし。自分に対する女友達の恋心に気づいたときは、その気持ち自体を無かったことのように、透明なもののように扱う。そうすればまた、元の世界に戻れると信じて。「不安」に人一倍敏感で、「不安」を拭おうとする行動力が他人より旺盛だけど、その衝動から間違った選択肢でも突き進んでしまう。なんだか生き急いでいますよね。心配性な私はなんとなく、主人公の言動に納得してしまいます。
<私>は、「自分の世界がいつかは変わりうる」ってことを受け入れられないんですよね。線香花火だっていつかは消えて落ちてしまうわけですが、この子は、いつ消えてしまうかわからない光に不安を覚えて、最後には必ず消えてしまうという事実をなかなか受け入れられないんです。「幸せなのに幸せなことが怖い」って気持ちと同じようなものかなと思います。幸せというのは、いつか終わってしまう恐怖と一緒に訪れるものです。自分の世界が変わってしまうことにひどく怯えるくせして、軽率に自分の世界が壊れてしまうような行動を取る。その矛盾こそが、この作品の醍醐味じゃないでしょうか。ただ、この主人公は、どんな世界でもなんだかんだ適応できる人間だと思います。4人だけの世界はやっぱり狭くて、もっと依存先が増えれば、価値観なんて簡単に変わってしまうかもしれませんね。
燃えるスカートのあの子
主人公は「THE・大学生」な男の子。何も考えていないように見えて、実は空気を読むのが得意で、でも心の中は劣等感やジェラシーでドロついている。一見陽気で爽やかな、言ってしまえば普通の人です。この主人公は、普通じゃない人のことが気になってしょうがないんです。好きな女の子は、読者モデルをやっている大学でも少し有名な美人のクラスメイト。鼻につくのは、芸術家気取りの大学生。ただ、映画サークルで学生映画を撮っているという男子学生とは、心の中でなんだかんだ言いながらも交友を続けている。バイト先にはダンススクールに通うダンサー志望の女の子がいるけど、どうやらこの子のことは、「芸術家気取りの大学生」とは別物だと評価しているらしい。「畑が違うから脅威にはならない」と思っているのではないでしょうか。(それでも劣等感は抱いてしまうみたいですが。)「同じ大学生のくせに。何者でもないくせに。何者かであろうとする人間は、自分を見下している気がして、いけすかない。」そんな被害妄想に近い感情を抱いている主人公。特に何をされたわけでもないのに、夢を追いかける大学生のことを無差別にボロクソに言うんですよ。この話を読んで真っ先に思い浮かんだのが、中島みゆきの『ファイト!』。「闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう」って。でもこれ、他人を否定しないと自分のプライドを保てないという、人間ならあるあるの生理現象なんですよね。一種の防衛本能みたいな。ちょうど最近何かで見たんですけど、自分が幸せじゃない時って他人の幸せを素直に喜べないものらしいです。人間とはそういう生き物なんだと思います。この物語の主人公も、「自分が何者でもないことを暴いてしまいそうな存在」が怖くてしょうがないんですよ。
この主人公ね、ダンサー志望の女の子が映画サークルの男子学生のことを嘲笑する場面で、思わず男子学生の肩を持って女の子に説教を垂れちゃうんです。「自分の目で見てみないと、良いか悪いかなんてわからないじゃん」って。まさにブーメラン。自分だって、芸術家気取りの大学生のことを自分の目で見もせずに否定していたわけで。綺麗なダブルスタンダードです。他人の行動に関しては客観的に判断して的確な評価が下せるのに、自分の行動に関すると、それと平等に裁くことが出来ない。これもまた、人間の弱いところ。でもまあ、一緒になって馬鹿にしたり悪口を言ったりはしない点、救いがありますけどね。薄々、自分の抱く感情の不合理さに気づき始めている様子です。
最後には、好きな女の子(読モ女子大生)の恋の相手がとある芸術家気取りの大学生であると発覚するわけですが、この話の要になるのが彼女の漏らしていた言葉。「好きな人が言うなら、自分のファッションなんて簡単に変えられちゃう」って。主人公にとって、この読モの女の子はすでに「何者か」であるんですよ。そんな何者かである彼女のファッションを変えてしまうほど、影響力を持つ人間。それもまた、「何者か」なんですよね。この女の子を好きになったのもきっと、この子を好きなわけではなく、「この子を彼女にできる自分、つまり、何者かである自分」を手に入れたかったからではないでしょうか。最初から最後まで何者にもなれなかった主人公ですが、「闘う奴の唄を笑わない人間」にはなれるような予感がしました。
僕は魔法が使えない
この本の中で一番好きな話です。美大生の男の子が主人公の物語。見た目はちょっとチャラいけど、中身はピュアな普通の男の子。亡くなった父のことが大好きで、父の作ったカレーが大好物だった。その一方で、母との間にはわだかまりがあります。父が亡くなって一年も経たないうちに、母が再婚を考えているという男性を連れてきたんです。その男性は普通で良い人だったけど、その人が作ったカレーはやっぱり受け入れられなくて、反射的に拒んでしまいます。それから、何度も何度も、母はカレーを作るようになった。父の味を作れるようになれば、息子に再婚を受け入れてもらえる。そう思ったらしい。作中にもあったんですけど、これって誰が悪いとかじゃないんですよね。良くないタイミングで良くないことが起こってしまった、それだけのこと。
この話の主人公は、他の話の主人公と比べて、ちょっと綺麗すぎるかなって印象を覚えました。黒歴史になってしまうような恥ずかしい過ちは犯していないんです。この子の抱く若さゆえの「黒い感情」というのが、自分の外側にある問題に起因するんですよね。この子は悪くなくて、理不尽な出来事に対する自然な感情とも言えるでしょう。強いて言えば、母親の再婚を外面だけでも受け入れたっていいんじゃないかってことくらい。もう子どもではないから。それでも、この子の気持ちを尊重したくなるような複雑なシチュエーションです。個人的に、この本のテーマを一言で表すと、「通過儀礼」だと思っているんですけどね。子どもから大人へと生まれ変わる、まさにその瞬間を描いていると。じゃあ、大人になるってどういうことなのか。私は、「本音を隠して建前を上手に演じられるようになること」だと思います。自分に非はないけど、理不尽なことに対して自分の都合を自分の中に閉まって、相手に歩み寄る。「母の笑顔がもう一度見たいから」と、出来なかったことが出来るようになる瞬間、主人公は大人になれたわけです。大人になるって、良いこともあるし、悪いこともあります。理不尽なことでも受け入れるべきだっていうのは大人の悪い面だけど、未来を良くするために我慢することが出来るっていうのは大人の良い面なのではないでしょうか。
森七菜ちゃんがカバーとして歌っていた『スマイル』って曲に、「いつでもスマイルしようね、すぐスマイルするべきだ、子どもじゃないならね」って歌詞があります。最近では男尊女卑とか時代錯誤とか、そういう批判を浴びがちな歌なんですけど、「子どもじゃないなら本音を隠して上手く立ち回れるよね」というメッセージ性は今回の話と通ずるかなって思います。どうしても、男性が女性に向けて歌っているという歌詞の構図から、男女の二項対立に飛び火しちゃうんですけどね。小難しいことを考えないで聴けば、もっともらしい歌詞になっています。作中では描かれていなかったけど、これから先もし間違いを犯すことがあったとしても、この主人公ならちゃんとそれを正せる気がします。そういう未来がちゃんと見えてくる。人間の持つ汚い性質がほとんど見られなくて、綺麗すぎるという印象を抱いた主人公ですが、ただただ素直で賢くて優しい子なんです。癒される話でした。
もういちど生まれる
双子の妹が主人公の話です。姉は、読者モデルをやっているちょっと有名な美人さん。双子なのに、似ているようで似ていない。容姿も、姉より少し劣っている。自信満々な姉に対して、劣等感でいっぱいの妹。そんな主人公です。ただ、化粧をすれば周りを騙せるくらいにはソックリらしいので、過小な自己評価なんだと思います。姉の方が可愛くて、姉の方がチヤホヤされて、姉の方が世渡り上手で。すべてが「姉基準」になっているんです。姉が推薦で良い大学に行ったから、それより偏差値の高い大学に行きたくて、二浪中。この子は「一人の女の子」としてじゃなく、「姉の妹」として生きています。自分の人生の主役が、自分自身ではなく、姉になってしまっているんです。別に頼まれたわけでも、強制されたわけでもないのに。
でも、こういう卑屈な心情っていうのも、人間あるあるですよね。姉が悪いわけでもないのに、「うらやましいから、だいきらい」なんです。あの子みたいになりたかった、あの子みたいじゃなくてよかった。人間って、自分の上を見て不安になり、自分の下を見て安心する生き物です。理に適っていないとわかっていても抱いてしまうこの感情は、もう本能なのでしょう。自分より上の世界(上だと思い込んでいる世界)のことは想像がつかなくて、「羨ましい」とか「ズルい」とか、「それに比べて自分はなんて下らない存在なんだ」とか、勝手にネガティブになります。だけど、姉にも姉の事情ってものがあります。他人に見せたくない面、見せられない面。そういう人間らしい面もちゃんと持ち合わせていて、それを隠すのが他人よりも上手ってだけ。やっぱり、ロボットみたいに完璧な人間なんて存在しないんです。何もしなくても美人の姉が頑張ってオシャレをするのには、他人には言えないような恥ずかしい経験や泥臭い経緯があるのかもしれません。上手く行っているように見える人は、上手く行っているように見せるのが上手なだけで、きっと家に帰れば人並みに一人反省会を開いているのではないでしょうか。
この主人公はきっと、姉のことが羨ましくて羨ましくて、何度も姉になりたいと願ったことでしょう。でも最後には、「姉じゃなくて自分じゃないとダメな理由」をちゃんと見つけます。想いを寄せている予備校の講師から、誕生日を祝ってもらえたんです。姉になって姉と人生を交換していたら、経験できなかったことです。誰かを好きな気持ちも、好きな人に祝ってもらえる自分も、全部かけがえのないもの。自分が自分じゃないと意味がないもの。それに気づいた主人公は、姉ではなく、妹としての自分でもなく、世界にただ一人の自分を生きるようになります。他の誰でもない、自分の人生、自分だけの人生を歩んでいくんです。これが「もう一度生まれた」ってことです。蝶になる前の蛹みたいに、この子がとんでもなく魅力的な女の子へと変身していく姿が安易に想像できる。最初は見様見真似で羨ましく見える人をお手本にしながら、段々と己にしかない魅力に気づいて、ようやく自信を持って自分らしい人生を送れるようになる。羨ましく見える人もみんな、そうやって生きてきたんです。変われない人もいる中で、変わることの出来たこの主人公の未来が、勝手ながら楽しみだなって思えました。
破りたかったもののすべて
ダンススクールに通う、ダンサー志望の女の子が主人公。天才と努力家。自分にできないこと、自分にはなれない何か。それが出来てしまう誰か。芸術の才能がある画家志望の兄と、読者モデルをやっている高校時代の友達と、ダンススクールで誰よりもダンスが上手いあの子。生まれながらの才能に恵まれた人たちのことは羨ましいと思うけど、何の対価を支払うこともなく得られたと思われるそれらは、別に欲しくない。「天才は努力なんてしたことがないだろう」と勝手な想像で相手を否定して、自分を正当化する。一見氷のようにクールに見えるけど、心は不純物がドロドロと溶けていて熱い。そんな女の子が主人公の物語です。世の中を知った気になって、自分を、他人を、自分に都合のいい物差しで測る。そうやって自分を肯定して生きてきた主人公。というより、そうしないと自分を肯定できなかったんだと思います。どんなに努力しても、天才には追い付けなくて、栄光の中にいた過去の自分すら超えられない。気を抜くと「惨めな自分」という現実が襲い掛かってきそうで、精一杯気を張っている。だけど、努力とは無縁だと思っていた天才たちが、自分の知らないところで自分よりも努力していた。そう知った時、自分を支えていたもののすべてが一瞬で崩壊します。この瞬間、主人公は、情けなくて恥ずかしくて居たたまれなくて、消えてしまいたいと思ったことでしょう。自分に都合のいい物差しで測ったツケが回って来たんです。
この子は、理想の自分を本当の自分だと思い込んで、自分をも騙して生きてきたわけです。だけど、いつかはボロが出ちゃうもの。理想とはかけ離れた現実の自分が露わになった時、子どものままでいるか大人になるか、選択の機会が与えられます。まさにイニシエーションです。このまま誤魔化し続けるか、現実を受け入れるか。この選択次第でその後の生き方が変ってきますね。恥を知った主人公はそれまでの自分と決別するために、その象徴であるかのように描かれた兄の絵を破ります。兄が〈私〉を思い浮かべて描いたらしい絵には、まるで理想の自分そのものが写し出されていた。でもそれは化かした姿であって、偽りに過ぎないから、破る。今度は自分にも兄にも、等身大の自分を曝け出すと決意して。三島由紀夫の金閣寺みたいですよね。悪意でやったことじゃないんです。騙し続けていた兄への贖罪、自分に都合のいいように世界を測ってきたことへの戒め。変わらなければいけないと気づいて、その変化を形に残そうとした結果が、「兄の絵を破く」だったわけです。まあ、「お兄ちゃんが可哀想じゃん」って思わずにはいられないんですけどね。人間は自分の「感情」と決別するとき、目に見える何かに重ねて壊さないと、決別できたことを信じられない生き物なんですよね。
この物語の主人公は、格好悪くて、ダサくて、格好良かったです。理想の自分と比べると、現実の自分は格好悪い。でも、現実の自分を見て見ぬふりして、理想の自分があたかも本当の自分であるかのように振る舞う姿はダサい。だけど、ダサいことをしていると気づいてから、格好悪い自分をありのままに受け入れて生きていく姿は最高に格好良い。誰にでも恥ずかしい過ちの一つや二つってあるものです。「恥」という、法律では裁いてもらえない罪は、この主人公のように償っていくのが一番イケている気がします。「間違い」って格好悪くて恥ずかしい気持ちになるけど、それを受け入れられない方がダサくてずっとずっと恥ずかしい。この主人公を見ていると、失敗も怖いもんじゃないなって思えてきます。「どんなに格好悪い姿を晒したとしても、格好良く返り咲く方法」というものを教えてくれたんです。そういえばこち亀で両さんも、「人間!つまずくのは恥ずかしいことじゃない!立ち上がらないことが恥ずかしいんだぞ!」って言っていました。
最後に
人生を花火に例えた時、線香花火のような人生より、打ち上げ花火のような人生がいいなって思ったことがあります。ドカンと一発華やかに。一瞬で散ってしまうけどその一瞬にすべてを賭けて、とびっきりに濃い時間を贅沢に過ごせたら、それでいいなって。私にとってその一瞬は、大学生の頃だったと思います。当時は、それはもう幸せでした。それと引き換えに燃えカスとなった今の人生がとんでもなく理不尽に感じて、ネガティブな感情が無尽蔵に湧いてくる日々を過ごしていますが、一度自分が願ってしまったことが叶った結果なのかもしれません。声と引き換えに人間の足を手に入れたアリエルが、「声が出ないなんてありえないんだけど!」と言っているようなものですね。まあ、パワハラ被害とか病気とかが理不尽であることには変わりないんですけどね。ただ、打ち上げ花火のような人生を送りたいという価値観は今も変わらないので、今が燃えカスみたいな日々でも仕方ないかなって思えるようになりました。今がカスであればあるほど、打ち上げ花火のようだった時間が鮮明に輝くわけですから。カスなりに前向きに生活していこうと思います。