デスティニー

ごきげんよう。ひとりです。運命と聞いたら何を思い浮かべますか。ベートーヴェンですか。鎌倉ものがたりですか。

私はスピッツの『運命の人』を思い出します。バスの揺れ方で人生の意味が解った日曜日。よくわからないけど、この始まりの歌詞がすごく好きです。あとは宇多田ヒカルの『光』も運命って感じがします。キングダムハーツみたいな異世界感ある曲なんだけど、よく聞くと歌詞はちゃんと地に足ついているんですよね。期待しちゃうけど期待しすぎず、みたいな。まあ考えすぎずに美味しいご飯でも食べようってことです。

 

ノットニートバットニーチェ

大学でニーチェを少し研究していました。「神は死んだ」の人です。神が死んだっていうのはキリスト教の話なので、多くの日本人にとっては何のことやらって感じですよね。キリスト教徒にとって神というのは自分を救ってくれる象徴で、人々の生きる意味にもなっていました。その神が死んだとなると、あとに残るものは虚無。ニヒリズムニーチェは、虚無になった世界から生きる意味を新たに模索しましょうと言いたかったんです。そうしてたどり着いたのが「生の肯定」。これは反出生主義への対抗です。

 

運命愛

人生でこの上なく素晴らしい瞬間に巡り会えたら、何度でも戻ってその瞬間をまた味わいたい。そんな風に思いませんか。きっと辛いこともあったと思うけど、そんな素晴らしい瞬間を準備してくれたことに変わりはないので、そこに至るまでのすべてを愛しましょう。ニーチェがそう言っていました。私はニーチェのこの言葉が好きです。要は、「素晴らしい瞬間」を繰り返すとき、そこに至るまでにあった辛い経験も再度通って行かないといけないけど、それがあってもなお戻りたいと思うでしょ?それなら辛い経験をも愛していることになるよねって話です。合理的かどうかは置いといて、カタルシスを得るってこんな感じなんじゃないかな。

さらにニーチェは、人生にどんなことが起きてもそれは必然的にそうなったのであり、その必然性を美しいものとして愛しましょうと言っています。美しいかどうかはわかりませんが、ちょっと決定論みたいですよね。運命として決まっていたことなんだから、どんなことでもすべて受け入れて、自分の人生を自分で肯定してあげましょうってことです。これを「運命愛」といいます。なかなかここまで達観していられないですよね。運命愛を実践できる人は超人と呼ばれるらしい。

 

トンネルの中

なんでニーチェの話をしたかというと。大学卒業までは辛いこともいっぱい経験したけど、自分の人生に誇りを持っていたんです。選んだ道に間違いはなかったなって。でも新卒で入社した会社は、もう新人研修の時点で「あ、間違えた」ってなって。そこから先は素晴らしい瞬間なんて一切なく、どんどん堕ちていくばかりでした。でね、ニーチェは素晴らしい瞬間に至るまでの話をしていたけど、素晴らしい瞬間が過ぎた後ってどうするんだろうって思ったんです。きっと「これから先に素晴らしい瞬間が待ち構えているはずだから、それまでの辛抱だ」って考えるべきだったんでしょうけど、どうしてもそれが出来なくて。辛いものは辛い。この時はニーチェのことがちょっと嫌いになりましたね。

流石にまだ、会社員時代の辛い思いを繰り返してもいいよ!なんて言えるような「素晴らしい瞬間」には出会えていません。ただ、わかったことが一つあります。辛い時は辛いという気持ちでいっぱいになるのでそれが一生続く気がしちゃうけど、そんなことないです。まさにトンネルと同じ。トンネルの長さはそれぞれ違うけど、出口が必ずあります。出てすぐに「素晴らしい瞬間」が待っているわけではないけど、「素晴らしい瞬間」を期待できるくらいには辛い気持ちから抜け出せるときが来ます。絶対に。なので、やっぱりニーチェの言っていることを信じてみてもいいかなって思うんです。

 

 

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最後に。実存主義に倣えば、人間は意味もなく生まれてくるけど、生きている限り生まれてきた意味を自由にこじつけられる生き物です。例えば「君を守るため、そのために生まれてきたんだ」とかね。「ドラゴンボールを読むために生まれてきた」でもいいです。生きている時間があればあるほど、生まれてきた意味をたくさんこじつけていけるので、死んじゃダメっていうよりは生きている方が得するんじゃないかって思います。トンネルが長すぎて諦めたくなる時もあるかもしれない。でも最後は時間が助けてくれます。時間は万能です。時間があれば抜け出せないトンネルなんてないし、生きる意味もたくさん探せる。伊達に100年あるわけじゃないみたいです。

以上、ひとりごとより。