ココロの問題。

君にジュースを買ってあげる

アンアンアン!アンアアンアン!

ごきげんよう。ひとりです。

最近はケロロ軍曹にハマっています。子どもの頃に見ていたアニメ、懐かしいです。今見ても面白い。ついついU-NEXTに再加入してしまった。高いんですよね、U-NEXT。私はケロロ軍曹で初めてグループ魂を知りました。もしかしたらクドカンに触れた最初の作品かも。『君にジュースを買ってあげる』「恋ってやっぱりギブアンドテイク。求めてばかりじゃ切ないね。」って歌詞の意味が、理解できる年齢になりました。子どもの頃はよくわからなかったけど、ギブアンドテイクの概念を教えてくれた曲です。ギブしてばかりでも、テイクしてばかりでも、ダメ。人間関係において基本的で重要な、でも、言語化する機会がなかなかない概念。そんな大事なことを、子どもたちの心に残るように、面白楽しく歌ってくれています。大人になった今でも歌詞を鮮明に覚えているんだから、英才教育みたいなものですね。大好きなコンテンツです。


www.youtube.com

ちなみにグループ魂のドラマーって、三宅弘城さんなんですよね。最近知りました。『不適切にもほどがある!』でタイムマシーンを開発した人です。バックトゥザフューチャーの人。ドラムを叩いている姿がかっこよくて痺れます。あんあんあん!あんああんあん!のところで手を振りたくなります。笑顔になれるので、見てみてください。

 

くるっと・まわって・いっかいてん

た~らこ・た~らこ・た~っぷり・た~らこ。昔、キグルミって流行っていましたよね。キューピーのCMソングを歌っていた二人組の女の子たち。ケロロ軍曹のEDで『くるっと・まわって・いっかいてん』って曲があるんですが、キグルミが歌っていました。全てが懐かしい!この曲、歌詞がなかなか秀逸で、いろいろ考えさせられます。例えば、「美味しいの反対は食べたくない」とか、「偉い人の反対は偉そうな人」とか。“反対”にもいろいろあるんですよね。「美味しい」の反対は「不味い」ではないし、「偉い人」の反対は「偉くない人」ではないって、そう歌っているんです。

「大大大嫌いって、ちょっと好きなこと」この歌詞を聴いて最近考えていたことがあります。私は、すべての物事は「縁」だと思っています。縁が切れてしまうこともあるし、縁を切ることもある。切れてしまった縁が再度繋がるのなら、それもまた、「縁」ということ。まあ、自分から縁を切るような相手とはもう一生会いたくないんですけどね。縁を切る場合、その関係性は二つのパターンに分類できると思います。一つは、仲良くなる前に合わないことを察して離れる場合。もう一つは、仲良くなった後に合わないことを知って離れる場合。後者は、「好きだった相手を嫌いになった」と言い換えてもいいかな。後者の場合について、最近大事なことに気づきました。例えば、私はよく超バイヤ人の話をするけど、かつては好きで仲良くしていた相手です。今となっては嫌いを乗り越えて、無関心の域にあります。嫌いになってからは、超バイヤ人と過ごした時間や交わした言葉、そのすべてを否定してきた。すべてが許せなかった。でも、楽しかった時間や嬉しかった言葉が、多からずともあったわけで。好きだったけど嫌いになって縁を切った相手の、好きだった記憶まで否定しなくてもいいかなって、そう思えるようになりました。大大大嫌いだけど、ちょっと好きなところがある。まあ、縁を切るに至るっていうのは相当嫌なことをされたって時なので、許せない気持ちは少なからず残ってしまうものです。許せなかったから縁を切ったので。私自身、この考え方を自分の中で許容するまで、年単位で時間がかかりました。無理に「嫌い」をやめなくていいです。「嫌い」って「好き」を通さないと見えないものな気がします。相手を知らないと「嫌い」って感情にはならない。相手を知らずに「嫌い」という感情を抱いているなら、それは「不快」の間違いなんじゃないかな。なんか言葉遊びみたいだけど。好きだから相手を知りたいと思って、相手を知ってしまったから嫌いになるんだと思います。

 

嵐の曲で『Hey Hey Lovin' You』という歌があるんですけどね。その歌詞に「好きだった去年の服を着る気しないのは、少しずつ自分のことが見え始めたから」ってあって、これも子どもの頃はよくわかんなかったけど、今ならなんとなくわかる気がします。これはどんなことにも言えて、人間関係も同じようなものだと思う。人間を服と同等にモノとして見ているんじゃなくて、ここで注目したいのは感情の部分。好きとか嫌いとか、合うとか合わないとか、そういうニュアンスって株価のように変動するものなんですよ。時間という巨大な生き物の体内で生きているすべてのものは、老いて、古びて、色あせていく宿命なんです。好きだった何か。好きだった誰か。好きなものが移り変わっていくのは、服にしろ、人間関係にしろ、自分の価値観が移り変わっているからで、それは今の自分が自分らしく生きていることの証拠でもあると思う。何にしろ、別れっていうのは悪いことばかりじゃないです。ちなみに私は、好きだった服を捨てるか悩んだとき、その服を着た自分の姿が写真に残っているかどうかで判断します。写真があれば、その服を好きだったという証拠が残るので、捨てても大丈夫かなって思えます。私にとっての超バイヤ人も一緒です。大大大嫌いで許せなかったけど、ちょっと好きなところを、それだけは肯定してあげてもいいかなって思えた時、嫌いが無関心になりました。楽しかった時間や嬉しかった言葉だけ、心に残っています。

 

 

最後に

ブログの投稿をサボっていたら、色んな感情が心の中で渋滞を起こしてしまって、危うく気が触れそうなところでした。定期的に書かないとな。頭の中で考えているだけだと、あれやこれやと色んな感情が混ざってしまって、禍々しい何かが生み出されてしまうようです。ここ数週間、自分を含めたすべての人間をほんのりと嫌いになりました。理由も意味も特に見当たらない。自分でも怖いです。なので、頑張って投稿します。

f:id:n_project:20240416225906j:image

ひとりごとより。/『少女は卒業しない』朝井リョウ