memo.働き方の哲学

ごきげんよう、ひとりです。

最近、『働き方の哲学』という本を読み始めたんですけど、これがなかなか面白くて。結構大事なことを学べるので、ところどころかいつまんで紹介していこうかなって思っています。まあ自分のための思考整理兼リマインドみたいなものなんですけどね。なので、何日かはこの『働き方の哲学』に関する話題が続くかなと思います。

 

自己分析

やっぱり就活で一番大事なのは「自己分析」だと思うんですよね。この考えは学生の頃から今に至るまで変わっていません。「誰が何と言おうが、自分はこういう人間だ。そう自信を持って言えるようにするための作業が、自己分析である。」学生時代、友達がそんなことを言っていました。最初は緊張した面接も、「誰が何と言おうが、私はこういう人間です。」と自信を持って言えるようになった時、全く緊張しなくなったとか。かっこいいですよね。なんだか自己分析をやりたい気分になってきませんか。私はなります。そしていつしか自己分析大好きマンになってしまいました。

それでね、今読んでいる『働き方の哲学』でも、やっぱり自己分析は大事だなって思わされることばかり書いてある。例えば、「仕事とは、“能力”ד想い”=“表現”を生み出すことであり、顧客は自分のこの“表現”を成果として買っている」って書いてあって。自分で軸を決めて物語を紡ぎ表現を重ねていく。これが“仕事”だとここでは述べられているんです。知識・技能(“能力”)はあくまで仕事をする上での素材であって、個人の行動特性と思考特性、つまり“想い”こそが素材を生かす力となり成果につながるらしい。ちょっと話が逸れてしまったんですけど、この「軸を決めて物語を紡ぎ表現を重ねていく」っていうの、まさに自己分析の作業みたいだなって思って。どんな軸でどんな物語でどんな表現になるかは、その人の行動特性思考特性によるところとなり、そうして出来上がった成果を面接で見せる。こんな感じ。まあ就活って私という人材を商品として売り出す場なので、少なからず仕組みは通ずるわけです。私の能力は現在の時点で変わりようのないものですが、どうやって売り出すかはいくらでも方法があって、それを見つけるための自己分析になるんです。言い方を借りると、“想い”と“表現”の数値を出来る限り最大化する作業が自己分析ってことになりますね。

あとは、「マネジメント」に関して説明されているページがあって、これも自己分析に生かせそうだなと思いました。そもそもマネジメントとは、「物事を自分の意図のもとに手なずけること。」とありました。物事に振り回されず、流されず、物事の主人になること。この「物事」の部分を「就活」と言い換えた時、「就活を自分の意図のもとに手なずける」となるわけで、そのためには自分の意図を明確かつ確固たるものにする必要が出てきます。そこで、やっぱり自己分析が大事って結論になるわけです。多分、私は他人の言動に良くも悪くも影響を受けやすくて、ちょっと気を抜くとすぐ自分の意図も軸もブレブレになっちゃうから、だから自己分析がこの上なく重要になってくるんですよね。これからも自己分析命でやっていきます。

 

セレンディピティ

セレンディピティって知っていますか。恥ずかしながら私は今日初めて知った概念なんですけど、「偶然の中から幸福をつかまえる力」のことを言うらしいです。世の中には待っているだけの偶然じゃなく、呼び寄せる偶然というものがある。これがセレンディピティそれまで無意識だったことがある時を境に意識の対象となり、意識し始めたらあら不思議、日常の中でそのことに関する情報が次々に入ってくるようになった。なんとその中には幸福(チャンス)も紛れ込んでいた。なんて感じ。面白いでしょ。私はなんとなく『アオハライド』の双葉ちゃんと菊池くんの会話を思い出しました。修学旅行の行き先が長崎に決まってから、長崎の情報をよく目にするようになった気がするって話。「“いま”“ここに”幸運の出来事の素は飛び交っている。それをつかまえられる、チャンス感度の鋭いラジオになろう。」そう書いてありました。意識のアンテナを立てることでチャンス感度は上がる。とどのつまり幸運をつかむ準備をしておきましょうってことですね。

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取り急ぎひとりごとまで。/『草枕夏目漱石

memo.人生のルール。

 ごきげんよう。ひとりです。

最近、目標にトライアンドエラーを掲げています。新しいことにおいて失敗は怖いけど、まずは飛び込んでみて実態を知る。実態を把握したら一度引き上げて作戦を練る。ここでは実を結ぶことを目的としていないので、失敗が前提の挑戦ということになりますね。まさにトライアンドエラー。個人的に完璧主義な面があるので、このエラーという名の失敗が怖くて、足が竦むことが多いです。でもね、机上や脳内で論を捏ね繰り回していても恐怖が増すだけですからね。それに、トライして実態がわかってくると、「なんだ、そんなに怖くないじゃん」って思うものばかり。よく漫画やアニメで敵地に潜入する際なんかも、とりあえず飛び込んでみて試行錯誤していますよね。H×H蟻編のノヴさんとか、BLEACH尸魂界編の一護たちとか。まあ一護たちは行き当たりばったり感が否めないけど。私も彼らを見習って、これからどんどんトライアンドエラーしていこうと思います。

 

トライアンドエラーと話しましたが、トライした先でとんでもないエラーに直面することもありますよね。人生って。想定していないエラーに巻き込まれると、雁字搦めにされて動けなくなってしまいます。こうなるともう絶望です。そうなってしまう前にある程度の予測と対策が必要だなと思って。こう来たらこう対処する、みたいな。マニュアルみたいなものですね。こんな感じで、人生のルールを自分なりにつくっていこうと考えました。これがなかなか難しいんですよね。法律もそうですが、ルールづくりって「いかに経験してきたか、いかに想像できるか」が肝になります。世のルールたるものをつくる人ってすこぶる賢いんだなと身にしみて思い知らされる今日この頃です。

そんな私ですが、一つだけ思いついたルールがあります。それは、「互いの信頼関係を悪用して心理的な駆け引きを持ち掛け、自分を支配しようとしてくる人間がいたら、それがたったの一度であったとしてもそいつは信用しない」ということ。例えば、離婚をチラつかせたり、ケアの放棄を匂わせたり。信頼関係の破棄を簡単に駆け引きの材料として持ち出し、主導権を握り他人を操作しようとしてくる人間は、一度でもそれをやった時点で信用に値しません。これは相手の心を動かす力のない弱い人間が使う卑劣な手段だなって思います。一度でもこんなことされたら、信用の糸がブチって音を立てて切れるくらいの行為です。こういう信頼関係の破棄は、日々の安定した生活を脅かすことになるので恐怖を覚えるかもしれませんが、そんな卑劣な人間の言いなりになる方がよっぽど怖いです。きっと一生続くだろうから。リボ払いみたいなものですね。こういうことは当事者になってから考えるのでは遅いので、先に決めておこうと思った次第です。

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取り急ぎひとりごとまで。

メモ。Don't Stop Me Now

ごきげんよう。ひとりです。

Queen『Don't Stop Me Now』最近のマイブームです。よくこれを聴きながらお風呂を掃除しているんですけど、不思議とお掃除が楽しくなってくるんですよ。今すっごく楽しいんだから、誰も邪魔しないで。この最高の時間を止めないで。そんな曲です。そんなに楽しい時間って一体どんなだろう。考えるだけでワクワクします。なんとなく聴いているだけなんだけど、思わずつられて、人生が猛スピードで楽しく回っていけばいいのに。そう思いながら聴いています。でも本当に、聴いているだけでこの曲みたいな人生を送れそうって思えてくる、エネルギーに満ち溢れた音楽です。

今日は、大きく言うと「自由」小さく言い換えると「縛られない」をテーマに話していこうと思います。

 

みんなと一緒

突然ですが、「これから海外で生きていかなきゃならない」ってなった時、何を思いますか。やっぱり、まずは不安や緊張を覚えますかね。私はその次に、“ワクワク”が来ます。従来のしきたりから抜け出せる開放感。執着することもなく執着されることもない新しい環境。誰にも邪魔されない、自由な人生。そんなことが思い浮かびます。実際は差別問題に直面することもあるんだろうけど、そもそも前提として文化や言語の違いがあるから、そこまで傷つかないで済むかもしれない。前にも“ひとりごと”で、「日本でネット炎上するのと、海外でネット炎上するのだったら、後者はあまりダメージ受けないかも」って話した覚えがあります。あまり難しい話をするつもりはないので一旦まとめると、日本で日本語を使う日本人として生きるということは、日本の常識、日本の固定観念に見張られることだと私は思うんです。ここで言う常識、固定観念とは、「みんなと同じ」ってやつです。「みんなもやっているから、自分もやるべき、やらなきゃ」「みんなと違うから、自分はダメ人間」こんな感じで「みんな」が基準になっているもの。これ、ホント余計なノイズですよね。

例えば、義務教育が終わったら高校へ進学、高校を卒業したら大学に入学、大学を卒業すれば新卒カードで正社員として入社、途中で結婚・出産を経て家庭を築きながら定年まで同じ会社で勤め上げる。これが一般的に想像される“人生”だと思います。大多数がこれに沿って人生を歩んでいく。私は、自分の親や周りの友達を見て、そういう人生が当然でそこから外れる人生なんてありえないと思って生きてきました。「みんなそうだから」

 

ワクワクを忘れるな

だから、新卒で入った会社を辞める時、怖くて仕方なかった。一度レールを外れただけ、だけど、人生失格。そう判を押された気がしました。実際、これからの私の人生、もとのレールに戻ることはできないと思います。一度壊れた身体と、短期離職からのブランク。学生の頃想像していた理想の人生はもう実現しないでしょう。このことを考えるたびに今でもパワハラしてきた人間を呪いたくなります。てか、呪っています。

だけど、会社を辞める時、恐怖と同時にワクワクも感じた。これからの人生、「みんなと同じ」に縛られずに生きていけるんだ。自分の好きなように人生を描いていいんだ。やっと自由になれたんだ。そう思うとワクワクが止まりませんでした。「みんなと同じ」を気にして就活して、「みんなと同じ」を気にして選んだ会社。「みんなと同じ」が正解で、自分の気持ちを二の次にして歩んできた人生。やっと「みんなと同じ」人生に終止符を打てると。今でも会社を辞める前のこのワクワクを覚えています。まあ自己分析しながら思い出したんですけどね。このワクワク、絶対に忘れちゃいけないものだと感じました。

このようにして、これからの就活のための“就活準備軸”なるものが決まりました。「この再就職は、ワクワクするものでなきゃいけない」これが今回の言いたかったこと。「みんなと同じ」レールに縛られない、そんな人生にするための就活をしていきたいなって思っています。

 

 

最後に

パートナーからのモラハラとか、上司からのパワハラとか、非合理的な人間の悪意に晒された時、我慢して耐えること。そういう頑張るべきじゃないところで頑張るのって、自傷行為みたいなものなんですよね。耐えたという経験は残るけど、そこに意味はありません。残るのはボロボロの心身だけです。悲しいけど。でも、そういう経験がある人は“自分は頑張れる人間”だって証明されたわけだし、それを自信にして、今度は「頑張るべきところ」か「頑張るべきじゃないところ」かを見極められれば、最強になれるってことですね。

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取り急ぎひとりごとまで。

memo.ロールモデル

あの人だったら

ごきげんよう、ひとりです。

ヒロアカのトガヒミコちゃん。可愛いらしいヴィランです。彼女は、他人の血を吸って悦に浸っている描写が特徴的で、作中でも周りから気味悪がられています。でも彼女の欲求って、血を吸うことそれ自体ではないんですよね。血を吸うことでその相手に成り変われるという能力を持っていますが、血を吸うのはあくまで手段であって、彼女の願望は「好きなあの子になりたい」というものです。

私にも憧れる人はたくさんいて、何度も「あの人みたいになりたい」と思ってきました。スラムダンクの晴子さん、めぞん一刻の響子さん、BLEACHの松本乱菊。彼女たちと比べて自分はなんて面倒くさい人間なんだろうと萎える時もあります。まあそれは創作と現実の違いってことなんでしょう。面倒くささが現実を生きる人間らしさというものなんだと思います。あ、でも、音無響子さんだけは現実を生きる人間かのように面倒くさいですね。

そしてもちろん、現実にも憧れの人は存在します。トガちゃんと同じく「好きなあの子になりたい」と思って、真似してみることもありました。「いいな、好きだな」って思う人だったり、ある人の「いいな、好きだな」って思う部分だったり、とにかく「こうなりたい」を積極的に真似したり取り入れたりしていた学生時代。こういうのをロールモデルって言うんですかね。気づいたら根付いていたこの癖は、何かと人生の役に立っています。「あの人だったら、どう言うかな。どうするかな。どう考えるかな。」そう想像するだけで、なんだか上手く行きそうな気がしてくる。自分の想像するロールモデルはいつだって心強い私の味方です。

 

らしさ

ヒロアカを読んでいると魅力的なキャラがたくさんいて、みんな違ってみんなかっこよくてみんな好きだなーなんて思わされます。かっちゃんにはかっちゃんの良さがあって、デクにはデクの良さがある。かっちゃんはデクにはなれないし、デクもかっちゃんにはなれない。みんなの良いところを全部どりなんてできないんですよね。至極当然のことなのに、心のどこかで「万人が認める完璧」を求めてしまう。これは自分の悪い癖だなって思います。もしみんなの良さを全部どりする人間が存在するとしたら、それはオールフォーワンってことになってしまいますね。バケモンです。自分には自分にしかない良さがあって、その自分らしさというものを磨いていけばいい。そう気づかせてくれる作品でした。まあでも、デクの努力家なところとか、かっちゃんの勝負時に笑っている姿とか、お茶子の優しい性格とか、そういう良いとこどりはこれからもしていきたいなって思います。憧れの人その人自身に成り変わるというより、その人の良いところを盗んで自分のものにする、みたいな。

 

心に飼う

自己分析をしていて思うのは、やっぱり自分の欠点ってそう簡単には変わらないってこと。私という人間の性質はもうきっと一生変わらない気がします。焦りやすい、心配性、杞憂。新卒の就活で唱えていた欠点は今も直っていません。ニートになって焦って心がどうにかなりそうだった時も、親友がかけてくれた「こんなにゆっくりしてもいいの?ってくらい、ゆっくりしていいんだよ」の言葉が効いた。何かの作品に触れていても、そういう言葉をかけてくれそうな器と懐の大きいキャラを好きになりがちだと、今になって気づきました。例えば、BLEACHだと平子真子が一番好きです。でもね、こういう言葉を自分で自分にかけられるようになりたいなって思うんです。今までだとこの流れで「じゃあ平子になりたい、自分が平子になろう」って思っていたところなんですけどね。私のこの欠点・性質が一生変わらないとして、多分私は平子にはなれないんですよ。だからその代わりに、「心に平子を飼えばいいんじゃないか」と思いついて。焦って思考が停止した時、心配で不安で仕方ない時、「平子だったらなんて言うかな」を想像する。これでいいんじゃないでしょうか。誰かを理想像と見立てて追い求めるのは自由だけど、もともと自分の持っている性質上向き不向きがあって、理想に近づけないのであれば意味がないし。“誰かになる”っていうのは突き詰めれば自分のアイデンティティが消滅してしまうわけだし。だから、トガちゃんの気持ちは痛いほどわかるけど、「誰かになりたい、誰かになる」というのを一度やめてみようかなって。今日はそんなことを考えた一日でした。

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取り急ぎひとりごとまで。

memo.「頑張れ」

ごきげんよう、ひとりです。

早速今日のメモです。

 

頑張れって感じのデク。ヒロアカで私の好きな言葉の一つです。デクくん、ついつい応援したくなって、自分もデクくんと一緒に頑張りたくなっちゃう、そんなヒーローですね。オールマイトや爆豪のかっちゃんは、安心して見ていられる強いヒーロー。この対比がこの上なく好きです。

 

「頑張れ」って応援の言葉ですが、時に嬉しく、時に苦しくなる言葉です。自分が頑張りたい時に言われると嬉しいけど、これ以上頑張れない時に言われると苦しくなる。あと、「頑張れ」って言ってくる相手にもよりますね。「もっと頑張れるだろ」「みんなお前より頑張っている」「なんで頑張れないの」という意味の「頑張れ」は苦しいです。何でしょうね。焚きつけるために言ってくれているんだろうなってわかれば気にならないんですけどね。多分、相手のことを想っての「頑張れ」と、そうじゃない「頑張れ」の違いじゃないかな。ただ相手を否定したいがために使う「頑張れ」もありますから。まあこれは、性格とか状況とか関係性とか、いろんな要因でニュアンスが変わってくるので一辺倒には言えないです。

私は、頑張らないといけない場面ですでに頑張っている状況だったら、「頑張れ」よりも「無理しないで」の方が嬉しいです。なんかこう言語化してみると、なかなかワガママですね。そこまでの頑張りを認めて欲しいのかもしれません。「頑張ったね」「頑張っているね」「無理しないでね」みたいな。なんというか、「頑張れ」って誰かを責め立てるための言葉ではないと思うんです。人生で一度だけ、私を否定して責めるためだけに「頑張れ」を使う人間に会ったことがあって、その時にこんな考えが芽生えました。まあ、受験なんかも周りがどんなに声をかけても、結局勉強するしないはその子ども次第ですし。自分以外の誰かをコントロールしようという意図があっての「頑張れ」は間違った使い方だと私は思います。言う側も言われる側も嫌な気持ちになります。

 

 

最後に

まあね、普通に生きていたら「頑張れ」という言葉が誰かを苦しめうるとは気づきようがないですよね。「頑張れ」って言われて自分が苦しくなった経験がないと。そんな経験、ない方がいいに越したことないです。(ないない言い過ぎておかしくなりそう。)私は中学生の頃、芦原先生の『砂時計』を読んで初めて知りました。

Aqua Timez『ALONES』BLEACHのOP曲ですね。「頑張ったね」「頑張っているね」「無理しないでね」が詰まった曲です。疲れた人は聴いてみてください。自分を肯定してもらえた気持ちになります。ホッとします。今日はとにかくこれが言いたかった。

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取り急ぎひとりごとまで。/『ALONES』Aqua Timez

メモ

人って簡単に変わる

ごきげんよう。ひとりです。

突然ですが、去年の今頃何を考えていたか思い出せますか何に悩んで、どんな答えを出したか。はっきりと覚えていますか。私は覚えていません。きっと体調のこと、これからのこと、過去にあった嫌なこと、そんなことを考えていたでしょう。でもそれも推測止まり、大枠でなんとなくでしか思い浮かびません。具体的に何について悩んでいたかまではわからないんですよね。

人はなかなか変わらないといいます。例えば、“自分に厳しく他人にも厳しい人”とか、“他責思考の人”とか、“完璧主義の人”とか、“自己肯定感が低い人”とか、“プライドがエベレスト級に高い人”とか。こういう人間の性はなかなか変わらないような気がします。自分にとって直したい部分であり直すトレーニングをしていたとしても、やっぱりそんな簡単には変えられない。浮気性の人とか暴力的な人で想像するとわかりやすいかな。他人事ながら、「なおらなそー」って思いますよね。

だけど、人間って思っていた以上に簡単に変わっちゃうんです。私も身をもってこの数年で気づいたことなんですけどね。性格とか考え方とか、昔の自分ではありえないレベルで、天と地がひっくり返るレベルで、変わってしまいました。そんな自分の変化に自分でも追いつけない。今あるのは変わった後の自分で、どのようにして変化してきたのかを振り返ってみても、その軌跡を辿ることができない。謎。何年も霧の中を歩いているみたいです。でも確かにその変化の過程はあって。ちゃんと自分なりに思考した結果なんですよね。ただ、全てが頭の中で完結しているため、その過程がサーッと消えてしまって“謎の変化”という事態に陥っているんです。

 

変化の過程を「残す」

思い返せば、ぐるグルぐるグル思考を続けたニート期間でした。何かに悩んで、自分なりに前向きに答えを出して。それをずっと繰り返してきたのに、ほとんど忘れちゃいました。本当にもったいない。さっき思いついたようなことでも、あとで書き残そうって思っていざノートを前にすると、サーッと跡形もなく頭から消えていて思い出せない。これこそが“変化の過程”なのに。この謎を解き明かすには、その過程を目に見える形で残さないといけない。そう思いました。

 

回りくどい前置きになってしまいましたね。すみません。結局何が言いたかったかというと、自分が日々思考しているちょっとしたことをこの“ひとりごと”に残していこうってね。そう思いまして。普段の“ひとりごと”が清書だとしたら、今回のこの試みは下書きみたいなもので、なので『メモ』という形で投稿していくつもりです。出来れば毎日更新したいな。更新の頻度を上げるかわりに、文章量は大分減ると思います。“取り急ぎのひとりごと”って感じです。内容の濃度はその時の私の心の色によって変わるかと思います。お付き合いいただけたら幸いです。『メモ』の時はタイトルに“memo”っていれておきます。まあ、新しい企画として投稿していくよーってことです。

 

 

最後に

誰かのツイートとか、本とか、歌詞とか、YouTubeの動画とか、自分の変化のきっかけとなった言葉が何かの媒体に残っていたら“変化の過程”も追跡しやすいよなって。一応あとで追跡するつもりで毎回スクリーンショットを撮るんですけど、結局、自分から「残す」という作業をしないと意味がないなと思って。今回この“ひとりごと”という媒体に残すことにしました。なんだか抽象的なことしか言っていないので、よくわからん文章になっているかと思います。この“メモ”は、「毎日何か一つ、その日自分の心を弾ませてくれたモノを言葉にして残したい」という考えから始めるに至りました。要は、日々のトキメキをその日のハイライトとして残していきたいって感じです。まあ始まったらわかると思います、きっと。

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ひとりごとより。/『少女は卒業しない』朝井リョウ

プルスウルトラ

ごきげんよう、ひとりです。

今月から再就職に向けて就職活動をゆるりと始めました。その上で気づいたこととか学んだこととか、これは譲れないなとか、そんな研究や自己分析の結果を残しておきたいと思いまして。ボチボチひとりごちっていこうと重い腰を上げました。

自己分析と言えば、僕のヒーローアカデミア。連載が終わったということで気になって手に取ってみたら見事にハマって。めちゃくちゃ面白い。大好きな作品になりました。ジャンプ版ガッシュみたいな。私的好きな漫画ランキングBEST5に速攻で入ってきました。ちなみにBEST5の順番は決まっていません、同率一位です。

 

話を戻しまして。ヒロアカのストーリーの中で“オリジン”という言葉と“ライジング”という言葉が出てきます。ヒーローを目指すに至った理由、ヴィランになるまでの過程、原点の“オリジン”ヒーローとしての成長、ヴィランとしての成長、壁を乗り越えた先にあるライジング”。登場人物の一人一人に、善のヒーローにも悪のヴィランにも、それぞれの「オリジン」と「ライジング」があります。これって、ヒロアカの世界だけの話ではないと思うんです。現実を生きる私たちにもそれぞれのオリジンとライジングがあって、これを具体化していく作業こそが自己分析になるんではないかと。なのでね、「ひとり:オリジン」「ひとり:ライジング」とか言って、ヒロアカの世界観に浸りながら自己分析していこうかなと企んでいます。何より、主人公のデク君が頑張っているのを見ると「私も頑張りたいな、頑張らないとな」って思えてきて。ヒロアカは私の重い腰を上げるのを手伝ってくれたわけです。今回のひとりごとは仕事のあれこれを話していこうと思います。

 

主導権

まず、私が今回就活する上で絶対に譲れないことから話していきますね。それは、「自分の人生の主導権は死んでも自分が握っていること」です。本当に大事なこと。対企業でも、対個人でも、どんな場面でも言えることです。TOKIOの宙船で「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな」ってあるじゃないですか。これと同じです。そしてほとんどの場合、オールを奪おうとしてくる奴は自分が消えて喜ぶような人間です。

大学4年生の頃、就活の際、「どこでもいいから内定が欲しい」「私なんかに内定をくれるなんて良い企業だ」くらいに考えていました。“選んでもらう”というスタンスで就活していました。今思うともうこの考えがおかしい。モラハラホイホイです。もちろん、高飛車であれと言っているわけではなく、妥協は必要だと思う。ただ、当然私たち個人も選ぶ側であって、選ぶ権利を持っているわけです。私の場合、それを放棄して、オールを手放して渡した先がモラハラ体質の企業でした。

不当に自己肯定感を下げてはいけないし、こういう人生の選択の場面において自分を守れるのなんて自分しかいないんでね。それはお高くとまりすぎでは?というくらい、気持ちは高くとまっていていいんだと思います。態度に出さなきゃいいんです。そして、これは私自身の“課題”になるんですけどね。テストとか試験みたいな、正解があってわかりやすい基準で「あなたは正しい」と判を押してくれるものに関しては自信満々だし、普段自己肯定感は高い方でプライドもあって自信もあるのに、就活みたいな他人の物差しではかられる場面だと何故か自己肯定感が低くなって自信を無くしてしまうんですよね。なんでしょうね、これ。他人による評価より自己評価の方が高くなると恥を覚えるのかな。恥をかくのが怖い。「裸の王様にはなりたくない」みたいな。ただ、この自己肯定感が低くて自信がないという態度は弱みをモロに晒す行為であって、自分のオールをはいどうぞって差し出しているのと同じなので、これまでの経験の反省を活かして絶対に直したい点です。

 

ソルジャー

私が新卒で入社した企業には、特徴としてよく挙げられる言葉があります。「ソルジャー・少数精鋭・体育会系」です。少数精鋭って“選ばれし者”感が出ていて、その分一人一人の給料も高くなるし、就活生の頃はかっこいいと思っていました。現実はただの人手不足。末端まで監督が行き届いていないから、もはや無秩序。好き放題やっていましたよ。新人潰しに精を出す一般職に、見ないふりをする管理職。いわゆるお局が実権を握っているような職場でした。何が起きても「人手不足だから」で終わり。責任の所在が有耶無耶になって押し付けられるマジシャンもビックリの現象。そして実際に人手不足な現場。もうね、こういう職場に当たってしまったら、心の中で「こいつらはヴィラン連合だ」って思って対ヴィランの付き合い方を実践すれば、少しは心を守れるんじゃないかなって思うんです。人間だと思うから容赦しちゃうんですよ、きっと。

ソルジャーってなんかこう、BLEACHでいうところの11番隊みたいに、主戦力として扱われるかっこいい実力者のことだと思っていました。もちろん、そういう場合でソルジャーって言うこともあるのかもしれません。だけど、ソルジャーを謳っているところは基本ヤバイという認識でいい気がします。まあ合う合わないもあると思いますが。要は、使い捨て駒なわけです。会社の一兵器です。人間として見られていないんですよね。潰れるまで、壊れるまで、使える間は酷使して、ボロボロになったらポイ。で、また新しい兵器を補充して同じことの繰り返し。これを何年か耐えると年収が上がっていくわけですが、私は脆かったのですぐに壊れました。今の時点で分かっていることは、「ソルジャー・少数精鋭・体育会系」を謳う企業とのミスマッチですね。

自分は身体も心も弱くはないし、むしろ強い方だと思っていました。体育会系と謳われていても、根性でどうにかできるんじゃないかってくらい強い方だと。今思うと、その自信は間違ってはいなくて、「耐える」という行為にフォーカスしたら割と頑張っていた方なんじゃないかな。パワハラってその行為自体も問題だしストレスの原因になるけど、パワハラによって業務の遂行が妨害されること、業務が進まないことが大きなストレスの要因になるんですって。思い返せば、円滑に業務遂行出来た経験が甚だ少ない気がします。世の中にはヴィランが本当に存在していて、ヴィランが生息しやすい場所かどうかの見極めも大事なんだなって思います。「ソルジャー・少数精鋭・体育会系」を容認できる人たちの集まりなんて、ヴィランも紛れやすいでしょうに。入る前からある程度推測できる要素もあるので、企業研究は手を抜いたらダメですね。私の新卒就活における敗因の一つです。今度こそ企業研究、頑張らないと。あとね、業種で検索した時、「やめとけ」などの悪評が大半を占める場合、マジでやめといた方がいいです。そういう職は、メンタルが鍛えられるとかそんな軽い負荷では済みません。筋トレ初心者がSASUKEの会場にぶちこまれて心身ボロボロになり、リタイアせざるを得なくなる。そんなイメージ。まあ、既にメンタルをバキバキに鍛え上げている人は耐えられるのかもしれませんが。ちなみに、私の前職は“三大「やめとけ」業種”の一つに挙げられていました。

 

人形

今回、全部似たような話題になってしまうんですけどね。「自分のことをコントロールしようとしてくる人間とは関わらない」ってことも、これからの人生で大事にしたいです。たまに、自分以外の誰かを自分の思い通りに動かそうとしてくる人間がいます。あたかもこちらが意思を持たない人形であるかのうように、操ろうとしてくる。あまりにも大胆に強引で白昼堂々の犯行なので、ビックリします。まるでジャイアンですね。お前のものは俺のものって。私の経験上こういったジャイアンたちは、対等に利害の擦り合わせが出来ない人たちなので、逃げるが勝ちになります。さらに、逃げることが最大の仕返しになります。ジャイアンの前では「逃げる」が美徳です。実は、今回始めたばかりの就活の中で一人のジャイアンに遭遇しまして。対ジャイアン専用の心構えを常に持っておくべきだなって改めて思いました。そんな話をこれからしていきますね。

再就職に向けてまずは派遣社員として働きたいなと考えていました。そう考えていた当時の私は、体力とか人間関係とか、不安と恐怖でいっぱいいっぱいで、「簡単に辞められる」「未来が決まっている(有期)」を重視していました。そうなると正社員はありえなくて、派遣・契約・バイトのどれかになるかなと。それで何社か派遣会社に登録して、自宅から近い案件にエントリーしてみたんです。まあそれからは鬼電の嵐ですよ。あそこもあるけどどう?とか、ここもあるよ!どう?とか。初めての経験で、もう本当に「斡旋!」って感じでした。その中で一社だけヤバイなここって感じるところがあって。ヤバイ点を端的に挙げると、「考える隙を与えないスピード感」「意向を無視して無理やり話を進める」ってところかな。派遣会社の営業って、とにかく人を会社に送ることが仕事なわけです。労働者と企業の双方がマッチしていようがしていなかろうが、とにかくマッチさせることが仕事なんです。まあ派遣会社や担当によってやり方は違うと思いますが。私がヤバイと思ったところは、とにかく“無理やり感”がすごかったです。考える時間、調べる時間を与えずに話を進めて、こちらが嫌だと断っているのに無理やり職場見学(面接)の予定を決めてくる。そりゃ不審に思った鴨は逃げるわけで。初心者で右も左もわからない私みたいな鴨を、離職率が高くて採用になりやすい不人気な派遣先に送り込めたら、そこでゲームクリアなんですよね派遣の営業って。この短期間で「話を進めるのが強引で速い」「拒絶の意思を示しているのに無理やり話を進める」ところはヤバイと学べました。そして多分、簡単に辞められないです。どんなに感じが良い営業担当であっても、断ったら干されるかもというリスクがあっても、ジャイアンに自分のオールを渡したら一生返してもらえないと思っていいです。私はこの派遣会社とはもう関わりたくなかったので、他社で仕事が決まったとか嘘言って逃げちゃいました。

このヤバイ派遣会社、気持ち悪くて不快で、なんかこの感覚どこかで経験したことあるなって思ったら、デブトロールと同じなんですよ。相手のことを人形かの如く強引に無理やりコントロールしようとしてくる。その意図が見え透いている。幸せって、自分の人生をコントロールできたときに感じるらしいです。ただ中には、自他境界線が薄かったり無かったりで、自分以外の誰かをコントロールできないと不幸に感じる人間がいます。それはその人の問題であって、“思い通りに動いてくれない相手”に責任は何一つありません。図々しいにもほどがあります。「与える」と「奪われる」は結果が同じでも意味が全く異なります。当然ですが。自分のものを自ら与えて渡すのは人間らしい行為ですが、奪われて渡すとなると人形として扱われているのと同じです。もっと言ってしまえば、奪ってくる奴はドロボーと同じ。これからの人生、自分のことを自分の意思に反してコントロールしようとしてくる輩とは絶対的に縁を切りたいものですね。

 

まあ、派遣会社の営業に関しては、向こうも慈善活動で仕事を斡旋しているわけではないし、調べてみると割とあるあるらしいし(これもおかしいけど)、派遣の仕組みや思惑を理解していなかった私にも非はある気がします。ただその第三者の思惑に左右される状況がストレスで、抗う気持ちが育ってきた時、なんだか元気が出てきた気がして。そんなこんなで結局正社員での再就職を目指すことにしました。あれだけ不安と恐怖でいっぱいいっぱいだったのに、いざ「自分の人生、自分でコントロールしてやる!」って思うとみるみるエネルギーが湧いてきます。不思議ですね。ちゃんと一から自己分析して企業研究して、就活らしい就活を始めたところです。今回、話題が似通っているのも、きっと自分の中で「奪われたくない」という気持ちが今一番強いからだと思います。生殺与奪の権を他人に握らせるなってことですね。

 

 

最後に

結構前に、まだ身体と心が疲弊しきっていた頃、ネットで「無職から働きだしたきっかけ」みたいなものを目にしたことがあって。ある人がね、「欲しいものが出来てどうしてもそれが買いたくて、そのためにお金が必要になったから、働き始めた。トントン拍子に止まっていた人生が進みだして今ハッピー☆」みたいなことを書き込んでいて。その書き込みを見た時、なんかいいな、人生こんな風でありたいなって漠然と思っていました。

最近、私は編み物にハマっていまして。毛糸って思った以上に高いんですよね。編針も種類が多くて毎回新しく買う必要が出てくるので、いっそのこと編針セットが欲しいなって。そんなこんなで「あ、お金欲しい、働こうかな」と思うようになりました。昔の自分だったら、きっかけなんて自分から探しに行かないと!って思うところだったけど、きっかけを待って長い時間ゆっくり過ごすのもなかなか良かったなって今は思います。急がば回れです。焦りやすい人ほど回り道をしないといけないのかもしれません。

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ひとりごとより。/『少女は卒業しない』朝井リョウ