通過儀礼

ごきげんよう!ひとりです。

朝井リョウさんの『もういちど生まれる』を読んだので、今回はその読書感想文を書いていこうと思います。読んでいない方にも伝わるようにあらすじを紹介しながら話していくつもりですが、ネタバレも含むので、知りたくないという方はブラウザバックしてください。

 

『もういちど生まれる』

『もういちど生まれる』は5つの短編から構成される作品で、5人の主人公がそれぞれの物語を紡いでいく形になっています。登場人物は主に二十歳前後の若者たち。私がこの一冊を通してまず感じたことは、「二十歳前後の自己陶酔感」に対する恥ずかしさでした。嫌な言い方をすれば、「イキリ」ってやつです。自分の大学生の頃を思い出して、なんだかムズムズしました。高校生までとは違って、自分で自分の人生を選択するようになっていく時期です。自由を手に入れる代わりに、責任を背負うことになります。文字だけ見れば、もう一丁前の大人ですよ。だけど、何を勘違いするのか、この時期って「自由」だけにフォーカスが当たるんですよね。ある意味、無敵状態。マリオがスーパースターを拾ったかのような。プライドを脅かす奴がいれば、相手を一蹴したつもりの「ダサい」という言葉で精一杯に抵抗して、自分を守ろうとする。いわゆる「堅い理論武装とプライドの過剰包装」ってやつです。でもそれが正しいわけじゃないこともなんとなく知っているから、いよいよ強がっていられなくなると、自分の間違いを素直に認めて降参する。そんな時期。モラトリアムって言われている時期ですね。多分、ここが柔軟に軌道修正できる最後の時期なんじゃないでしょうか。間違えるのは恥ずかしいけど、それを認められない大人になってしまうのは、もっと恥ずかしい。いっぱい恥をかきながら、恥ずかしくない大人へと成長していくわけです。

あとで黒歴史になるかもしれない言動を、後先考えずに衝動的に繰り返す。それでも、目まぐるしく日々が過ぎていくもんだからいちいち振り返る暇もなく、間違いを犯していても気づかずに常に強がっていられる。そのうち、「自分はもしかしたら、大統領じゃないけど大統領みたいな、スゴイ何者かにでもなれるのではないか」と、過大で誇大な自信を抱いたりする。でも、いつかはスーパースターの効果が切れてしまうんです。

 

私がこの作品を読んで一番嬉しかったのは、「自分だけじゃない」とわかったこと。「二十歳前後の恥ずかしい過ちって、誰もが経験するものなんだ」と、そう思えることが出来た。お金持ちのあの子も、いつも調子の良いあの子も、真面目でGPAの高いあの子も、熱血体育会系のあの子も、美人で人気者のあの子も。みんなみんな、若気の至りと呼ぶべき恥ずかしい過去を人並みに抱えているんです。傍から見たら信じられないけど、完璧でロボットみたいな人間って実際にはいないんですよね。自分だけがダメ人間みたいに思える時ってあるけど、誰にでもダメ人間な時期はあるんだって、そう教えてくれるような作品でした。ちなみに二番目に嬉しかったのは、「ジョージ朝倉」という文字が目に飛び込んできたこと。大好きな作家さんの本に、大好きな漫画家さんの名前が出てくるなんて!!思わず鳥肌が立ちました。

 

ひーちゃんは線香花火

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大好きな彼氏と、大好きな女友達と、大好きな男友達と、<私>。東京という広い世界で暮らしているけど、<私>の世界にはこの4人しかいない。でも、この4人がずっと変わらずに幸せならそれでいい。そんな女の子が主人公の物語。だけどやっぱり現実は、そこまで完璧で理想的で綺麗ではないんです。ヤキモチをやいてくれない彼氏への不満、男友達で満たされようとする下心、距離感が近すぎていつか壊れてしまいそうな女友達との友情。そういう不安定な要素も少なからず付いてくるんです。

この話の主人公は、「常に安心していたい、不安があればすぐにでも取り除きたい」という欲求から、無意識に利己的な行動を取りがちです。自分の都合で他人の気持ちの重さを無かったことにしようとします。例えば、彼氏が不在の間に男友達との浮気を図ってみたり、女友達が自分に対して恋心を抱いていると知ったら「そんなのは大したことじゃない」と言ったり。彼氏からの愛情が足りないと感じて、他の男で満たされようとするけど、彼氏はちゃんと主人公のことを愛していたし。男友達が自分に好意を寄せていると勘違いして、浮気相手として利用しようとするけど、それはただの自惚れだったし。自分に対する女友達の恋心に気づいたときは、その気持ち自体を無かったことのように、透明なもののように扱う。そうすればまた、元の世界に戻れると信じて。「不安」に人一倍敏感で、「不安」を拭おうとする行動力が他人より旺盛だけど、その衝動から間違った選択肢でも突き進んでしまう。なんだか生き急いでいますよね。心配性な私はなんとなく、主人公の言動に納得してしまいます。

<私>は、「自分の世界がいつかは変わりうる」ってことを受け入れられないんですよね。線香花火だっていつかは消えて落ちてしまうわけですが、この子は、いつ消えてしまうかわからない光に不安を覚えて、最後には必ず消えてしまうという事実をなかなか受け入れられないんです。「幸せなのに幸せなことが怖い」って気持ちと同じようなものかなと思います。幸せというのは、いつか終わってしまう恐怖と一緒に訪れるものです。自分の世界が変わってしまうことにひどく怯えるくせして、軽率に自分の世界が壊れてしまうような行動を取る。その矛盾こそが、この作品の醍醐味じゃないでしょうか。ただ、この主人公は、どんな世界でもなんだかんだ適応できる人間だと思います。4人だけの世界はやっぱり狭くて、もっと依存先が増えれば、価値観なんて簡単に変わってしまうかもしれませんね。

 

燃えるスカートのあの子

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主人公は「THE・大学生」な男の子。何も考えていないように見えて、実は空気を読むのが得意で、でも心の中は劣等感やジェラシーでドロついている。一見陽気で爽やかな、言ってしまえば普通の人です。この主人公は、普通じゃない人のことが気になってしょうがないんです。好きな女の子は、読者モデルをやっている大学でも少し有名な美人のクラスメイト。鼻につくのは、芸術家気取りの大学生。ただ、映画サークルで学生映画を撮っているという男子学生とは、心の中でなんだかんだ言いながらも交友を続けている。バイト先にはダンススクールに通うダンサー志望の女の子がいるけど、どうやらこの子のことは、「芸術家気取りの大学生」とは別物だと評価しているらしい。「畑が違うから脅威にはならない」と思っているのではないでしょうか。(それでも劣等感は抱いてしまうみたいですが。)「同じ大学生のくせに。何者でもないくせに。何者かであろうとする人間は、自分を見下している気がして、いけすかない。」そんな被害妄想に近い感情を抱いている主人公。特に何をされたわけでもないのに、夢を追いかける大学生のことを無差別にボロクソに言うんですよ。この話を読んで真っ先に思い浮かんだのが、中島みゆきの『ファイト!』。「闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう」って。でもこれ、他人を否定しないと自分のプライドを保てないという、人間ならあるあるの生理現象なんですよね。一種の防衛本能みたいな。ちょうど最近何かで見たんですけど、自分が幸せじゃない時って他人の幸せを素直に喜べないものらしいです。人間とはそういう生き物なんだと思います。この物語の主人公も、「自分が何者でもないことを暴いてしまいそうな存在」が怖くてしょうがないんですよ。

この主人公ね、ダンサー志望の女の子が映画サークルの男子学生のことを嘲笑する場面で、思わず男子学生の肩を持って女の子に説教を垂れちゃうんです。「自分の目で見てみないと、良いか悪いかなんてわからないじゃん」って。まさにブーメラン。自分だって、芸術家気取りの大学生のことを自分の目で見もせずに否定していたわけで。綺麗なダブルスタンダードです。他人の行動に関しては客観的に判断して的確な評価が下せるのに、自分の行動に関すると、それと平等に裁くことが出来ない。これもまた、人間の弱いところ。でもまあ、一緒になって馬鹿にしたり悪口を言ったりはしない点、救いがありますけどね。薄々、自分の抱く感情の不合理さに気づき始めている様子です。

最後には、好きな女の子(読モ女子大生)の恋の相手がとある芸術家気取りの大学生であると発覚するわけですが、この話の要になるのが彼女の漏らしていた言葉。「好きな人が言うなら、自分のファッションなんて簡単に変えられちゃう」って。主人公にとって、この読モの女の子はすでに「何者か」であるんですよ。そんな何者かである彼女のファッションを変えてしまうほど、影響力を持つ人間。それもまた、「何者か」なんですよね。この女の子を好きになったのもきっと、この子を好きなわけではなく、「この子を彼女にできる自分、つまり、何者かである自分」を手に入れたかったからではないでしょうか。最初から最後まで何者にもなれなかった主人公ですが、「闘う奴の唄を笑わない人間」にはなれるような予感がしました。

 

僕は魔法が使えない

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この本の中で一番好きな話です。美大生の男の子が主人公の物語。見た目はちょっとチャラいけど、中身はピュアな普通の男の子。亡くなった父のことが大好きで、父の作ったカレーが大好物だった。その一方で、母との間にはわだかまりがあります。父が亡くなって一年も経たないうちに、母が再婚を考えているという男性を連れてきたんです。その男性は普通で良い人だったけど、その人が作ったカレーはやっぱり受け入れられなくて、反射的に拒んでしまいます。それから、何度も何度も、母はカレーを作るようになった。父の味を作れるようになれば、息子に再婚を受け入れてもらえる。そう思ったらしい。作中にもあったんですけど、これって誰が悪いとかじゃないんですよね。良くないタイミングで良くないことが起こってしまった、それだけのこと。

この話の主人公は、他の話の主人公と比べて、ちょっと綺麗すぎるかなって印象を覚えました。黒歴史になってしまうような恥ずかしい過ちは犯していないんです。この子の抱く若さゆえの「黒い感情」というのが、自分の外側にある問題に起因するんですよね。この子は悪くなくて、理不尽な出来事に対する自然な感情とも言えるでしょう。強いて言えば、母親の再婚を外面だけでも受け入れたっていいんじゃないかってことくらい。もう子どもではないから。それでも、この子の気持ちを尊重したくなるような複雑なシチュエーションです。個人的に、この本のテーマを一言で表すと、通過儀礼だと思っているんですけどね。子どもから大人へと生まれ変わる、まさにその瞬間を描いていると。じゃあ、大人になるってどういうことなのか。私は、「本音を隠して建前を上手に演じられるようになること」だと思います。自分に非はないけど、理不尽なことに対して自分の都合を自分の中に閉まって、相手に歩み寄る。「母の笑顔がもう一度見たいから」と、出来なかったことが出来るようになる瞬間、主人公は大人になれたわけです。大人になるって、良いこともあるし、悪いこともあります。理不尽なことでも受け入れるべきだっていうのは大人の悪い面だけど、未来を良くするために我慢することが出来るっていうのは大人の良い面なのではないでしょうか。

森七菜ちゃんがカバーとして歌っていた『スマイル』って曲に、「いつでもスマイルしようね、すぐスマイルするべきだ、子どもじゃないならね」って歌詞があります。最近では男尊女卑とか時代錯誤とか、そういう批判を浴びがちな歌なんですけど、「子どもじゃないなら本音を隠して上手く立ち回れるよね」というメッセージ性は今回の話と通ずるかなって思います。どうしても、男性が女性に向けて歌っているという歌詞の構図から、男女の二項対立に飛び火しちゃうんですけどね。小難しいことを考えないで聴けば、もっともらしい歌詞になっています。作中では描かれていなかったけど、これから先もし間違いを犯すことがあったとしても、この主人公ならちゃんとそれを正せる気がします。そういう未来がちゃんと見えてくる。人間の持つ汚い性質がほとんど見られなくて、綺麗すぎるという印象を抱いた主人公ですが、ただただ素直で賢くて優しい子なんです。癒される話でした。

 

もういちど生まれる

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双子の妹が主人公の話です。姉は、読者モデルをやっているちょっと有名な美人さん。双子なのに、似ているようで似ていない。容姿も、姉より少し劣っている。自信満々な姉に対して、劣等感でいっぱいの妹。そんな主人公です。ただ、化粧をすれば周りを騙せるくらいにはソックリらしいので、過小な自己評価なんだと思います。姉の方が可愛くて、姉の方がチヤホヤされて、姉の方が世渡り上手で。すべてが「姉基準」になっているんです。姉が推薦で良い大学に行ったから、それより偏差値の高い大学に行きたくて、二浪中。この子は「一人の女の子」としてじゃなく、「姉の妹」として生きています。自分の人生の主役が、自分自身ではなく、姉になってしまっているんです。別に頼まれたわけでも、強制されたわけでもないのに。

でも、こういう卑屈な心情っていうのも、人間あるあるですよね。姉が悪いわけでもないのに、「うらやましいから、だいきらい」なんです。あの子みたいになりたかった、あの子みたいじゃなくてよかった。人間って、自分の上を見て不安になり、自分の下を見て安心する生き物です。理に適っていないとわかっていても抱いてしまうこの感情は、もう本能なのでしょう。自分より上の世界(上だと思い込んでいる世界)のことは想像がつかなくて、「羨ましい」とか「ズルい」とか、「それに比べて自分はなんて下らない存在なんだ」とか、勝手にネガティブになります。だけど、姉にも姉の事情ってものがあります。他人に見せたくない面、見せられない面。そういう人間らしい面もちゃんと持ち合わせていて、それを隠すのが他人よりも上手ってだけ。やっぱり、ロボットみたいに完璧な人間なんて存在しないんです。何もしなくても美人の姉が頑張ってオシャレをするのには、他人には言えないような恥ずかしい経験や泥臭い経緯があるのかもしれません。上手く行っているように見える人は、上手く行っているように見せるのが上手なだけで、きっと家に帰れば人並みに一人反省会を開いているのではないでしょうか

この主人公はきっと、姉のことが羨ましくて羨ましくて、何度も姉になりたいと願ったことでしょう。でも最後には、「姉じゃなくて自分じゃないとダメな理由」をちゃんと見つけます。想いを寄せている予備校の講師から、誕生日を祝ってもらえたんです。姉になって姉と人生を交換していたら、経験できなかったことです。誰かを好きな気持ちも、好きな人に祝ってもらえる自分も、全部かけがえのないもの。自分が自分じゃないと意味がないもの。それに気づいた主人公は、姉ではなく、妹としての自分でもなく、世界にただ一人の自分を生きるようになります。他の誰でもない、自分の人生、自分だけの人生を歩んでいくんです。これが「もう一度生まれた」ってことです。蝶になる前の蛹みたいに、この子がとんでもなく魅力的な女の子へと変身していく姿が安易に想像できる。最初は見様見真似で羨ましく見える人をお手本にしながら、段々と己にしかない魅力に気づいて、ようやく自信を持って自分らしい人生を送れるようになる。羨ましく見える人もみんな、そうやって生きてきたんです。変われない人もいる中で、変わることの出来たこの主人公の未来が、勝手ながら楽しみだなって思えました。

 

破りたかったもののすべて

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ダンススクールに通う、ダンサー志望の女の子が主人公。天才と努力家。自分にできないこと、自分にはなれない何か。それが出来てしまう誰か。芸術の才能がある画家志望の兄と、読者モデルをやっている高校時代の友達と、ダンススクールで誰よりもダンスが上手いあの子。生まれながらの才能に恵まれた人たちのことは羨ましいと思うけど、何の対価を支払うこともなく得られたと思われるそれらは、別に欲しくない。「天才は努力なんてしたことがないだろう」と勝手な想像で相手を否定して、自分を正当化する。一見氷のようにクールに見えるけど、心は不純物がドロドロと溶けていて熱い。そんな女の子が主人公の物語です。世の中を知った気になって、自分を、他人を、自分に都合のいい物差しで測る。そうやって自分を肯定して生きてきた主人公。というより、そうしないと自分を肯定できなかったんだと思います。どんなに努力しても、天才には追い付けなくて、栄光の中にいた過去の自分すら超えられない。気を抜くと「惨めな自分」という現実が襲い掛かってきそうで、精一杯気を張っている。だけど、努力とは無縁だと思っていた天才たちが、自分の知らないところで自分よりも努力していた。そう知った時、自分を支えていたもののすべてが一瞬で崩壊します。この瞬間、主人公は、情けなくて恥ずかしくて居たたまれなくて、消えてしまいたいと思ったことでしょう。自分に都合のいい物差しで測ったツケが回って来たんです。

この子は、理想の自分を本当の自分だと思い込んで、自分をも騙して生きてきたわけです。だけど、いつかはボロが出ちゃうもの。理想とはかけ離れた現実の自分が露わになった時、子どものままでいるか大人になるか、選択の機会が与えられます。まさにイニシエーションです。このまま誤魔化し続けるか、現実を受け入れるか。この選択次第でその後の生き方が変ってきますね。恥を知った主人公はそれまでの自分と決別するために、その象徴であるかのように描かれた兄の絵を破ります。兄が〈私〉を思い浮かべて描いたらしい絵には、まるで理想の自分そのものが写し出されていた。でもそれは化かした姿であって、偽りに過ぎないから、破る。今度は自分にも兄にも、等身大の自分を曝け出すと決意して。三島由紀夫金閣寺みたいですよね。悪意でやったことじゃないんです。騙し続けていた兄への贖罪、自分に都合のいいように世界を測ってきたことへの戒め。変わらなければいけないと気づいて、その変化を形に残そうとした結果が、「兄の絵を破く」だったわけです。まあ、「お兄ちゃんが可哀想じゃん」って思わずにはいられないんですけどね。人間は自分の「感情」と決別するとき、目に見える何かに重ねて壊さないと、決別できたことを信じられない生き物なんですよね

この物語の主人公は、格好悪くて、ダサくて、格好良かったです。理想の自分と比べると、現実の自分は格好悪い。でも、現実の自分を見て見ぬふりして、理想の自分があたかも本当の自分であるかのように振る舞う姿はダサい。だけど、ダサいことをしていると気づいてから、格好悪い自分をありのままに受け入れて生きていく姿は最高に格好良い。誰にでも恥ずかしい過ちの一つや二つってあるものです。「恥」という、法律では裁いてもらえない罪は、この主人公のように償っていくのが一番イケている気がします。「間違い」って格好悪くて恥ずかしい気持ちになるけど、それを受け入れられない方がダサくてずっとずっと恥ずかしい。この主人公を見ていると、失敗も怖いもんじゃないなって思えてきます。「どんなに格好悪い姿を晒したとしても、格好良く返り咲く方法」というものを教えてくれたんです。そういえばこち亀両さんも、「人間!つまずくのは恥ずかしいことじゃない!立ち上がらないことが恥ずかしいんだぞ!」って言っていました。

 

 

最後に

人生を花火に例えた時、線香花火のような人生より、打ち上げ花火のような人生がいいなって思ったことがあります。ドカンと一発華やかに。一瞬で散ってしまうけどその一瞬にすべてを賭けて、とびっきりに濃い時間を贅沢に過ごせたら、それでいいなって。私にとってその一瞬は、大学生の頃だったと思います。当時は、それはもう幸せでした。それと引き換えに燃えカスとなった今の人生がとんでもなく理不尽に感じて、ネガティブな感情が無尽蔵に湧いてくる日々を過ごしていますが、一度自分が願ってしまったことが叶った結果なのかもしれません。声と引き換えに人間の足を手に入れたアリエルが、「声が出ないなんてありえないんだけど!」と言っているようなものですね。まあ、パワハラ被害とか病気とかが理不尽であることには変わりないんですけどね。ただ、打ち上げ花火のような人生を送りたいという価値観は今も変わらないので、今が燃えカスみたいな日々でも仕方ないかなって思えるようになりました。今がカスであればあるほど、打ち上げ花火のようだった時間が鮮明に輝くわけですから。カスなりに前向きに生活していこうと思います。

ココロの問題。

君にジュースを買ってあげる

アンアンアン!アンアアンアン!

ごきげんよう。ひとりです。

最近はケロロ軍曹にハマっています。子どもの頃に見ていたアニメ、懐かしいです。今見ても面白い。ついついU-NEXTに再加入してしまった。高いんですよね、U-NEXT。私はケロロ軍曹で初めてグループ魂を知りました。もしかしたらクドカンに触れた最初の作品かも。『君にジュースを買ってあげる』「恋ってやっぱりギブアンドテイク。求めてばかりじゃ切ないね。」って歌詞の意味が、理解できる年齢になりました。子どもの頃はよくわからなかったけど、ギブアンドテイクの概念を教えてくれた曲です。ギブしてばかりでも、テイクしてばかりでも、ダメ。人間関係において基本的で重要な、でも、言語化する機会がなかなかない概念。そんな大事なことを、子どもたちの心に残るように、面白楽しく歌ってくれています。大人になった今でも歌詞を鮮明に覚えているんだから、英才教育みたいなものですね。大好きなコンテンツです。


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ちなみにグループ魂のドラマーって、三宅弘城さんなんですよね。最近知りました。『不適切にもほどがある!』でタイムマシーンを開発した人です。バックトゥザフューチャーの人。ドラムを叩いている姿がかっこよくて痺れます。あんあんあん!あんああんあん!のところで手を振りたくなります。笑顔になれるので、見てみてください。

 

くるっと・まわって・いっかいてん

た~らこ・た~らこ・た~っぷり・た~らこ。昔、キグルミって流行っていましたよね。キューピーのCMソングを歌っていた二人組の女の子たち。ケロロ軍曹のEDで『くるっと・まわって・いっかいてん』って曲があるんですが、キグルミが歌っていました。全てが懐かしい!この曲、歌詞がなかなか秀逸で、いろいろ考えさせられます。例えば、「美味しいの反対は食べたくない」とか、「偉い人の反対は偉そうな人」とか。“反対”にもいろいろあるんですよね。「美味しい」の反対は「不味い」ではないし、「偉い人」の反対は「偉くない人」ではないって、そう歌っているんです。

「大大大嫌いって、ちょっと好きなこと」この歌詞を聴いて最近考えていたことがあります。私は、すべての物事は「縁」だと思っています。縁が切れてしまうこともあるし、縁を切ることもある。切れてしまった縁が再度繋がるのなら、それもまた、「縁」ということ。まあ、自分から縁を切るような相手とはもう一生会いたくないんですけどね。縁を切る場合、その関係性は二つのパターンに分類できると思います。一つは、仲良くなる前に合わないことを察して離れる場合。もう一つは、仲良くなった後に合わないことを知って離れる場合。後者は、「好きだった相手を嫌いになった」と言い換えてもいいかな。後者の場合について、最近大事なことに気づきました。例えば、私はよく超バイヤ人の話をするけど、かつては好きで仲良くしていた相手です。今となっては嫌いを乗り越えて、無関心の域にあります。嫌いになってからは、超バイヤ人と過ごした時間や交わした言葉、そのすべてを否定してきた。すべてが許せなかった。でも、楽しかった時間や嬉しかった言葉が、多からずともあったわけで。好きだったけど嫌いになって縁を切った相手の、好きだった記憶まで否定しなくてもいいかなって、そう思えるようになりました。大大大嫌いだけど、ちょっと好きなところがある。まあ、縁を切るに至るっていうのは相当嫌なことをされたって時なので、許せない気持ちは少なからず残ってしまうものです。許せなかったから縁を切ったので。私自身、この考え方を自分の中で許容するまで、年単位で時間がかかりました。無理に「嫌い」をやめなくていいです。「嫌い」って「好き」を通さないと見えないものな気がします。相手を知らないと「嫌い」って感情にはならない。相手を知らずに「嫌い」という感情を抱いているなら、それは「不快」の間違いなんじゃないかな。なんか言葉遊びみたいだけど。好きだから相手を知りたいと思って、相手を知ってしまったから嫌いになるんだと思います。

 

嵐の曲で『Hey Hey Lovin' You』という歌があるんですけどね。その歌詞に「好きだった去年の服を着る気しないのは、少しずつ自分のことが見え始めたから」ってあって、これも子どもの頃はよくわかんなかったけど、今ならなんとなくわかる気がします。これはどんなことにも言えて、人間関係も同じようなものだと思う。人間を服と同等にモノとして見ているんじゃなくて、ここで注目したいのは感情の部分。好きとか嫌いとか、合うとか合わないとか、そういうニュアンスって株価のように変動するものなんですよ。時間という巨大な生き物の体内で生きているすべてのものは、老いて、古びて、色あせていく宿命なんです。好きだった何か。好きだった誰か。好きなものが移り変わっていくのは、服にしろ、人間関係にしろ、自分の価値観が移り変わっているからで、それは今の自分が自分らしく生きていることの証拠でもあると思う。何にしろ、別れっていうのは悪いことばかりじゃないです。ちなみに私は、好きだった服を捨てるか悩んだとき、その服を着た自分の姿が写真に残っているかどうかで判断します。写真があれば、その服を好きだったという証拠が残るので、捨てても大丈夫かなって思えます。私にとっての超バイヤ人も一緒です。大大大嫌いで許せなかったけど、ちょっと好きなところを、それだけは肯定してあげてもいいかなって思えた時、嫌いが無関心になりました。楽しかった時間や嬉しかった言葉だけ、心に残っています。

 

 

最後に

ブログの投稿をサボっていたら、色んな感情が心の中で渋滞を起こしてしまって、危うく気が触れそうなところでした。定期的に書かないとな。頭の中で考えているだけだと、あれやこれやと色んな感情が混ざってしまって、禍々しい何かが生み出されてしまうようです。ここ数週間、自分を含めたすべての人間をほんのりと嫌いになりました。理由も意味も特に見当たらない。自分でも怖いです。なので、頑張って投稿します。

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ひとりごとより。/『少女は卒業しない』朝井リョウ

無駄

ままならないから私とあなた

ごきげんよう!ひとりです。最近は朝井リョウさんの作品にハマっています。桐島、部活やめるってよ『何者』を書いた方ですね。個人的に一番好きな作家さんです。なんとなく、朝井リョウさんの本は、GReeeeNの曲を流しながら読みたくなる『オレンジ』とか。そういえばもう、GReeeeNじゃないんですよね。GRe4N BOYZに改名しましたよね。慣れる日は来るのかな。そんな、GRe4N BOYZの音楽が似合う、朝井リョウさんの作品。エッセイも小説も、勝手にシンパシーを感じてしまうほど私好みの作風。その中でも『ままならないから私とあなた』は、もしかしたら私が自分で書いたんじゃないかって錯覚しそうになるくらい、私の価値観がそっくりそのまま映し出されていました。今回のひとりごとでは、この『ままならないから私とあなた』を読んで、改めて炙り出された自分の価値観を残していきたいなって思っています。

あらすじ。「天才少女と呼ばれ、成長に従い無駄なことを切り捨てていく薫と、無駄なものにこそ人のあたたかみが宿ると考える雪子。すれ違う友情と人生の行方を描く表題作。」裏表紙の内容紹介をそのまま拝借しました。本屋さんで購入の決め手となった二文です。私は自分が雪子寄りの人間であると思っているし、薫みたいな人間にも会ったことがあって、どうしても他人事とは思えませんでした。主人公は雪子なので、それも相まって完全に感情移入できた。でも、多分、薫寄りの人間も絶対に存在して、そういう人が読んだら主人公にイライラしちゃうのかなとも思った。登場人物も読者も、全員含めて“ままならないから私とあなた”ってことです

 

ところで、裏表紙の内容紹介と言えば、小学生の頃の読書感想文を思い出します。何を思ったのか、「裏表紙の内容紹介を書いておけば、なんか、それっぽくなるんじゃない?!」って閃いて、あらすじをそのまま感想文として書いて提出したことがあります。重松清きよしこ。今でも覚えている。“印象に残った場面を絵に描いてみよう!”の欄には、表紙の絵をトレスして提出。まあ、「なんかそれっぽく」はなったけど、なんとも頭の悪い小学生でしたね。もしも今、読書感想文を提出しろって言われたら、ノリノリになって書くのにな。そんな宿題を出してくれる人はもういないので、こうしてひとりごとに書いていくってわけです。

 

無駄なもの

世界に存在する全ての事柄を、“無駄”“必要”かの2種類に分類しようとした時、ほとんどのものが“無駄”のラベルを貼られるんじゃないか。私はそう思います。ほとんどのものは、無くても生きていけると思うんです。例えば、私はドラゴンボールが好きでドラゴンボールのない人生なんてもう考えられないけど、世界にはドラゴンボールを知らずに生きている人もたくさんいる。ドラゴンボールは無くても事が足りるわけで、「生きるために必要なものだけを経験できればいい」と考えるのであれば、ドラゴンボールは“無駄”に分類されちゃうのです。『ままならないから私とあなた』の中で薫が主張するのは、正にこういうこと。薫は、体育の授業は毎回休むけど、水泳の授業には出席します。それは、バスケやサッカーが出来たところで人生の何の役にも立たないけど、水泳はもしも溺れた時のために役に立つから。放課後の部活動も、「頑張ったところでプロになれるわけじゃないのに、どうしてそんなものに時間を費やすんだ」って。「“無駄”なものなんて全部切り捨てて、“必要”なものだけを経験していけばいいじゃん」って、薫はそう主張します。

確かに、そう言われてみれば、もっともらしく聞こえます。日々の生活の中で、中高での部活の経験が役に立つことはそうそうありません。ましてや、浪人期やニート期なんて、無駄そのものと言えるかも。失敗なんてしなくて済むならしない方がいいし、近道が出来るなら遠回りなんてしたくない。だけど、そうやって“無駄”なものを全部切り捨てていくと、私という人間を構成するものは何も残らなくなります。無駄なものこそが、各々の“自分らしさ”をつくりあげていくのではないでしょうか。それに、失敗や遠回りの中でしか得られなかったものもあって、それらを一様に無駄と切り捨てることはできない。無駄なものに意味を宿していくのが、人生なんだと思います。そもそも、生まれてくる意味とか、生きる意味とか、死んでいく意味とか、そういうところまで突き詰めて考えれば、この世界に絶対に必要なものなんてないんじゃないかな。無くても生きていけることを、無くては生きていけないことに変換していく。そうやって生きていくのが人間という動物なのでしょう。そのために、人間には理性が備わっているのかもしれません。

 

かたちあるもの

小学生の頃、クローバーが大好きでした。クローバーがモチーフの文房具を集めたり、シール帳をクローバーのシールでいっぱいにしたり。何故だかわからないけど、とにかくクローバーが好きでした。多分、当時の女児の間で流行っていたんだと思います。はぴはぴクローバーって漫画も人気でした。そんな中である時、親に「クローバー」のWikipediaのページを印刷してもらったことがあって。ただのコピー用紙なのに、当時の私にとっては特別な宝物になったのを覚えています。今はスマホで何でも調べられちゃうけど、当時はパソコンでしかインターネットを使えなくて。それも一台を家族で共有している状況だったので、親に頼らないと自分の好きなものにすらアクセス出来なかったんですよね。自分の好きなものを親に伝えるのだって、恥ずかしく感じる時期で。そんなこんなで印刷してもらったプリントは、ちゃんと読み込んだ覚えもないけど、私の「好き」の証明になった気がしたんです。そういう「好き」で自分が構成されていくのが、子どもながらに心地よく感じました。

好きかどうかは別として、大学受験の参考書に対しても、似たようなものを感じます。参考書は、自分の努力とかその結果とか、そういう抽象的なものを形に残してくれている気がした。だから、書店に行けば意味もなく大学受験の参考書コーナーをウロウロしたし、新しい参考書を見れば自分ののびしろを表しているようでワクワクした。

 

抽象的なものを形あるものに重ねるのって、なんだか気持ちが良くなります。三島由紀夫の『金閣寺』で主人公の溝口が金閣寺を燃やす描写なんかもそう。私は、自分の中に溜まった悪い感情と決別する際は、悪い感情を自分の髪の毛に重ねて、バッサリ切るようにしています。初めてそれを決行したのは、中学の修学旅行の帰り道。ホームシックになっている自分がなんとなく気持ち悪くて、千円カットでショートヘアにしてから帰宅した。最近だと、会社を辞めた時。勤めていた頃は美容院に通う余裕なんてなくて、逃げ場のないストレスが心身に溜まっていくのを表すかのように伸びっ放しになっていた髪を、退職してすぐに切り落とした。まあ、髪を切ったからと言って何かが変わるわけじゃないけど、とにかく気持ちが良かったです。Wikipediaのコピーも、大学受験の参考書も、バッサリ切り落とした髪の毛も、全部“私らしさ”を構成するモノ・コトであって、他人から見たら無駄なモノ・コトかもしれないけど、私から見たら愛しいモノ・コトなんです無駄なものに意味を宿していくって、こういう感じなんじゃないかな。それを言いたかっただけなんですけど、なんだか、しっちゃかめっちゃかになっちゃいましたね。すみません。いつか気分が向いたら書き直すかも。

 

「無駄」という呪文

私には嫌いな言葉があります。「無駄」と「しょうもない」です。大学生の頃、親しい関係にあった超バイヤ人が、口癖で毎日のように吐いていた言葉。ちなみに、超バイヤ人とは自己愛性PDを持つ人間のことで、戦闘狂のような彼らを私が勝手にそう呼んでいるだけです。「オメエはサイヤ人か!」って言いたくなるようなヤバイ人間が、この世には存在するんですよね。ラディッツみたいな、笑えないサイヤ人「無駄」が口癖になっている人間に出会うまで、その言葉を意識したことがなかったけど、簡単に口にしてはいけない呪いのような言葉だと思います。もちろん、無駄だと思うこと自体は各々の自由ですがね。

n-project.hatenablog.jp

 

「無駄」という言葉は、理由も言わずに相手のことを否定できる卑怯な言葉だと思うんです。「無駄」という言葉には必ず言い換えが存在します。“言い方”ってやつですね。例えば、遠回りをしている人がいたとします。道草を食いたくて遠回りしているかもしれないし、好きで遠回りしているわけじゃないのかもしれない。好きで遠回りしているわけじゃないけど、遠回りしている事実と向き合っている最中かもしれない。そんな人に対して、「あなたのやっていることは無駄だ」と言うのは、親切でも何でもありません。そこに至るまでの過程とか背景とか、その人の辿って来た軌跡が描かれたページをビリビリに破り捨てて、まっさらなページに取り残すようなものです。むしろ身動きが出来なくなります。「こっちの方が近道になるけど、どう?」とか、他にも言い方はたくさんある。あえて他人の人生に首を突っ込むんだったら、「無駄」という言葉は選ぶべきじゃないと私は思います。「無駄」の一言で片を付けるのは、“言い方を考えて相手を傷つけずに伝える”という努力を怠るってことです。

「無駄」っていうのは感想と同じです。無駄の範囲は人によって異なります。誰かにとって無駄なものと、自分にとって無駄なものは、必ずしも重なるとは限らない。あたかも一般論みたいな言い方をして「無駄」という言葉を使うのは、誤用です。それはただ、自分の価値観を相手に押し付けているだけです。つい熱くなってしまったけど、私がここで言いたいのは、「無駄」が口癖になっている人間への非難ではありません。「無駄」という言葉で“自分らしさ”を否定された側の人に、「その言葉は、発した側の感想かつ価値観に過ぎないから、気にしなくてもいいんだよ」って言いたいんです。

 

理詰めというものは、正しい時ももちろんあるけど、ほとんどはパフォーマンスみたいなものです。マジックと一緒。明らかに間違ったことを言っているのに、明らかに正しいように聞こえてくる。そういうトリックです。そのことに気づくまでは錯覚に陥りますが、タネが明かされたら、大したことなくて拍子抜けします。こういう理詰めマジシャンは、「無駄」という言葉も頻繁に使うわけです。あたかも一般論かのように、相手のことを「無駄」という一言で否定します。否定された側は、自分がおかしいんだと錯覚する。だけど、「無駄」っていうのは理詰めマジシャンの感想かつ価値観であって、一般論では全くもってないんです。マジックの手法は他にもたくさんあります。論点のすりかえとかね。理詰めマジシャンって、特に論点のすりかえに関しては、感心してしまうほどテクニックに優れているんですよ。きっと、その道の“いろは”に当たるんでしょうね。例えば、二次関数の話をしている時に、彼らは三次関数を引き合いに出すんです。三次関数の解答、それ自体に関しては正しいことを言っているから、話しているうちにどこがおかしいのかわからなくなってきて、指摘できなくなる。そうやって惑わされていくんです。さらに上級マジシャンの手にかかれば、一つの会話の中で論点のすりかえが何回も行われて、気づけば“おかしい”のミルフィーユが出来上がります。そうなればもう指摘するのは不可能です。良くても水掛け論止まり。

『ままならないから私とあなた』でも、薫は典型的な理詰めマジシャンです。私自身、薫のマジックのタネに気づくまで、まあまあ時間がかかった。リアルタイムでは言い返せないです。雪子と薫は幼馴染で親友という関係性なので、二人で仲良くしていましたけどね。個人的に、理詰めマジシャンとか、超バイヤ人とか、相手を否定して自分の価値観を押し付けてくるタイプの人間とは話すだけ無駄だと思います。私がこの世界で唯一無駄だと思うことです。

 

 

最後に

「相手を否定する言葉を発するのではなく、従うかどうかは別にして、自分と違う考えの人間がいるということを受け入れる。」主人公の雪子は、相手が大切にしているものを自分の中の正しさで排除しないだけの想像力が身についたと言っていました。言い換えればこれは、薫が雪子にしてきたことの裏返し。つまり、薫は雪子を否定したり、雪子の考えを自分の考えとは違うからと言って排除したりしてきたってことです。それを踏まえて、雪子は、自分がされて嫌だと感じたことは他人にはしないって精神なんですよね。でも、薫とか、理詰めマジシャンとか、超バイヤ人とか、彼らと話すのは無駄だと思うけど、彼らと話したことは無駄じゃなかったと思うんです。その経験のおかげで、“自分がされて嫌なこと”に気付けたわけだし、“他人にはしないようにしよう”って気を付けることも出来るようになったわけですから。

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ひとりごとより。/『少女は卒業しない』朝井リョウ

総集編

ごきげんよう!ひとりです。

今回はですね、今までチョイチョイ話題に出してきた「デブのボストロール」の総集編になります。ただの愚痴回です。普段のひとりごとでこの存在を少しでも召喚してしまうと、その回自体が愚痴回になっちゃってそれが嫌なので、もうまとめることにしました。でも、愚痴回になるのは不本意だけど、この存在について書いた日は“ザ・カタルシスを得られるんですよ。私怨という私怨が成仏していくんです。これは利用するしかない!と。眠れない夜は、デブのボストロールによるトラウマに苛まれる。そんな夜から解き放れるために、いざ書き行かん!と。私だけが得する回です。出来るだけ人様に読まれても恥ずかしくないように言語化するつもりですが、きっと冗長な内容になるかと予想されます。それでも読んでいただけたら、幸いです。SATCキャリー・ブラッドショーに成りきったつもりで、心に清少納言を宿して、書いていきますね。

 

デブのボストロール

まず、「デブのボストロールとは何ぞや?」というところから説明していきますね。友達の結婚式に出席したら、その場にいた。本当にたったそれだけです。まあ、それだけならわざわざ蔑称なんて付けませんよ。別にただ太っているってだけじゃ、私もデブなんて言葉は使いません。知り合いでも何でもない太った男性に、粘着されたんです。ブログのネタにでもしないと心が病み続けてしまいそうなほど、不快な思いをしました。その心証から、「デブのボストロール」なんです。でも長いので省略したいところ。「デブ」はただの悪口だし、「ボストロール」だとドラクエに失礼なので、デブトロールって呼ぶことにします。

デブトロールを一言で言い表すのが結構難しい。こういう存在を検索にかけて、同じような被害に遭った人との共感を得たいんですけど、なかなか「これ!」と言った表現が思い浮かばない。強いて言うなら、千と千尋の神隠し』で千を追いかけ回すカオナシ。これが今のところ最も言い得て妙だと思います。だから、ここから先はカオナシを想像して読んでみてください。

ところで余談なんですが。ちょうどデブトロールに追いかけ回されていた時期、ネットでは毎日のようにとある女優の不倫報道が流れていました。不倫相手はとあるシェフだったんですけどね、見た目がデブトロールとそっくりなの。こんなこと言うと怒られちゃいそうだな。そのシェフがデブでボストロールみたいだって言っているわけではないのでね。あくまでも、外見が似ているってだけ。有名人の不倫とか、普段は全く興味ないけど、この不倫報道だけはトラウマを彷彿とさせて毎日吐きそうになっていました。

 

セクハラとか痴漢とか

デブトロールは一挙手一投足がキモかったんですけどね、これだけは絶対に許せないってことがあって。それは、私のパーソナルスペースを侵してきたこと。これは心理的にも物理的にもなんですけど、まあ心理的なパーソナルスペースは常に侵されていたのでまた別として、ここでは物理的なパーソナルスペースの話をします。このデブトロール、初めて会った日に私の髪の毛を触って来たんですよ。顔のすぐ横にある髪をね、梳いてきたんです。本人は脳内で“サラー”って音が聞こえたかもしれないけど、私からしたら“ゾワゾワゾワー”です。今これを文字で打っているだけで鳥肌が立ってきた。もうね、MOTHER2のゲップーの方が可愛いもんですよ。キモすぎます。髪の毛も、頭も、体の一部なんです。勝手に触るならそれはもうセクハラとか痴漢とか、そういう罪に当たります。異論は認めません。許されていない関係性で他人の体を勝手に触るのは、救急などの緊急性がない限り、犯罪とみなされてもおかしくないです。これは完全にアウトの事案。

さらにもう一つ、私的アウト事案があって。このデブトロールね、エスカレーターで真後ろに乗ってくるの。一段も空けずに、真後ろです。夏だからただでさえ外は暑苦しいのに、デブが真後ろにいるんです。体積のせいで、マジでゼロ距離。エスカレーターに乗りながら何かと話しかけてくるけど、後ろを向けばどこかしらが接触してしまうんではないかってくらいに近くて、何より狭い。当然後ろは向きませんけど、それでも余裕でパーソナルスペースの中にいるんですよ。もうこれ、キモいとか怖いとか、罵倒の言葉しか出てこない。髪を触られるのも、エスカレーターで真後ろに立たれるのも、今まで意識したことがなかったけど、互いにパーソナルスペースを共有し合える関係性でしかやってはいけないことですね。そもそも、パーソナルスペースを共有し合っている関係性でも、そういうことを実行してきた人がいなかったな。やった後や、やられた後じゃ遅いのでね。注意喚起も含めてこれを最初に持ってきました。

 

シンパシー

人は誰しも恋をすれば、相手との共通点を探して一喜一憂し、その恋の正当性を証明するために“シンパシー”を掻き集めるものです。それがやや強引であっても、共通点として換算し、「二人は似ている!相性がいいのかも!」と舞い上がります。やっぱり趣味嗜好が似ていると、それだけで運命みたいなものを感じちゃって、嬉しくなりますよね。これはもはや恋とか関係ない気もします。海外の人が「ドラゴンボール大好き!」って言っているのを見ると、私もとても嬉しくなります。

少しだけ爽やかな風を吹かせたところで、本題です。先ほど、「やや強引に共通点として換算することもある」なんて言いましたが、デブトロールは“やや強引”ではなく“無理やり”共通点をこじつけようとしてきます。デブトロールが私に初めて話しかけてきた時の話。「君の名前、当ててあげようか?ひとりちゃんでしょ!」と言われて、「え、すごい、なんでわかるんですか?」なんてしょうもない会話をしていました。今思えば、名簿でも見たのでしょう。まあまあキモいけど、こんなんはよくあるナンパと同じでスルーすればいい話です。だけど、“終わりキモければ全てキモい”って言いますよね。やっぱり私にとっては最初からずっとキモいんです。

 

そんなファーストコンタクトは置いといて、無理やり共通点をこじつけようとしてきた話ね。ちょうどその時ファイナルファンタジーにハマっていて、「FFが好きなんです~」とか話していたんですけどね。デブトロールはFFをプレイしたことがないらしくて、突拍子もなく「やっぱりドラクエがいいよな、DQは全部プレイしたよ」って言われました。「私は、DQは8しかプレイしたことないな」って言うと、「うん、やっぱりDQが好きだよね、同じだね」って返ってきて。DQも好きだけどFFが当時のマイブームだったし、会話が力技で押し曲げられていくのを見て、「あー、無理にでも共通点をこじつけたいんだな」って下心が見え透いた気がしました。そして、その見立ては間違っていなかったなって、今でも思う。それにしても、これに関しては自分も気を付けないといけないですね。好きでも何でもない相手に力技でシンパシーを感じられても、怖いんだなって。反面教師です。

作品が理不尽に汚れていくのも嫌だから、ここではあえて略称を使ったけど、一番被害を被った作品がスラムダンク。私はスラムダンクが大好きでそれは今も変わらないんですが、デブトロール身勝手で無理やりなシンパシー捏造のせいで、スラムダンクを思い浮かべるともれなくデブトロールも付いてくるようになりました。理不尽にトラウマになった。これも絶対に許せない。詳しくはこの後で話しますね。最近よく思うのが、好きなものの話って、誰彼構わずにするもんじゃないなって。「嫌いなものの話をするより、好きなものの話をした方がいいじゃん!」なんて考えて生きてきたけど、「好きなものの話をするってことは、好きな気持ちとか好きなものそれ自体が、汚されたり傷つけられたりする可能性があるってこと」そう思うようになりました。自己開示って、案外重いもので、取扱注意なのかも

 

ちなみに、会話の流れで「本をよく読む」って話をしたことがあって。デブトロールは透かさずその言葉を拾って「最近は何を読んだの?」と聞いてきました。「上下巻ある、とある海外文学だ」ってことを伝えたら、後日、上巻を購入して読み始めたとの報告。こちらにも好意があれば「キュンです!」になるけど、終わりキモければ全てキモいです。

 

新宿事変

『THE FIRST SLAM DUNK、ひとりごとでは初めて言うんですが、実は映画館で10回くらい観ています。めちゃくちゃ好きなんです。でもあまりスラムダンクの話をしないのは、マジでデブトロールのせい。髪の毛触ってきたことと、エスカレーターで真後ろに立たれたことと、スラムダンクにトラウマを植え付けたことは、一生許さないと決めています。

当時ニートになってから引きこもりがちになっていた私は、「健康のために太陽を浴びないと!」って意識していました。だから毎週水曜日の映画料金が安くなる日は、外に出るための口実として必ずスラムダンクを観に行った。何回観ても面白くて大好きだったし、太陽を浴びることになるし、一石二鳥じゃん!ってね。漫画だって何周も読んだし、アニメだって2周した。流石にそろそろお腹いっぱいだって頃に、デブトロールスラムダンクの映画に誘われて。誘い方がまあ強引でしたね。スラムダンクが好きってことと、何回も映画館で観たってことは、もちろん伝えてありました。だから誘われたとき結構渋くて、「IMAXなら行ってもいい」と条件を出したんです。その上で向こうが日付を指定してきて、当然IMAXの上映について調べてくれているものだと思っていました。それが前日になって、「今調べたんだけど、その日IMAXの上映はないんだって、どうしよう」って。「じゃあ、その日の予定はなしってことで〜」の方向に持って行こうとしたら、今度はDolbyを提案してきて。チケット代も出すって言っているし、結局Dolbyで観ることになりました。でも上映時間がかなりの早朝で、私の家から遠い映画館だったから、朝4時起きなの。Dolbyでも渋いのは変わりません。いざ映画館に着くと、上映時間も迫っているのに、来ないわ、音沙汰ないわ。寝ブッチされました。チケットもデブトロールが取っているから、私じゃどうにもできない。でも頑張って朝早く起きて、長い時間電車に揺られて、目の前にはDolbyがあって。最終的に自分で新しくチケットを買って一人で観ました。ゴリが倒れるところで私も倒れかけたけど、睡魔と闘いながらなんとか最後まで観戦した。とんでもないのが、シアターを出てスマホを確認しても未だに連絡が来ていないんです。眠いから帰ろうと駅に向かっていたところで電話が来た。帰ればよかったのに、合流しちゃったんですよね。あの時の自分が憎いです。

 

合流してからも酷かった。またまた余談ですが、うる星やつらでテンちゃんとサクラがデートをする回があります。テンちゃんは自分で手紙を書くことができないから、あたるが代わりに手紙を書いてあげて、さらにデートの段取りまで決めてあげるんですけどね。その裏にはあたるの悪だくみがあって、テンちゃんがサクラに嫌われるようにと、最低最悪の手紙とデートを用意・計画するって話。ギャグ漫画なんでね、“最低最悪のデート”っていうのが、本当にこれ以上はないってくらい最低最悪に悪趣味なんですよ。一瞬でこの話が頭によぎるくらい、デブトロールの選ぶ先も、すべてが悪趣味でした。

第一に連れ回されたのが、歌舞伎町タワー。よくわからんチェーン店の一番安いうどんを食べさせられました。一応言っておくと、ありえないほど遅刻して来た人間が、待たせた相手を最初に連れ回した先です。第二に、ジェンダーレストイレ。「ほら、あの巷で話題の、ジェンダーレストイレ!」って。トイレに入るわけでもなく、野次馬のように観光して、そこを撤退しました。第三に、メンズ伊勢丹。メンズ伊勢丹なんて初めて入りました。年齢層高めの男性しかいない。【そんな中を、女性を連れて、見せて回りたかったのかな。】そこではデブトロールの買い物に数店舗付き合わされて、最後にデブトロールが高級革靴をショッピングする姿を長々と見させられました。【高級品を買っているところ、見せたかったんだろうな。】第四に、デブトロールの最寄り駅にあるカフェ。カフェではナンセンスな会話どころか、デブトロールによる失言が何度も繰り広げられていました。私を人形だと思っているのかってくらい、私の気持ちがどこにもない。

 

その日は一秒でも早く帰りたくて、「夕飯は家族と食べるからそれまでには帰る」と伝えたんですけど、「なんで?何かあるの?」って。【??え?家族との夕飯って言ったじゃん。】私が言い出さなければ夜まで振り回されていただろうし、家族との夕飯くらいブッチしてほしいと言わんばかりですよね。もうなんか本当に、全てが怖かった。ここまで相手のペースに合わせてあげたのも全部、結婚式を挙げた新郎新婦、要は共通の知人のメンツを気にしたからであって。めちゃくちゃ無理したし、めちゃくちゃ頑張ったし、めちゃくちゃ気を遣ったし、めちゃくちゃ疲れた。そして、めちゃくちゃ不快な思いをした。そろそろ限界が来そう、もう帰ろうかなって時に、「(体調が悪いって言っているけど)でも元気そうに見えるけどな」と。【はい、クリティカルヒット。急所に当たった!効果は抜群だ!HPは残り1の瀕死状態!ピコン・ピコン・ピコン・ピコン。】これから数か月、言語化できないくらい心身が疲労しました。自分の気遣いとか努力とか、善意で費やしたもののすべてが、目の前で燃やされて灰となっていきました。チリヂリの、チリヂリの、チリヂリ。これが、知り合ってから会って二回目の、たった一日だけで起きた話。新宿で勃発したので、新宿事変と名付けました。

 

下心

デブトロールの特徴を一言で表すなら、自分本位とか、強引とか、独りよがりとか、エゴイストとか“相手の気持ちを一切考えられていない人間”を意味する単語が挙げられます。その「相手の気持ちを考えていない行動」の心理というものが、私には手に取るようにわかっちゃうんです。下心が見え透いているんですよ。好意を抱いている相手に自分の下心がバレているわけなので、もし私がデブトロールだったら、穴から出られなくなるほど恥ずかしい話。まあ、相手の弱っているところに漬け込みたかったのかなって思います。パワハラを受けて心も弱っているニートなんて、力技で押せば時間をかけずに自分のものにできるとでも思ったのでしょう。シンパシーの話もそうだけど、すべての行動にそういう下心が見え透いているんですよ。

結婚式の二次会で、みんなでワイワイ話している時に、デブトロールが自分の会社のセクハラ事案について話していたんですよ。セクハラにおいて無法地帯の環境にいるらしくて、「このご時世、訴えられることも普通にあるから気を付けた方がいいですよ~」とか言っていたら、「どういうことを言ったらセクハラになるのか教えてよ」と。みんながいる前だったし、初対面の間柄だったから、失礼のないように「じゃあ、“友達として”言わせてもらいますね」と前置きをしたんです。後日、どんな会話をしていたか覚えていませんが、「俺たち友達じゃないじゃん?」って言われました。【??!?そりゃ知り合い未満だけど、「そうですね知り合い未満ですもんね」とか言っていいの?】なんて内心ザワザワしました。私が「友達として」という言葉を出したことに対して、「まだそこまで仲良くない」という牽制をしてきたのではない。それは明確であると思った。髪の毛を触ってきたり、エスカレーターで真後ろに立ってきたり、そんな距離感の人間が放った言葉です。きっと、“友達として”じゃなくて“異性として”見て欲しかったのかなって。私の中にある“友達ルート”を消去しに来たのかなって思いました。

 

新宿事変の後の話。あの後一切会っていないし、もう一生会うこともないし、LINEもブロック削除したんですけどね。まあブロックする前にLINEが何件か来ていたんですよ。LINEまでキモくて、すべてのメッセージに下心が見え透いているの。もうここまで来るとコントに思えてきます。マジで、「キモい」の芸術点が高いんです

新宿事変の日、家に帰ったらメッセージが来ていました。ある日付を指定してきて、「海外出張から帰ってくる日だから遅くなるけど、会えないか」って。わざわざそんな日に会わなくていいし、夜に会いたくないので、「その日はお疲れでしょうし、無理しなくてもいいんじゃないですか」と返したんです。そしたら「うん。そっか。わかった。」って。急に感じ悪くなったから、何か気に障ること言っちゃったかなって私も焦って、「まあまた別の機会にでも~」ってその場を取り繕おうとしました。それでも「うん。そうだね。わかった。」と。私の頭の中は“共通の知人のメンツ”でいっぱいで、何か失礼なことをしてしまったのかとめちゃくちゃ焦った。これが新宿事変の日の夜です。一夜が明けてもHPは残り1のまま。でも、「そもそもなんでこんなに相手のことを気にしないといけないんだろう」って思った時、やっと自分の置かれている状況に気づいた。好きじゃないし、キモいし、怖いし、不快だし、疲れたし、それらの原因がすべてデブトロールなわけで、「そんな相手に自分はいったい何をしているんだろう」と心底情けなく感じた

 

もう全部がどうでもよくなって、“デブトロールは私にとってどうでもいい人間”というラベルを貼り付けたくらいの時に、再度LINEが来ました。「どうしてもその日に会いたいんだけど、ダメ?」って。急に感じ悪くなったことの答えがわかりましたね。「(そんなに無理してでも、私に会いたいと思ってくれるなんて、嬉しいです。会えるのなら、私も会いたいです!を期待していたらしい。期待した返答が来なくてショックを受け、それが滲み出ちゃっていたんです。思い返してみれば確かに、感じは悪いけど、メッセージから哀愁が漂っていました。それでももう私は会いたくないし、HPも1にされて誰にも会えない状況だったので、「昨日(新宿事変の日)から体調がすこぶる悪くて、しばらくは誰にも会えない状況だ」ってことを伝えました。暗にあなたのせいですよーって言ったつもりで。それに対して3件くらい返事が来ました。もう開くつもりもないから、開かなくても見える最後のメッセージだけ見ると、「出張先でお土産を買って、待っているから!」と。具合悪くてしばらく人に会えないと言っている人間に対して、隙も無く、会う口実をこじつけてくる。【本当にドン引き、ストーカーなんか?】メッセージを非表示にして完全無視を貫いていたら、一週間後に追いLINEが5件「アマプラのあの番組見た?やばくね?」って。非表示にしていた分と合わせてLINEの通知が急に10件くらい増えたから、それも怖かった。【「このまま疎遠になるのは嫌だ」という自分の欲求のために、相手の状況も考えずに、アポやコンタクトを取り続けていたかったんだろうな】単純接触効果というのは、好きな人が相手なら好きになっていくけど、嫌いな人が相手なら嫌いになっていくみたいです。世にも奇妙な物語でタモさんもそう言っていた気が、しなくもないです。

 

タイプ:ワイルド

これはちょっとくだらない話になるんですけど。デブトロールが自分の好みの女性について話していたことがありました。究極に知らんがなって話で申し訳ないのですがね。有名人を何人か挙げていて、全員面白いくらい見た目が似ているんです。どうやら好きな女性のタイプは一貫しているらしい。また別の会話で、私に似ていると思う芸能人とやらも教えてくれました。それがね、どう考えても私はデブトロールの好みに当てはまらないんです。

ここで有名人とか芸能人の名前を出すのは控えたいので、わかりやすくNARUTOで例えますね。デブトロールが好きだと言う女性のタイプはヒナタみたいな感じで、私と似ていると言った芸能人のタイプはサクラみたいな感じ。顔面偏差値とかスタイルとか雰囲気とか、全てを考慮しても、これ以上でもこれ以下でもない最適な例だと思います。ヒナタとサクラ、全然似ていませんよね。ここまで粘着してくるんだから、私のことが超どどど・どタイプなのかと思っていました。誰でもいいのかよ!ってね。ただただ彼女が欲しいだけみたいです。それなのに、よく知りもしない私という人間に、ありえないほど執着してきたんです。【共通の知人もいるのに、よくそんなことできるよな。】まあ私のことが超どどど・どタイプであっても、キモいのは変わらないんですけどね。デブトロールがタイプ:サクラの私に、タイプ:ヒナタが好きなことをわざわざ公言してきたって話です。

 

全ての元凶

結婚式の二次会で酔い潰れた女の子がいました。この子も、私にとっては“結婚式で初めまして”の人だったけど、その場では出来る限りの介抱をしてあげた。キラキラのピン留めに、花柄のタオルハンカチ嘔吐していたので、私は彼女にあげる覚悟で自分の私物を差し出しました。その子は地方から結婚式に来ていたんですけど、ベロベロ過ぎて帰れないということで、男女数人がその子を抱えてデブトロールの家に泊まったそうです。これが全ての元凶となりました。

後日、その子が私のあげたピン留めとタオルを家に置いて行ったということで、デブトロールから連絡が来た。他人のゲロが付いたピン留めとハンカチなんて要らない。だけど、その日デブトロールが受けたであろう迷惑を想像したら、「捨てといてください」なんて言えなくて、引き取りに行くことになりました。全ての元凶となった女の子、私からしたらA級戦犯ですよ。デブトロールに会わないといけない口実を作った張本人ですから。デブトロールと一回目に会ったのが、この、ピン留めとハンカチを引き取りに行った日。この日に髪を触られたり、「俺たち友達じゃないじゃん?」と言われたりしました。スラムダンクの映画に、強引に誘われたのもこの日。共通の知人がいる手前、無下にはできない」という呪いに縛られて、とりあえず全部を受け入れていました。

 

今思うと、その呪いは恐ろしく危ない。例えば、もしデブトロールがいきなり交際を申し込んできたとすれば、失礼にならない断り方を考えているうちに、強制的に彼女にされていたかもしれません。まあ多分、私が“共通の知人がいる手前、無下にはできない”ってことを知っていて、そこにも漬け込んできたのかなって思います。最後の余談になるんですけど、これを経験してから、めぞん一刻三鷹さんが生理的に無理になりました。三鷹さんはイケメンで、お金持ちで、優しい男性です。そんな男性が追いかけてきてくれるわけですから、響子さんも三鷹さんと結婚すればいいのにって誰もが思います。私も学生の頃まではそう思っていました。でも、今読み返すと結構酷いことをしていて。なかなか煮え切らない響子さんの態度を目の当たりにして、交際すらまだ始まっていないのに、なし崩しに結婚に縺れ込もうとするんです。響子さんを「ただの食事だ」とだまして連れ出すんですが、行った先でいきなり両家の顔合わせが始まります。全部裏で三鷹さんが仕組んだこと。こればかりは、「どっちつかずでいた響子さんも悪い」なんて、口が裂けても言えないやって良いことと悪いことってあります。イケメンで、お金持ちで、優しい三鷹さんでもキモくて怖いんだから、デブトロールにそんなことをされた日には切腹するかもしれない。

まあね、フィクションなんでね。三鷹さんも響子さんも、各々が素敵な相手と幸せになって終わるので、本気で生理的に無理って言っているわけではありません。ただ、こういう風に“既成事実を作ったもん勝ち”っていう思考が恐ろしいですよね。デブトロールの時もそうだけど、こういう場合どう対応すればいいのか、未だによくわかりません。デブトロールに関しては、最速で対応できた方だと思うんです。だって、会ったのはたったの2回だけですよ。相手のことを何も知らずに拒絶するのも違う気がするし、そもそも共通の知人のメンツもあるからそんなこと出来ないし。それにしても、たったの2回であれだけキモさ全開にして相手を戦闘不能にできるんだから、「キモい」の天才ですね。権化ですらある。

 

 

最後に

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。もはや猛者です。物好きです。嘘です、この上なく嬉しいです。もうね、これを最後にデブトロールは封印します。会ったのはたった2回なのに、文章にすると1万字を超えました。ちなみに、LINEをブロックしてからちょうど半年が過ぎた頃、共通の知人から「デブトロールがひとりのことを心配していたよ」と聞きました。ストーカーになりそうで怖いです。共通の知人には話すつもりがなくて、だからここに長々と書いてきたわけですが。あまりに感情が乗り過ぎて、途中、デブトロールをデブって書いていないか心配です。でも、こうしてここで話せたことで、嫌な記憶や不快な気持ちが浄化していくようです。闇が深かった分、カタルシスも大きい気がします。明日から体調がグングンと良くなっていきそう。

独り言というものは本来、呟き程度のことを言うのかもしれませんが、今回はマシンガントークになってしまいましたね。本当に、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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ひとりごとより。/『少女は卒業しない』朝井リョウ

LINEでドン引き

ごきげんよう。ひとりです。

つい最近、こち亀両さんが大きくなっちゃう回を見ていたんですけどね。巨人化した両さんの町中を駆け回る姿が女型の巨人のそれで、「もうこれ進撃の巨人じゃん!」ってめっちゃ笑いました。さらに、巨人化させた張本人の“トンデモ教授”を両さんが手でギュって握っているのも、両さんの手から抜け出すために“トンデモ教授”が伸び縮みするワイヤーを使っているのも、もろ進撃の巨人を彷彿とさせるんです。

最後には地球に落ちてくる隕石を両さんが銭湯の煙突をバッドにして打ち返すことになるんですけど、隕石が落ちてくることを緊急事態として国民に発表している人物がいて、それがどう見ても小泉元首相なんですよね。『進撃の巨人』の連載が始まる前に描かれた話なのかなって。だとすれば、「進撃の巨人こち亀から発想を得たらしいよ!」って言われたら、嘘でも信じてしまうかもしれない。そんな、オマージュの方が先駆けているみたいな話でした。そこも含めてすべてが面白かった。ちなみに最後の最後、あまりにも大きすぎる隕石から地球を救うために、両さんが更にめちゃくちゃ大きくなるんですが、「もうこれガッシュのファウードじゃん!」って。涙が出るほど爆笑しました。やっぱりこち亀は、心から笑えるので体に良いです。

 

LINEの話

今回はゾワゾワした話として、「私的ドン引きしたLINE3選」を紹介していこうかなと思います。もしかしたら読んでいて心がザワザワしちゃうかもしれないので、そういう話をこれからするよ~という予告を、今ここでしておきますね。

LINEってメールよりも割とウェットな印象があります。既読とかブロックとか、面倒くさい要素が多いなって。私は、「もう一生会いたくないし、何が何でも会うことはない!」って思った時にブロックします。“メッセージが来た”って事実だけで心臓が痛くなるような相手は、精神衛生上良くないので、容赦なくブロックです。解除することも絶対にないので、ブロックするなら削除までします。こういうことを言うと、「突然縁を切られる相手が可哀想じゃん」って声も聞こえてきそうだけど、「そうなるまで不快な思いを強いられてきた自分も可哀想じゃん」って思います。まあ、よっぽどのことがない限りはブロックなんてしないのでね。あくまでも私の価値観です。

「不快な思いをした時に本人に指摘すればいいじゃん」って声も聞こえてきそう。でも、わざわざ波風を立ててまで親しくしたいと思わないから、ブロックするに至るんですよね。そもそも好きな相手ならほとんどのことは我慢できるし、我慢できない時はそれこそ指摘するし、ブロックしたいと思うようなことをしてこないから好きなわけで。まあね、大人になると体力も衰えてくるから、どうしても省エネになっちゃいます。会社を辞める時だってそう。表向きは体調不良を理由にしたけど、それは、わざわざパワハラをチクったところで辞める私に何のメリットもないから。辞めた後に改善されてももう遅いし、最後に余計なトラブルを引き起こすのも嫌だから、跡を濁さずに飛ぶんです。

なんて、長々と保険を入れときましたが、すべて私の個人的な価値観に過ぎないってことです。それでは、3選に行きますね。

 

鬼電

大学生の頃、友達の紹介で知り合った人の話。一度だけ食事に行ったことがあって、その日以来、毎日電話をかけてくるようになった。最初の方は「出られなくてごめんね」とか返していたんですけど、そもそも気軽に電話するほどの仲じゃなかったし、電話しようと約束していたわけでもないし、「いついつ、電話していい?」って前置きもないなんで電話をかけてくるのかわからないけど、多分緊急性はないもので、毎日懲りずにかけてくるんです。こちらが返信する隙も無くかけてくるから、流石に怖くなってブロックしました。まあこれは序の口ですね。鬼電ってだけなら、怖いけど、そこまで不快にはならなかったかな。いつかは諦めが付くでしょうから。

 

「生きてる?」

大学の頃からの友人で、普通に仲良くしていた子の話。ちょいちょい合わないなって思うこともあったけど、一緒にいて楽しい時間の方が長かったし、欠点なんて誰にでもあって自分も他人のことを言えるような人間じゃないから、“小さな違和感”程度なら全然気にしませんでした。でも、“小さな違和感”というのもチリ積もです。例えば、別の界隈で仲良くしている友達のことを「面白い子がいるんだ」ってちょっと話しただけで、会ったこともないのに悪口を言うとかね。好きで仲良くしている友達を理由もなく悪く言われると、やっぱり気分が悪い。それとか、「酔っぱらって誰かと話したい」ってだけで、深夜にいきなり電話をかけてくるとか。次の日朝が早いのに着信音で起こされた時は、我慢できなくなって注意した。

それでもなんだかんだ付き合いは長く続いたし、ブロックのブの字も頭に浮かんだことはありませんでした。だけど、私がパワハラにあって心身崩壊して会社を辞めて少し経った頃に、「生きてる?」ってLINEが送られてきて。余談なんですが、「おーい笑」と「生きてる?」は生理的に無理だよねって、中高の友達と話していたことがあります。それもあってまず、「生きてる?」って言葉に鳥肌が立ちました。次に、もし本当に死んでいたり、死にたいと思っていたりしたら、どうするんだろうと思いました。しばらく音沙汰がなくて生存確認ができなかったから、心配してそう送って来たんだろうけど、生存確認ができないからこそ送っちゃいけないメッセージじゃないかな。実際に私自身、死にたいと本気で思っていた頃の話ですから、不快でした。でも、自分の状況を伝えていなかったし、知っていたらそんなメッセージも送ってこなかったのかなと思えば、ギリギリ我慢できた。ちょうど連絡をくれたのを機に、自分の身にあったことを全部話しました。本気で死ぬことを考えたんだって。それほど苦しかったんだって。会社を辞めた話とそこに至るまでの経緯を、他人に初めて話した瞬間です。

後日、写真が一枚だけ送られてきた。メッセージも何もないの。見てみると、私の元職場を外から撮った写真でした。丁寧に現地まで赴いて、わざわざ建物の写真を送って来たんです。私が死にたくなるほど苦しい思いをした建物です。ちゃんとそう伝えていたんですけどね。シンプルにその行動と思考回路が怖かったです。おそらく、「やめてよーもう!笑」とか「いやー!笑」とか「やだー!笑」みたいなリアクションを期待したのかなって思います。ここまでくるともう我慢できなかったし、あまりにも価値観や感性が違い過ぎるから、一生会いたくないと思ってブロックしました。

 

追いLINE

最後はデブのボストロールです。ひとりごとの常連ですね。一つ目も二つ目も、当時は不快すぎてなかなか忘れられなかったけど、デブのボストロールがその二つを凌駕するスコアを叩き出したので、もうすっかり忘れちゃいました。キモさの芸術点が高くて、今まで生きてきた中で、ダンダンダントツでドンドンドン引き。これまでのひとりごとで度々話題に出してきたので、詳細は省いて簡単に説明しますね。私は新婦の友人として、デブトロールは新郎の友人として、お互い友達の結婚式に出席していた。たったそれだけの、知り合い未満の関係です。イノシシなんて言ったら可愛すぎるもんで、カバの中でも一番巨大なカバが、猪突猛進してきたように感じました。LINEとか関係なしに怖かったし、ストーカーになるかもしれないって思ったし、やっと回復し始めた体調が振り出しに戻るくらい具合が悪くなった。そんな人間の話です。

 

デブトロールは共通の知人がいる手前、あまり無下には出来ないのが厄介でした。「いついつなんだけど、この日は海外出張から帰ってくる日で、夜遅くなら会えるけど会わないか」ってLINEが来たんです。まず前提として、知り合い未満の関係性で夜に会いたいなんて、なりませんよね。その上で、気を遣ったつもりで、「その日はきっとお疲れでしょうし、無理しなくてもいいんじゃないですか」って返したら、「うん、そっか。わかった。」って。それまでと比べて急に感じ悪くなったんですよ。なんかいけないこと言ったかなって焦って、また機会があったら~ってその場を取り繕おうとしたんですけど、「うん。わかった。」って。わかったbotにでもなったんかってくらい、それしか言わないの。失礼なことしちゃったのかなってマジで焦った。でも冷静になって考えてみたら、「ここまで私が気を遣う必要なくない?」って。別に好きでも何でもないし、今まで散々失礼なことをされて不快な思いしたの、私の方じゃんって。「何をしているんだろう、私」って我に返ったあと、数か月単位でしばらく寝込みました。

我に返ってからはもうデブトロールのことなんてどうでもよくなって、放っておいたんですよ。そしたら、「その日どうしても会いたいんだけど、ダメかな?」ってメッセージが来ました。その頃には私もブロックのクの字まで頭に浮かんでいたので、気を遣うのもやめて、色に例えるなら白と黒の、最大限に他人行儀な、業務連絡っぽく、そしてあなたのせいでと暗に仄めかしながら、「具合悪くなったよ〜、もうしばらく人と会えないよ〜」ってことを伝えたんです。それに対して、「出張先のお土産買って待っているから」と。いや、買わんでいい。さらに、既読もつけないで無視していたら、一週間後にクソしょうもない追いLINEが5件。怖い。「あの番組観た?ヤバくね?笑」って。ヤバいのはあなたです。

縁が切れないようにって、何かとアポを取ろうとしてくるんですよね。きっと単純接触効果を狙っていたんだろうな。相手の事情を気遣うより先に、自分の欲求を通さんとする、その下心。弱っているところに漬け込もうとしたのか、全てが強引で北風のようでした。急に感じ悪くなったのも、「それでも、もし会えるなら会いたいです!」を期待していたんだと思います。すべてが悪手なんですよね。人に会えないほど具合が悪いって言っているんだから、しばらく放っておいてくれた方が印象良いのにね。これはもう、心臓が痛くなったのでブロックです。

 

 

最後に

あまり愚痴とか書きたくなかったんだけど、言葉にして昇華させないと、一生不快な思いを反芻してしまう気がして。カタルシスってやつですね。お目を汚してしまって、心をザワザワさせてしまって、ごめんなさい。デブのボストロールの話は、それだけの回を作って最後にまとめてから、もう封印しようかな。一挙手一投足が濃くキモくて、接触した時間なんて本当に僅かなのに、このネタだけで論文が書けそうです。もはや才能すら感じる。

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ひとりごとより。/『ピースオブケイク①』ジョージ朝倉

マイペース

物語

ごきげんよう!ひとりです。最近、ライフステージというものを意識させられて焦っています。焦る必要はないのにね。やっぱり風潮ってありますよね。義務教育が終わったら高校、高校を卒業したら大学、大学を卒業したら就職、適齢期に結婚・出産。この流れに沿って生きるのが当然、みたいな風潮。まあ、今平和に暮らせているのって、こういう流れのおかげなのかもしれませんね。戦後一度は無秩序と化した日本に新しい秩序が定着して、平和な社会が創られていったんだから、良いことです。

ただ、ライフステージが周りと違えば、生き遅れていると感じられてしまうのは、悪い風潮だなって思います。別に、たった一本の同じ道を一斉に歩いているわけじゃないんだから。道なんて人の数だけあるんだから、遅れるも何もないじゃんね。人生って、物語みたいなものだと思うんです。他人の物語を参考にするのはいいけど、他人の物語に気を取られて自分の物語が進まなくなってしまってはどうしようもない。他人の人生が自分のものになるなんて絶対にありえないことなので、この人の物語は面白いな!素敵だな!羨ましいな!って思うくらいがちょうどいいです。そしたら今度は、自分の物語と向き合うか!って。

BLEACHのアニメ主題歌に『マイペース』って曲があります。一つ数えて進めばいい。二つ数えて休めばいい。三つ数えて考えりゃいい。自分の人生、「マイペースで進めればいい」んです。

 

法律と倫理

死んだら何も残らないし、いずれ絶対に死ぬ。死後の世界なんてわからないけど、自分が死んだら、名誉とか、賞賛の声とか、そういうものは全部無くなってしまう。そう考えたことがあります。それは同時に、失敗とか、他人の視線とか、そういうものも全部無くなるってこと。何もかも無くなってしまうんだから、他人がどう思うかなんて気にするだけ無駄なんだなって。

今年、27浪目にして慶應に合格した人がいるらしい。この話を聞いて、「人生ってこういうことだ!」ってビビッときました。この方は、他人がどう思うかじゃなくて、自分がどう思うかで行動している。自分だけの「好き」とか、欲求とか、とかがちゃんとあって、それに向かって真っすぐ突き進んでいるんです。誰が何と言おうと、私にとってはこの方の生き方が正解な気がしてなりません。有名な大学に行って有名な企業に就職して、次はどんな夢を持たないといけないんだろうって、無意識に義務感みたいなものを抱いていました。「特にないな、どうしよう。結婚?出産?」って。でも、夢を更新し続けないといけないなんて、そんな義務はなくて。それに、いつの間にか「周りと同じようにライフステージを進むこと」が夢になっていた。その根底には、やっぱり、“他人がどう思うか”があったわけです。

人生において、気にするのは法律と倫理だけでいい。それだけちゃんと考えていれば、あとは、「自分の好きなことをする!」っていうのが正しい生き方だと思うんです。“他人がどう思うか”だけを考えて就職した結果、生きるための労働のはずが、働くために生かされていると感じるようになった。死ぬまでの暇つぶしとも感じた。あの頃、想像する未来は死ぬまで真っ暗で、死んでいるも同じみたいなものでしたね。心身壊れてニートになって落ちるところまで落ちたけど、不思議と、これからの人生の方が絶対に幸せだって自信を持って言える。新卒で入社した企業以上に条件や給料の良い会社にはもう就職できないって、わかっているけどそんなのチャラヘッチャラ。ニートになったことはむしろ、“他人がどう思うか”を気にしながら生きていく道から離脱できて、喜ばしいとさえ思います。これから先の人生、“自分がどう思うか”で生きていけるようになったんです。GReeeeNの『道』が流れてきそうな気分。好きなことがあって、好きなことをするために働く。お金持ちになるでもなく、ライフステージを進めるでもなく、いかにストレスフリーに好きなことをして生きていくかっていうのが、私にとっては重要なんです。

 

機嫌

私は自分の顔が好きです。ビジュアルのコンディションが良いってだけで、その日は一日中ハッピーでいられます。『可愛くてごめん』の主人公みたいな感じ。嫌なことがあっても、「まあ、可愛いから、いっか!」って思えます。自分で自分のご機嫌を取れるのは、自分の良いところだなって思う。でもその反面、ビジュアルのコンディションが悪い日は最悪です。特に写真に残っていると、それを目にした日は一日中萎えます。身体と心とビジュアル、これらの調子は比例するどれかが崩壊すると、他も道連れにガタガタと崩れていきます。逆も然りで、どれかが回復すると、他も諸共回復していく。最近になって気づきました。

というのもね、去年の春から夏にかけての話。体調において最悪のフェーズから抜け出せたってだけで、「自分はもう治ったんだ」と調子に乗ったときがあったんですよ。体調が悪くて会いたくても会えなかった人たちに会いに行ったり、人から誘われたらとりあえず出かけてみたり、とにかく他人との接触を心掛けるようにしていました。そんな中で、例のデブのボストロールにね、「元気に見えるけどな」って言われたんです。知り合い未満の関係で。それまでの私の経緯も伝えてある上で。そりゃ人と会う時くらい、無理してでも元気に振舞いますよ。その言葉をきっかけに、元気になったと思っていた身体も心も見る見るうちに萎んでいって、しばらく外に出られなくなりました。

別に会いたいとも思わない、好きでも何でもない相手に、無理して元気を装った挙句「元気に見えるけどな」とか言われて。自分は何をやっているんだと心底情けない気持ちになった。病人として見て欲しいわけじゃないし、元気を装うという努力が実った結果なので、どちらかといえば喜ばしいことなのかも。でも、相手が悪かったかな。「思ったより元気そうで安心した」っていうニュアンスじゃないからね、なんせ出会って間もない知り合い未満ですから。私の何を知った気でいるんだろうって。自分の精一杯の気遣いがその一言でゴミにされた気分。というか、“無理して元気を装っている”時点で、全然治っていなかったんですよね。

 

ところで、私はブログというものを大学生の頃からやってみたいと思っていました。実は何度か挑戦してみたんだけど、年齢のせいか、どうしても文章から承認欲求がプンプン匂ってしまって。自分でもキモいと思うくらいだったから、何度も頓挫しました。今は承認欲求以外の目的も持ち合わせて書いているので、幾分かマシになりましたけど。でね、「退職したら今度こそブログを始めたい」って辞める前からずっと思っていて。でも、いざ会社を辞めて時間が有り溢れていても、出来なかった。体調が悪すぎると、好きなこともできないみたい。会社を辞めて一年が経過して、やっと、始められた。このブログを始めたのが去年の12月なので、思い返せば去年の春から夏にかけてなんて、絶不調もいいところだったわけです。

最近、去年の春夏に撮った写真を見返していたんですけど。思っていた以上にビジュアルが酷かった。当時は自分でも可愛いって思えたんだけど、心身が回復するにつれてビジュアルも回復してきた今、その頃の自分が醜く痛々しく見えるんです。無理して平気なフリをしているのに、全然平気じゃない自分の姿が、痛い。無理して平気なフリをしてそのまま平気になってしまえば、逞しく綺麗に見えるんだろうけど、そうはなりませんでした。写真、消したいな。まあもう過ぎたことだし、私のビジュアルを気にしているのなんて世界に私しかいないと思うので、考えないようにします。ちなみに、ブログを始めてからグングンと体調が良くなってきました。好きなことをするって、大事ですね。逆に、好きなことをできないっていうのがあまりにも異常なのかも。

 

 

最後に

ドラゴンボールは、「私の好きな漫画ランキングBEST3」に入る漫画です。だけど実は、初めて読んだのはニートになってから。会社に勤めていた頃は毎日死にたいと思っていました。そんな私がドラゴンボールを読んで、あの時死なないで良かったって思えた。生きていて良かった、自分はドラゴンボールを読むために生まれてきたんだって。だから、鳥山明先生の訃報を目にした時、動けなくなった。会ったこともないのに、どうしようもなく悲しい。私じゃどうすることもできないけど、先生のおかげで意味が生じた自分の人生を、自分で守っていかないとって思います。間違ってももう、死にたいと思ってしまうような場所には行かないように、努力する。先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

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ひとりごとより。/『ピースオブケイク①』ジョージ朝倉

 

 

ちなみに、デブのボストロールに関してはこちらから。

n-project.hatenablog.jp

 

n-project.hatenablog.jp

 

Don’t you see!

ごきげんよう。ひとりです。

ZARD坂井泉水さん、ずっと見ていたくなるような美しい人です。美しい顔、美しい声、美しい言葉。美しい人は何から何まで美しい。スラムダンクマイ フレンドとか、ドラゴンボールGTDon’t you see!とか。汗と泥にまみれた青春の物語にも、真水のように綺麗な部分があって、それを掬い上げたような歌。そんな風に感じます。『DAN DAN 心魅かれてく』も、坂井泉水さんが作詞した曲です。彼女の曲を聴きながら街中を歩くと、自分まで清らかな人間になれた気がしてくる。

Don’t you see!』は、「私のことをわかってよ!」という少女の恋心を歌った曲。言葉や態度には出さないけど、心では一喜一憂していて、あなたのことが大好きなの。そんな感じの歌です。何とも可愛らしい乙女心。最近、恋の歌を聴くと「若いなあ」って感想が真っ先に出てくるようになった。まだ20代なんですけどね。今回のひとりごとは、『Don’t you see!』を聴きながら、昔思ったことと今思うことを話していこうかなって思います。

 

青ざめた恋

Don’t you see!』には「無理をして疲れて青ざめた恋は、予期せぬ出来事」って歌詞があります。この一節を聴いただけで、心当たりのある記憶がフワッと蘇ってきます。合わないのに合うと信じ込んだり、いつかは合う時が来ると期待したり。力技で合わせようとすると途中までは合うけど、あとで必ずその皺寄せが来て苦しむ。恋は無理をしてまでするものではないし、疲れを癒すものであって疲れるものでもないんです。ジョージ朝倉先生の『ピースオブケイク』という作品でも、無理をして疲れて青ざめた恋が描かれているんですが、もうそうなってしまうと二人の関係に劇的な回復は見込めなくて、出来るのは延命措置だけなんですよね。私は「無理をして疲れて」の文字を見ているだけで苦しくなってきます。

それでも、この少女は「いろんな人を見るより、ずっと同じあなたを見ていたい」って言っているんです。「あなたを超える人なんて、この世に存在するわけない!」ってやつですかね。これは、ブルゾンちえみの出番ですね。私がこの少女を「若いなあ」と思うのは、間違った一途をしているから。“あなた”の愛を信じているけど、それを止めたら楽になるってわかっている。」「ちょっと醒めたふりをするクセは、傷つくのが怖いから。」「たった5分の沈黙がものすごく長く感じた。これを聴くと、二人は合わないんだろうなって思います。本当は負けず嫌いなのに、“あなた”の前では言葉もスラスラと出てこないんです。だけど、“あなた”のことが大好きで、「私をつかまえていて」って。

 

不安を感じる恋に一生懸命な少女。そのひたむきさが純粋で美しい。たとえ間違った恋でも、誰かをそんなに好きになれるのは素敵なことだと思います。大人になればなるほど、間違いに警戒しやすくなるし間違いに気づきやすくなるから、誰かを思い切り好きになることが出来なくなっていく。『Don’t you see!』は、若い頃にしか経験できない感情、そんなかけがえのないものをギュっと閉じ込めた歌に感じます。私はこの曲を、若い頃の自分に重ねて聴くのが好きです。間違った一途をしていたころの自分。無理をして疲れたし、自分らしさを出せなくて窮屈な思いをしたし、力技で合わせようしてその皺寄せに苦しんだ。もう二度とあんな思いはしたくない。でも、今の私はあの頃の自分が好きです。SUNNY 強い気持ち・強い愛って映画で、広瀬すずちゃんが篠原涼子さんの高校時代を演じているんですけどね。篠原涼子さんが高校時代の失恋を回想する場面があって、泣いているすずちゃんを回想の中でヨシヨシしてあげるんです。そんな感じ。「あれから成長したな」とか「あの時は頑張ったな」とか、昔の自分をヨシヨシしながら『Don’t you see!』を聴いています。どちらかといえば嫌な思い出なのに、この曲を聴くと爽やかな気持ちになるんですよね。坂井泉水さんの歌は本当に素敵です。

 

裏切らないのは家族だけ

恋なんてエゴとエゴのシーソーゲームと言いますが、私はそんな可愛くて健全な乗り物に乗ったことがありません。乗ったことがあるのは、相手のエゴでグルングルン回される回転ジャングルジム。嫌というほど目が回ります。心なしか、「相手を自分の思い通りにしたい」という支配欲とか所有欲とか独占欲とか、そういう欲の強い人間に出会いやすい気がする。もちろん、そういった欲こそがエゴであって、すべての人間に少なからず備わっていると思います。私にもエゴはあります。ピースオブケイクでも、主人公が「“自分の思い通りにしてくれる男”だったら愛せたはず」と本音を見せる場面がある。元カレに“俺の思う通りの女でいること”を強要されて、従いながらもずっと軽蔑していたのに。やっぱり、恋はエゴとエゴのシーソーゲームなんですね。

私はもう回転ジャングルジムに乗りたくなくて、もう恋なんてしないなんて思ってしまいます。回転ジャングルジムとは、どんなことを言うのか。以前話したデブのボストロールで例えるなら、既に何度も見たと話している映画に無理やり誘った挙句寝ブッチをかましてきたり、歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレを名所と言わんばかりに観光させられたり、メンズ伊勢丹で高級革靴を購入するところを見させられたり。全部同じ日の話です。私の気持ちがどこにもない。まあこれは、恋とかそういう綺麗なものじゃ全くもってないから、参考程度なんですけど。もし、私の気持ちがあって恋というものであるなら、相手のエゴに丸め込まれてしまうことなんて容易い。そのエゴが可愛くて健全で、何より、自分が自分らしくいられるならいいんです。でも、私は回転ジャングルジムの中で自分らしくいられたことがないし、そんな相手と一緒にいるときの自分を好きになれませんでした。

自分でも偏った経験だなって思います。だけど、確率的にはそんなに珍しいことでもないのかなって。学生の頃、自分が将来結婚するのは当たり前のことだと思っていました。結婚の目的なんて考えたことがなくて、結婚すれば幸せが確約されると思っていたじゃあ結婚相手になるような人ってどんな人?一度冷静になって考えてみたことがあります。結婚相手になるような人は、“一緒に暮らせる人”一緒にいて楽しい人ってよりも、苦しい時も一緒にいられる人。そんな人なんじゃないかと、答えが出た。それって家族みたいな人ってことじゃん!って。家族って、私からしたらどう考えても特別で、理由もなく愛せて理由もなく許せる人たちです。生まれた時からずっと一緒で、血も繋がっている。最強の絆です。結婚は、そんな家族以上の絆を築いていける人とするもの。そう考えると、自分はもう結婚しないんだろうなって思うようになりました。あくまで、結婚できないとは言いたくないんですよね。結婚するために相手を探すんじゃなくて、結婚したい相手がいるから結婚するわけで、これを履き違えたくないんです。結婚するために血眼になって相手を探して、いざ結婚したら回転ジャングルジムの中で死ぬまで目を回し続けていた、とかなったら怖すぎる。だから今は、「裏切らないのは家族だけ」ってスタンスで生きています。でも『Don’t you see!』を聴いていると、「裏切らないのは家族だけなんて、寂しすぎるよ」って坂井泉水さんに言われます。やっぱり、心に刺さる曲です。

 

 

最後に

酸っぱい葡萄と言われたらそうなのかもしれません。葡萄が高いところに実っていてどうしても取れない。「どうせ酸っぱいんだろう」と思うことで、手に入らなかったことを正当化する。それと同じで、結婚しなくても今が幸せだと信じる。でも、回転ジャングルジムを何度か経験した後だと、手に入らない葡萄は本当に酸っぱいんじゃないのって思ってしまいます。酸っぱい葡萄にはもう懲り懲り。酸っぱくない保証があるなら頑張ってもいいけど、そんなのは食べてみないと誰にもわからない。だから今が幸せならそれでいいんです。兄弟でアニメソングのCD売上ランキングを見ながら、一位を予想して盛り上がっているような生活が私は好きなんです。ちなみに『Don’t you see!』は23位でした。『マイ フレンド』は9位。

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以上、ひとりごとより。/『ピースオブケイク①』ジョージ朝倉