Great Days

ヘブンズ・ドアー

ごきげんよう。お久しぶりです。ひとりです。もうすぐ今年も終わりですね。今年は特に早く感じる一年でした。私事としては社会に復帰したという部分が大きくて、過ぎるのも早く、変化も目まぐるしい一年だったなと。そんな中、毎日何かを考えながら過ごしてきたわけですが、なかなかそれを言語化する気力や体力や時間がなくて、なんだかもったいない気がしてきました。ですので、何らかの形で文章にして残していこうと現在企んでおります。そういうわけで今日はその第一弾。最近、人生でターニングポイントになりうる劇的な出来事を経験して、やる気スイッチがバチッと音を立てて入りました。「これは書かなければ!」と。

 

ところで皆さん、ジョジョはお好きですか。荒木先生の『ジョジョの奇妙な冒険』、私は今年ど・ど・ど・どハマりしました。ワンピースとジョジョ、この二色の一年だったな。ジョジョの4部にね、岸辺露伴という漫画家が出てくるんですよ。実写化の影響で知名度も高いと思います。露伴先生のスタンド「ヘブンズ・ドアー」は、人間を本にする能力。本にはその人間の性格やら、能力やら、本心やら、生きてきた軌跡が赤裸々に書いてあって、露伴先生に自分という人間を暴かれてしまうわけです。でね、もし自分がこのヘブンズ・ドアーを食らったとしたら、何が書いてあるんだろうって思って。本にできるほど私という人間は厚みがあるのかなって。きっと露伴先生の漫画の参考になんてならないんだろうなって、ぼんやりと考えていたことがあります。でもね。自分で自分をどういう人間かってすぐにパッとは答えられないけど、周りからの影響とか、感銘を受けた言葉とか、自分の中に取り込んだと自覚する素敵な経験はたくさんあって、なんだかんだちゃんと本になりそうだと思えたんです。「好きなもの」や「大事なもの」って、ちゃんと自分という人間を作り上げてくれているんですね。ヘブンズ・ドアーを意識して自己分析するのも楽しそう。

 

自分の本も読んでみたいし、他人の本も読んでみたいな。これを書いていて思い出したんですけどね。就活の時ってみんな自己分析しますよね。それを開示する相手って企業だけで、せっかく時間かけて自己分析したんだし、仲の良い友達同士で開示し合うのも楽しそうだなって思ったことがあります。自分の知らない相手の一面とか、自分も相手に見せない一面とか、意図せずに知らせていない面もあるだろうし。まあとにもかくにも、ヘブンズ・ドアーは便利ってことですね。プライバシーの侵害になるけど。

 

D4C

さあここからは、人生でターニングポイントになりうる劇的な出来事とやらを話していこうと思います。前提として、私は引きこもりニートをしていました。新卒で入った会社でパワハラに遭い、体と心がバラバラのボロボロで、療養にまあまあ長い時間を浪費していました。まあ、浪費って言葉は違うかも。「浪費」だと当時は思っていたんですけどね。元気になるにつれて体と心を治すためには必要な時間だったなと、今はその時間も受け入れられるようになりました。話を戻しますと、デブトロールがきっかけで人と会うのが怖くなってしまい、引きこもってからは誰にも会わないで過ごしていました。

(デブトロールについての詳細は最後に載せておきます。)

 

でね、社会復帰して、そんな恐怖も平気になったかなって思えた頃。2年ぶりに仲の良かった大学時代の友達から食事の誘いが来ました。最後に会った時、私はすでに会社を辞めていて療養しているってことも話していた仲です。

まず思ったことは、嬉しさより先に緊張です。平気だと思っていたけど、やっぱりちょっと怖かった。でも、嬉しい気持ちもあったし、なんて言うか、これを機にやっと病む前の自分に戻れるんじゃないかって期待が高まった。前の自分。いつも通りの自分。普通だった頃の自分。ずっと戻りたかった。だから、不安と緊張が半分、嬉しさと期待が半分でした。

でも約束は実現しなかった。都合が合わなくて一度リスケを経て、日程のトラブルもありつつ約束した日。お互いに連絡をしなかったんです。つまり自然消滅です。一応ね、当日いつ連絡が来ても対応できるように繁華街をプラプラしていたの。おかしな話でしょ?でもね、自分から連絡するのは怖かった。「2年」は人を変えるには十分な時間で、私も相手も会わない間に変わってしまったと思う。それこそ「前の自分」だったら、当然連絡していたはずで、約束は絶対に実現していたと思う。結局この日は「…なにも!!!な"かった…!!!!(ドン)」ってわけです。

 

ここからなんです!本題のターニングポイントってのは。この出来事をきっかけに自分の中で明らかに変わったものがあって。約束が実現しなかったことで色んな感情に襲われました。第一に、ホッとした。やっぱり怖かったんですね。同時に悲しみのショックも込み上げてきた。これはまあ、自分も約束をブッチしているわけなので何も言えないのですが。言葉にするなら、あの頃のあの関係はもう終わってしまったんだなという寂しさですかね。関係値が「思い出の中」に変わってしまったということ。

そして、最後に一つ。期待していたものが崩れ落ちていったことへの絶望感。病む前の自分、昔の自分、いつも通りの自分、普通だった頃の自分。こんなものはないんだと、嫌でも自覚した。ずっと戻りたいと思っていた。「あの時に戻って、あの続きがしたい」って、ずっとそう思ってきた。あまりにも理不尽すぎる。パワハラのせいで失ったものが多すぎる。ジンベエがさ、失ったものばかり数えるなって言っていたけどさ。あのシーン大好きだけどさ。本当に、残っているものがないんだよ。

 

そんな感情にまみれて、その後の数日は体が重く感じました。涙は出なくとも、体が今にも泣き出しそうってな感じ。でもね、体の重さが抜けた頃くらいに、なんだかスッキリと爽快感があって。突然、考え方が明確に変化したんです。ずっと戻りたいと思ってきた。でも、実際は戻れない。何よりも、「あの続きは、あの時じゃないと出来ない」と悟ったんです。もし今「あの頃の自分」に戻れたとしても、「あの続き」はもうできないんです。「戻る」とか「あの時」とか、そういうものに固執しすぎていた。戻ることがゴールだと思っていた。この思考自体は、地続きの今を生きてきたわけだから、仕方なかったと思う。だけど、今回の出来事をきっかけに、この呪縛が解けたんですよ。そう思うとなんだかね、意味わからないけどウキウキしてワクワクして、心から明るくなった。「あ、戻った」って気がした。これはつまり、心が完全に元気になったのかなって、私は解釈しています。そういう意味では「戻った」わけですよ。

今回の出来事って、“過去を過去として受け入れられるようになった”ってことなんじゃあないかと思います。どんなに理不尽でもね。というか、理不尽だから時間がかかった。期待が崩れたこと、つまり、「戻れない」という事実に気づいたことを最初は後退だと悲観したけど、そうではなく実は前進だったんですね。「マイナスからゼロに」ってとにかくそう思ってきたけど、なんて言うかね、「別に原点を通らなくてもプラスに行けるじゃん」って世界の見方が変わったのよ。そうしたら、やっと見えている世界が元に戻った気がしました。思考の転換にこれというきっかけがあるわけじゃないから、この一連の文章ちょっとホラーみたいになっているかもしれないけど。まあ、成歩堂君みたいな発想の逆転を無意識にやってのけたということで、大目に見てください。

 

ジョジョ7部に出てくるアメリカ大統領のスタンド。「いともたやすく行われるえげつない行為」「Dirty deeds done dirt cheap」D4Cと呼ばれるスタンドです。難しいのでシンプルに説明すると、パラレルワールドを行き来できる能力なんですけどね。「あの時に戻ってあの続きをしたい」と思っていたが、出来ないと私は悟った。でも、「あの時には戻れないけど、あの世界線になら戻れるのかもしれない」なんてね。ちょうどジョジョ7部を読んでいて思ったんです。だから、今回の一連の流れに名前を付けるなら、「D4C」がいい。今は「あの時に戻れなくてもいい」と思えるようになりました。

 

 

最後に

何度か言ってきたし、今回も言ったけど、やっぱり地続きの今をずっと生きてきているから気づくのが遅れてしまうけど、時間が経過すればするほど、自分がどれだけ病んでいたかがわかる。当時はそんな大したことないって思っていたけど。今回の出来事でトニオさんの料理を食べたかのように晴れやかな気持ちになりました。

あと、デブトロールについてはこちら↓から。

n-project.hatenablog.jp

そう、元気になってきたから気づけたんですけどね。会社のあれやこれやで弱っていたけど、辞めてからは徐々に快方に向かっていたんです。だから、つまりはデブトロールによって鬱が悪化したんだなって。マクロ視点ってやつ。

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以上。ひとりごとでした。写真は徐倫をイメージして編んだハート。

進化

ごきげんよう。ひとりです。

お久しぶりですね。久々すぎて、文章の組み立て方を忘れちゃったな。なんか毎回そんなことを言っている気がしますね。これからゆっくり思い出していこうと思います。

 

一歩

最後の投稿が年明け前だったことに驚愕しています。あれから紆余曲折あったんですが、今日喋りたいことは別にあるので、簡単にお話しますね。

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まず、無事にニートからの脱却を迎えました。慣れない環境に揉まれながら、刺激的な日々を忙しなく送っております。ですが、これがゴールというわけではありません。今私はニートからフリーターに進化したところ。当初は、もっと大きな一歩を踏み出したいと思い描いていました。正社員とか、フルタイムとか。多分今までの私の投稿からその様子が窺えたかなって思います。当時はどうやっても焦りが拭えなかったんですよね。でも、結局同じところでグルグル回っているだけだった。一歩踏み出そうにも充分な勇気が湧かず、踏み出したところで現実は痛いほど厳しくて。そうやって時間を浪費していました。そのことにようやく気づいた時、小さな一歩という選択肢が浮かび上がってきた。

もちろんそれでも、早く無職から脱したいとか、とにかく早くお金を稼ぎたいとか、焦りが動機になっていた点は否めません。でも今思えば、ブランクで失っていた感覚を無理なく取り戻したり、これまで断絶していた社会に身を投じたりと、リハビリの意味で、まず選んだ道はここで合っていたのかなと思います。まあベタですけど、「これは“人類”にとっては小さな一歩だが、“私”にとっては偉大な一歩である」ということですね。

 

そしてですね。それと同時に大きな変化がもう一つありました。「夢」が出来たんです。「夢」なんて言うと少し青くさいかなって思うけど、昔からほんのり望んでいたことで、こんな状況だからこそやりたいことに挑戦しようと意気込んでいます。やりたいことを踏まえると、やっぱり今はフリーターの道を選ぶことが私の人生において正解だったなと思えます。

今でも正社員とか、フルタイムとか、レール人生に憧れて焦る夜はあります。でも、自分の新卒就活や会社員時代を思い出すと、憧れや焦りで飛びつくにはあまりにも修羅の道であるなあって。リスクが大きいです。組織に属するということは、環境ガチャと言いますか、「職場の人間」に左右されるものですから。理想の組織なんていうのは、一番くじでフィギュアを当てるくらいの確率かもしれませんね。それか、自分の鈍感力を磨くしかないのかも。

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ということで。ブログの名前を更新しようと思います。今後は「慶應卒美女ニートのひとりごと」から「慶應卒美女フリーターのひとりごと」になります。語呂は悪化しましたね。それでも美女という単語は抜きません。改めまして、以後お見知りおきを。

 

6人のサテライト

紆余曲折を簡単に話すつもりが思ったよりも長くなってしまいました。軌道修正しますね。今回の投稿で一番喋りたかったこと。それは「人格」についてです。

私が金融機関に勤めていた頃、初めて配属先の支店長に出会った時の話。「仕事の人格を作りなさい」という言葉をいただきました。「仕事中に受けるショックやダメージは全部その人格に流しなさい」と。本当にありがたい言葉をもらったなって思います。ですが、これって思っていたよりも難しいんですよね。下手くそすぎて、私は今でもまともにくらっちゃいます。

 

私の大好きなXユーザーの方がいるんですけど。「西」さんという方で、日記を投稿されていらっしゃるんです。西さんも“人格”のお話をされている時がありました。以下に引用させていただきますね。

「仕事用に作られた人格が傷つけられて怒りに燃えていたけど 仕事用の人格は職場に置いて帰るべきだと思い 少し撫でて帰宅」

6月20日の日記です。美しい言葉だと思います。添えられている絵も相まってじーんと来ます。さて、「仕事用の人格」というものは一種の魔法みたいなもので、訓練次第で誰でも使えて、その威力はバツグンってな、ど偉い代物じゃないでしょうか。少なくとも私にはそれが魔法に思えて仕方ないです。さっきも言いましたが、習得までに時間がかかるなあって思います。

でもなんとなく最近、使い方がわかってきた。例えば、昨日仕事中にあった嫌な出来事を脳内で再生してみます。そこには昨日の自分がいる。ここで、昨日の自分のポジションに違う誰かを立たせてみます。脳内なので割と自由に、好きな人でも嫌いな人でも。じゃあここでは尊敬する人を立たせてみましょう。そうすると、状況も結果も変わらず、自分じゃなくても同じことが起こります。今回は尊敬する人を立たせているので、「あの人でもこんな嫌な思いすることあるのかな」って想像したり、「あの人は尊敬できるすごい人なんだぞ、知らないくせに」って擁護したり、色々な妄想ができます。妄想しているうちに、嫌な出来事がただの出来事に変わっていく。こんな風にして自分自身と出来事を乖離させていくのかなって思うんです。要は自己防衛とか、自己正当化とか、そんなところかな。多分、自分の受け取り方や感情の問題なんでしょうね。

とまあ、この魔法を習得するためのあくまでも“訓練”なので、実在する人物を想像してみるんですけど、理想はベガパンクのサテライトですね。ONE PIECEエッグヘッド編のサテライト。サテライトとか、Vtuberのガワとか、目に見える形で自分の仕事用の人格を作れたらいいのになあって思います。あ、あと、Hunterのゴレイヌさんの能力も理想的ですね。「仕事用の人格」とはつまり、「身代わり」のことです。西さんのように、仕事用の人格を職場に置いて帰宅できるようになれば、そろそろ手から火が出せる日も近いかもしれませんね。

 

 

最後に

どれだけ時間が経過しても、パワハラによって破壊された人生を思うと、どうしても悲観的になってしまいます。ここまで他人の人生をぐちゃぐちゃにできるなら、パワハラなんてやったもん勝ちだなとさえ思います。浪人までして受験を頑張って良い大学を出ても、パワハラで人生ほぼ再起不能になるなら、意味がない。資本となる身体もボロボロにされて、理不尽に全てを奪われ失った。パワハラ加害者を呪わずにはいられません。どうしようもなく、晴れることのない怨念の取り扱いに、ずっと悩まされています。どうしたらいいのかな。

 

ひとりごとより。

 

思考整理

満月の夜なら

ごきげんよう。ひとりです。

先週末、今年最後の満月でしたね。普段夜に外出することもないし、夜空を見上げることもない。夜空を見上げたとしても目が悪いのであまり面白くない。朧月夜の時だけ、ちょっと嬉しくなるくらいです。そんな私ですがこの前の日曜日は、たまたま家族を車で送るため夜に外出し、運転するためにたまたまメガネをかけていて、車を車庫に入れた後家に入るまでにたまたま夜空を見上げたんです。まあそれはそれは綺麗な満月で。なんかすごく得した気分になりました。「来年はいい年になるぞ。見よ、私の引きの強さを。」なんて、ウキウキに浮かれていました。

 

さて、今回は思考整理のために、今さっき考えていたことをまとめていこうかなって思います。なんとなく、更新したくなりました。就職活動を始めてから、日々実りがあって。まあまだ準備段階なんだけどね。毎日更新しようと思っていたんですけど、「ひとりごと」に書きたいことが膨大にありすぎてなかなか実行できませんでした。それに、自己分析の結果なんてあまりに個人的過ぎて、「誰がそんなこと知りたいと思うんだ」とか、「私の強み弱みが世に出回るの、なんか恥ずかしいな」とか、「もし面接官が私のひとりごとを万が一目にしてしまったら、私の自己PRがパクリだと疑われちゃうかも」とか、「その前に特定されちゃうかも」とか、「いや、それか、他の誰かにパクられちゃうかも」とか、そんなこんなで更新をストップしていました。バカですね。

ところで、面接のスクリプトを作っているんですが(何の質問にどう答えるかとかね)、これって私オリジナルのものだから一応著作権みたいなものが付随するんですかね。まあ著作権なんてなくても就活が終わるまでは世にアウトプットするつもりないんですけどね。上記の理由で。もし、就活が終わって気が向いたら、備忘録として独り言ちっていこうかな。

 

個性

先日、自己分析をしていてふと、「ヒロアカの世界みたいに“個性”が目で見えれば、就活も楽になるのにな」って思いつきました。

 

現実の世界で目に見える個性って何があるのか。容姿や体格。学歴や職歴も指標になるでしょう。でも、これだけでは雇う理由の決定打にはならなそう。じゃあ雇う側は何を見るのか。それは結局、人間性なんだろうなって思います。経験という証拠をもとに、その人が成果を出せる人間であるのか、考え方・行動特性・知識・技能などその人間の構成を見るのではないでしょうか。例えば、私たちもスーパーで何かを購入するとき、「どこの産地で、何の餌を食べて育ったのかetc.」を気にしてみることありますよね。国産だと安心するとか、パプリカを食べた鶏の卵は黄身の色が濃くて美しいとか。人が何かを買うとき、そのものの構成を見て価値を想像する。これを就職に当てはめた時、私は労働力・人材という商品であり、企業はそれを買うか見極めることになるわけです。だから私がやるべきことは、自分を構成するものがどんなものであるかを示し、それらがいかに価値を帯びていていかに魅力的であるかを想像させる、といったところじゃないでしょうか。特に私は早期離職でブランクもあって、実践的な知識や技能はないに等しいので、そんな切り口でやっていくしかないのかなって。まあ何でもかんでも物は言いようです。見方を変えてみたり、言い換えてみたり。自分の中ではゴミみたいな経験でも、磨けば光るかもしれません。それが今できる努力だと思っています。

 

話をヒロアカに戻しますが。主人公のデクくん、無個性だったのに皆の心を動かしましたよね。一巻でヴィランに捕まったかっちゃんを助けに飛び出すシーン。無個性で無力の子が「助けたい」という一心で危険に飛び込んでいくんです。その姿にあのオールマイトまでも心を動かされます。その後もデク君はたくさんの人々の心を動かします。何がそうさせるのか。私もデクを見ていると心が熱くなってくる。まさに「頑張れって感じ」です。なんでしょうね。彼の憧れは、困った人を助けるオールマイト。デク君は「人を助ける」「人を助けたい」という思いが強いんですよね。その強い思いと行動が一貫しているところに、人々は説得力を感じ、心を動かされるのではないか。デク君の考えと行動に納得して、彼に力が足りない時は力を貸してあげたくなる。浅い分析になりますが、純粋とか優しさとか情緒的なところを抜いて考えると、「説得力・納得感」が他人の心を動かすんじゃないかなって思いました。だから、自分という人間を構成するものがいかに魅力的か想像させるために、「説得力・納得感」を意識して、思いと行動を結び付けていきたいなーなんて計画しているところです。それがデク君みたいに利他的であるとなおいいですね。

余談ですが、ヒロアカの最終巻における「プロのヒーローじゃなくても、誰でも、誰かにとってのヒーローになれるんだよ」というメッセージ性のおかげで、この作品の世界と現実の世界がリンクした気がしました。嬉しかったです。割とマジでヒロアカは就活のモチベーションになっています。ヒントがたくさん散らばっています。それこそ、「私には特別な力なんてないけど、就職なんて出来るのかな、誰かに必要とされるのかな」って考えることもあったけど、ヒロアカのおかげでそんな考えも払拭できました。この思いもいつか堀越先生に伝えたいです。

 

無謀と挑戦

無謀と無謀じゃないかの違いって何だろうとふと思いました。疑問って本当に「ふと」やってくるものです。これから私が目指したいとする場所って、これに挑戦することは無謀なのかな。そんな不安が湧いてきたんです。大学受験において目指す場所が上であればあるほど、力が底上げされて、以前なら届かなかった領域にも届くようになるんだと。身をもって知ったから、目指すなら上であればあるほどいいと考えてきました。まあ要は、大は小を兼ねるってことですね。

ただ、今回就活をする上で、自分の条件がどう考えても不利なことから「もしかして私は無謀な挑戦をしようとしているんじゃないか」と不安になりました。でもね、無謀に思える挑戦をしようとしている人がいたとして、私はその人に対して「やってみたらいいじゃない」と思えるんです。挑戦に権利もクソもないし、誰にも迷惑かけていないなら自由に挑戦していいんじゃないって。

じゃあ、無謀の何が悪いことなのか。次にそれを考えてみました。理想だけ追いかけていて、足が地についていない状況こそが悪いんじゃないでしょうか。捕らぬ狸の皮算用みたいな。いわゆる夢追い人的な。「今の地点からちゃんと地に足つけて行ける場所であること。」それが大事なんじゃないかな。例えば、私が今から大谷と一緒に戦いたいという夢を持ってメジャーリーグを目指すとします。私は野球をやったこともないし、今から始めて実になるような年齢でもないし、上には上がいすぎてそれを越していくほどの自信も全くない。これは明らかに無謀と言えるでしょう。というか、現実的ではありません。そもそも「出来るか」「出来ないか」で悩める地点にいないんですよ。でも逆を言えば、「出来るか」「出来ないか」の二択で悩めるということは、出来ると考えられる要素があって可能性も多分50%くらいは見出せているんだと思います。だからね、「出来るか」「出来ないか」の二択で悩めて、諦めるかどうかの相談が出来る段階にあるのなら、飛び込んでみてもいいと私は思うんです。記念受験という言葉もあるし、誰にも迷惑かけていないのなら、挑戦した方がいいなって。自分にもそう言い聞かせました。

 

受験生の頃、「自分にとって志望校は雲のはるか上にある存在で見えもしないや、なんなら雲すら見えない」なんて思った時期があったんですけどね。ある時を境に、「あ、雲が見えた」と感じた経験があります。多分、自分が成長したことと、そのおかげで実体がつかめるようになったことが要因になっているんだと思う。憧れる故に、自分には恐れ多いと志望校を大げさに美化してみたり、自分を低いどころか低すぎるくらいに見積ったり。だけど、こういう「上には上がいすぎて、それを越していけるかわからないこと」とか、「自分にとって雲のはるか上の存在で、その雲すら見えないようなこと」に挑戦するのって、シンプルにめちゃくちゃ楽しくないですか。合格したわけでもないし絶対に受かると確証を得たわけでもないのに、志望校に挑戦すると決めた日、ただそれだけのことでなんだか嬉しくて心が躍ったのを今でも鮮明に覚えています。地に足つけて行ける場所なら、目指してみてもいいんじゃないでしょうか。

 

 

最後に

誰かに苦しみを比較されるのって、苦しいですよね。被害を軽視されている気がして。「あなたよりも苦しんでいる人がいる」「それと比べたらあなたの苦しみはマシな方よ」なんてね。そんな意図がなくても無意識に苦しみを比較しちゃう人もいるんですよね。自分の苦しみをわかってもらうのは難しいことだし、わかってもらえなくてもいいけど、苦しみをなかったことにされるのは二重で苦しい。苦しみをなくせるならその方がいいんだけどね。私も誰かに対して、苦しみを比較しないように気を付けようって思いました。

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ひとりごとより。/『少女は卒業しない』朝井リョウ

memo.働き方の哲学

ごきげんよう、ひとりです。

最近、『働き方の哲学』という本を読み始めたんですけど、これがなかなか面白くて。結構大事なことを学べるので、ところどころかいつまんで紹介していこうかなって思っています。まあ自分のための思考整理兼リマインドみたいなものなんですけどね。なので、何日かはこの『働き方の哲学』に関する話題が続くかなと思います。

 

自己分析

やっぱり就活で一番大事なのは「自己分析」だと思うんですよね。この考えは学生の頃から今に至るまで変わっていません。「誰が何と言おうが、自分はこういう人間だ。そう自信を持って言えるようにするための作業が、自己分析である。」学生時代、友達がそんなことを言っていました。最初は緊張した面接も、「誰が何と言おうが、私はこういう人間です。」と自信を持って言えるようになった時、全く緊張しなくなったとか。かっこいいですよね。なんだか自己分析をやりたい気分になってきませんか。私はなります。そしていつしか自己分析大好きマンになってしまいました。

それでね、今読んでいる『働き方の哲学』でも、やっぱり自己分析は大事だなって思わされることばかり書いてある。例えば、「仕事とは、“能力”ד想い”=“表現”を生み出すことであり、顧客は自分のこの“表現”を成果として買っている」って書いてあって。自分で軸を決めて物語を紡ぎ表現を重ねていく。これが“仕事”だとここでは述べられているんです。知識・技能(“能力”)はあくまで仕事をする上での素材であって、個人の行動特性と思考特性、つまり“想い”こそが素材を生かす力となり成果につながるらしい。ちょっと話が逸れてしまったんですけど、この「軸を決めて物語を紡ぎ表現を重ねていく」っていうの、まさに自己分析の作業みたいだなって思って。どんな軸でどんな物語でどんな表現になるかは、その人の行動特性と思考特性によるところとなり、そうして出来上がった成果を面接で見せる。こんな感じ。まあ就活って私という人材を商品として売り出す場なので、少なからず仕組みは通ずるわけです。私の能力は現在の時点で変わりようのないものですが、どうやって売り出すかはいくらでも方法があって、それを見つけるための自己分析になるんです。言い方を借りると、“想い”と“表現”の数値を出来る限り最大化する作業が自己分析ってことになりますね。

あとは、「マネジメント」に関して説明されているページがあって、これも自己分析に生かせそうだなと思いました。そもそもマネジメントとは、「物事を自分の意図のもとに手なずけること。」とありました。物事に振り回されず、流されず、物事の主人になること。この「物事」の部分を「就活」と言い換えた時、「就活を自分の意図のもとに手なずける」となるわけで、そのためには自分の意図を明確かつ確固たるものにする必要が出てきます。そこで、やっぱり自己分析が大事って結論になるわけです。多分、私は他人の言動に良くも悪くも影響を受けやすくて、ちょっと気を抜くとすぐ自分の意図も軸もブレブレになっちゃうから、だから自己分析がこの上なく重要になってくるんですよね。これからも自己分析命でやっていきます。

 

セレンディピティ

セレンディピティって知っていますか。恥ずかしながら私は今日初めて知った概念なんですけど、「偶然の中から幸福をつかまえる力」のことを言うらしいです。世の中には待っているだけの偶然じゃなく、呼び寄せる偶然というものがある。これがセレンディピティ。それまで無意識だったことがある時を境に意識の対象となり、意識し始めたらあら不思議、日常の中でそのことに関する情報が次々に入ってくるようになった。なんとその中には幸福(チャンス)も紛れ込んでいた。なんて感じ。面白いでしょ。私はなんとなく『アオハライド』の双葉ちゃんと菊池くんの会話を思い出しました。修学旅行の行き先が長崎に決まってから、長崎の情報をよく目にするようになった気がするって話。「“いま”“ここに”幸運の出来事の素は飛び交っている。それをつかまえられる、チャンス感度の鋭いラジオになろう。」そう書いてありました。意識のアンテナを立てることでチャンス感度は上がる。とどのつまり幸運をつかむ準備をしておきましょうってことですね。

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取り急ぎひとりごとまで。/『草枕』夏目漱石

memo.人生のルール。

 ごきげんよう。ひとりです。

最近、目標にトライアンドエラーを掲げています。新しいことにおいて失敗は怖いけど、まずは飛び込んでみて実態を知る。実態を把握したら一度引き上げて作戦を練る。ここでは実を結ぶことを目的としていないので、失敗が前提の挑戦ということになりますね。まさにトライアンドエラー。個人的に完璧主義な面があるので、このエラーという名の失敗が怖くて、足が竦むことが多いです。でもね、机上や脳内で論を捏ね繰り回していても恐怖が増すだけですからね。それに、トライして実態がわかってくると、「なんだ、そんなに怖くないじゃん」って思うものばかり。よく漫画やアニメで敵地に潜入する際なんかも、とりあえず飛び込んでみて試行錯誤していますよね。H×H蟻編のノヴさんとか、BLEACH尸魂界編の一護たちとか。まあ一護たちは行き当たりばったり感が否めないけど。私も彼らを見習って、これからどんどんトライアンドエラーしていこうと思います。

 

トライアンドエラーと話しましたが、トライした先でとんでもないエラーに直面することもありますよね。人生って。想定していないエラーに巻き込まれると、雁字搦めにされて動けなくなってしまいます。こうなるともう絶望です。そうなってしまう前にある程度の予測と対策が必要だなと思って。こう来たらこう対処する、みたいな。マニュアルみたいなものですね。こんな感じで、人生のルールを自分なりにつくっていこうと考えました。これがなかなか難しいんですよね。法律もそうですが、ルールづくりって「いかに経験してきたか、いかに想像できるか」が肝になります。世のルールたるものをつくる人ってすこぶる賢いんだなと身にしみて思い知らされる今日この頃です。

そんな私ですが、一つだけ思いついたルールがあります。それは、「互いの信頼関係を悪用して心理的な駆け引きを持ち掛け、自分を支配しようとしてくる人間がいたら、それがたったの一度であったとしてもそいつは信用しない」ということ。例えば、離婚をチラつかせたり、ケアの放棄を匂わせたり。信頼関係の破棄を簡単に駆け引きの材料として持ち出し、主導権を握り他人を操作しようとしてくる人間は、一度でもそれをやった時点で信用に値しません。これは相手の心を動かす力のない弱い人間が使う卑劣な手段だなって思います。一度でもこんなことされたら、信用の糸がブチって音を立てて切れるくらいの行為です。こういう信頼関係の破棄は、日々の安定した生活を脅かすことになるので恐怖を覚えるかもしれませんが、そんな卑劣な人間の言いなりになる方がよっぽど怖いです。きっと一生続くだろうから。リボ払いみたいなものですね。こういうことは当事者になってから考えるのでは遅いので、先に決めておこうと思った次第です。

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取り急ぎひとりごとまで。

メモ。Don't Stop Me Now

ごきげんよう。ひとりです。

Queenの『Don't Stop Me Now』最近のマイブームです。よくこれを聴きながらお風呂を掃除しているんですけど、不思議とお掃除が楽しくなってくるんですよ。今すっごく楽しいんだから、誰も邪魔しないで。この最高の時間を止めないで。そんな曲です。そんなに楽しい時間って一体どんなだろう。考えるだけでワクワクします。なんとなく聴いているだけなんだけど、思わずつられて、人生が猛スピードで楽しく回っていけばいいのに。そう思いながら聴いています。でも本当に、聴いているだけでこの曲みたいな人生を送れそうって思えてくる、エネルギーに満ち溢れた音楽です。

今日は、大きく言うと「自由」小さく言い換えると「縛られない」をテーマに話していこうと思います。

 

みんなと一緒

突然ですが、「これから海外で生きていかなきゃならない」ってなった時、何を思いますか。やっぱり、まずは不安や緊張を覚えますかね。私はその次に、“ワクワク”が来ます。従来のしきたりから抜け出せる開放感。執着することもなく執着されることもない新しい環境。誰にも邪魔されない、自由な人生。そんなことが思い浮かびます。実際は差別問題に直面することもあるんだろうけど、そもそも前提として文化や言語の違いがあるから、そこまで傷つかないで済むかもしれない。前にも“ひとりごと”で、「日本でネット炎上するのと、海外でネット炎上するのだったら、後者はあまりダメージ受けないかも」って話した覚えがあります。あまり難しい話をするつもりはないので一旦まとめると、日本で日本語を使う日本人として生きるということは、日本の常識、日本の固定観念に見張られることだと私は思うんです。ここで言う常識、固定観念とは、「みんなと同じ」ってやつです。「みんなもやっているから、自分もやるべき、やらなきゃ」「みんなと違うから、自分はダメ人間」こんな感じで「みんな」が基準になっているもの。これ、ホント余計なノイズですよね。

例えば、義務教育が終わったら高校へ進学、高校を卒業したら大学に入学、大学を卒業すれば新卒カードで正社員として入社、途中で結婚・出産を経て家庭を築きながら定年まで同じ会社で勤め上げる。これが一般的に想像される“人生”だと思います。大多数がこれに沿って人生を歩んでいく。私は、自分の親や周りの友達を見て、そういう人生が当然でそこから外れる人生なんてありえないと思って生きてきました。「みんなそうだから」

 

ワクワクを忘れるな

だから、新卒で入った会社を辞める時、怖くて仕方なかった。一度レールを外れただけ、だけど、人生失格。そう判を押された気がしました。実際、これからの私の人生、もとのレールに戻ることはできないと思います。一度壊れた身体と、短期離職からのブランク。学生の頃想像していた理想の人生はもう実現しないでしょう。このことを考えるたびに今でもパワハラしてきた人間を呪いたくなります。てか、呪っています。

だけど、会社を辞める時、恐怖と同時にワクワクも感じた。これからの人生、「みんなと同じ」に縛られずに生きていけるんだ。自分の好きなように人生を描いていいんだ。やっと自由になれたんだ。そう思うとワクワクが止まりませんでした。「みんなと同じ」を気にして就活して、「みんなと同じ」を気にして選んだ会社。「みんなと同じ」が正解で、自分の気持ちを二の次にして歩んできた人生。やっと「みんなと同じ」人生に終止符を打てると。今でも会社を辞める前のこのワクワクを覚えています。まあ自己分析しながら思い出したんですけどね。このワクワク、絶対に忘れちゃいけないものだと感じました。

このようにして、これからの就活のための“就活準備軸”なるものが決まりました。「この再就職は、ワクワクするものでなきゃいけない」これが今回の言いたかったこと。「みんなと同じ」レールに縛られない、そんな人生にするための就活をしていきたいなって思っています。

 

 

最後に

パートナーからのモラハラとか、上司からのパワハラとか、非合理的な人間の悪意に晒された時、我慢して耐えること。そういう頑張るべきじゃないところで頑張るのって、自傷行為みたいなものなんですよね。耐えたという経験は残るけど、そこに意味はありません。残るのはボロボロの心身だけです。悲しいけど。でも、そういう経験がある人は“自分は頑張れる人間”だって証明されたわけだし、それを自信にして、今度は「頑張るべきところ」か「頑張るべきじゃないところ」かを見極められれば、最強になれるってことですね。

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取り急ぎひとりごとまで。

memo.ロールモデル

あの人だったら

ごきげんよう、ひとりです。

ヒロアカのトガヒミコちゃん。可愛いらしいヴィランです。彼女は、他人の血を吸って悦に浸っている描写が特徴的で、作中でも周りから気味悪がられています。でも彼女の欲求って、血を吸うことそれ自体ではないんですよね。血を吸うことでその相手に成り変われるという能力を持っていますが、血を吸うのはあくまで手段であって、彼女の願望は「好きなあの子になりたい」というものです。

私にも憧れる人はたくさんいて、何度も「あの人みたいになりたい」と思ってきました。スラムダンクの晴子さん、めぞん一刻の響子さん、BLEACHの松本乱菊。彼女たちと比べて自分はなんて面倒くさい人間なんだろうと萎える時もあります。まあそれは創作と現実の違いってことなんでしょう。面倒くささが現実を生きる人間らしさというものなんだと思います。あ、でも、音無響子さんだけは現実を生きる人間かのように面倒くさいですね。

そしてもちろん、現実にも憧れの人は存在します。トガちゃんと同じく「好きなあの子になりたい」と思って、真似してみることもありました。「いいな、好きだな」って思う人だったり、ある人の「いいな、好きだな」って思う部分だったり、とにかく「こうなりたい」を積極的に真似したり取り入れたりしていた学生時代。こういうのを“ロールモデル”って言うんですかね。気づいたら根付いていたこの癖は、何かと人生の役に立っています。「あの人だったら、どう言うかな。どうするかな。どう考えるかな。」そう想像するだけで、なんだか上手く行きそうな気がしてくる。自分の想像するロールモデルはいつだって心強い私の味方です。

 

らしさ

ヒロアカを読んでいると魅力的なキャラがたくさんいて、みんな違ってみんなかっこよくてみんな好きだなーなんて思わされます。かっちゃんにはかっちゃんの良さがあって、デクにはデクの良さがある。かっちゃんはデクにはなれないし、デクもかっちゃんにはなれない。みんなの良いところを全部どりなんてできないんですよね。至極当然のことなのに、心のどこかで「万人が認める完璧」を求めてしまう。これは自分の悪い癖だなって思います。もしみんなの良さを全部どりする人間が存在するとしたら、それはオールフォーワンってことになってしまいますね。バケモンです。自分には自分にしかない良さがあって、その自分らしさというものを磨いていけばいい。そう気づかせてくれる作品でした。まあでも、デクの努力家なところとか、かっちゃんの勝負時に笑っている姿とか、お茶子の優しい性格とか、そういう良いとこどりはこれからもしていきたいなって思います。憧れの人その人自身に成り変わるというより、その人の良いところを盗んで自分のものにする、みたいな。

 

心に飼う

自己分析をしていて思うのは、やっぱり自分の欠点ってそう簡単には変わらないってこと。私という人間の性質はもうきっと一生変わらない気がします。焦りやすい、心配性、杞憂。新卒の就活で唱えていた欠点は今も直っていません。ニートになって焦って心がどうにかなりそうだった時も、親友がかけてくれた「こんなにゆっくりしてもいいの?ってくらい、ゆっくりしていいんだよ」の言葉が効いた。何かの作品に触れていても、そういう言葉をかけてくれそうな器と懐の大きいキャラを好きになりがちだと、今になって気づきました。例えば、BLEACHだと平子真子が一番好きです。でもね、こういう言葉を自分で自分にかけられるようになりたいなって思うんです。今までだとこの流れで「じゃあ平子になりたい、自分が平子になろう」って思っていたところなんですけどね。私のこの欠点・性質が一生変わらないとして、多分私は平子にはなれないんですよ。だからその代わりに、「心に平子を飼えばいいんじゃないか」と思いついて。焦って思考が停止した時、心配で不安で仕方ない時、「平子だったらなんて言うかな」を想像する。これでいいんじゃないでしょうか。誰かを理想像と見立てて追い求めるのは自由だけど、もともと自分の持っている性質上向き不向きがあって、理想に近づけないのであれば意味がないし。“誰かになる”っていうのは突き詰めれば自分のアイデンティティが消滅してしまうわけだし。だから、トガちゃんの気持ちは痛いほどわかるけど、「誰かになりたい、誰かになる」というのを一度やめてみようかなって。今日はそんなことを考えた一日でした。

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取り急ぎひとりごとまで。