イマジネーション3。

ごきげんよう、ひとりです。今回もこのタイトル。ですが、今回でこのタイトルも最後になります。まず前提として、想像力の差が理解力の差に繋がるよって話をしました。そしてその想像力を育むには、漫画をはじめとする娯楽から実学以外の学問まで、一見無駄に思える知識や経験が役に立つんだって。そう伝えたかったんです。

 

なんでこんな話を始めたかと言えば、私のトラウマが関係するんですけど。大学生の頃、「無駄」と「しょうもない」が口癖の、とある人間が近くにいました。言うまでもなく超バイヤ人ですね。私の好きなものをね、その口癖で端から否定してくるんですよ。もう洗脳のように言ってくるの。まあ気分は悪くなりますよね。でも、そのおかげで、無駄なことや遠回りが人生を豊かにするんだって気づいたんです。

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私の好きなものは、無くても生きていけます。例えば、ドラゴンボールとか、星の王子さまとか、クドカンのドラマとか。想像力が大事って話しましたが、想像力が乏しくても直感的に理解できる人間っているんですよね。だから、そういう人間からすれば、私の好きなものは無駄ってことになります。だけど、想像力が乏しいゆえに相手がどう思うかを察することが出来ず、他人の好きなものを無駄とか言えちゃうわけです。やっぱり想像力って大事だし、無駄に思えるものが心を豊かにするんだって、私の中で証明されたエピソードですね。例の超バイヤ人は私とは相容れないってだけで、言っていることは一理あるんだと思います。でも私は超バイヤ人とは違うし、そうはなりたくないってことで、自分に言い聞かせるように今回三本立てで投稿しました。ちなみに、今でも「無駄」と「しょうもない」って言葉が嫌い。

 

拒食症

拒食症って聞いたらどんな病気を思い浮かべますか。昔、近所の女子高生が拒食症になっちゃって、原因もわからないから困っているとご家族から聞きました。それを聞いた時、きっと見た目を気にする年頃だからかなって思ったんです。私も見た目が気になって仕方なかった時期、食べたものを吐いちゃうことがありました。拒食症って聞いたら多くの人が、“ビジュアルへの執着からくる過度なダイエット”を思い浮かべるんじゃないかな。でもつい最近、拒食症を患う心理がそんなに単純じゃないことを知りました。

以前、「心が風邪を引いていた時にハマった漫画」って話をしました。『少年のアビス』と『Papa told me』ですね。その時改めてどちらも読み返したんですけど、意外な共通点を見つけて。どちらの作品にも、拒食症を描写したページがあるんです。

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Papa told me』の場合

まずね、『Papa told me』なんですけど、それだけ読んでいても全然理解できなくて。たまたま同じタイミングに『少年のアビス』を読んだことで、やっと意味がわかりました。ある女の子が死にたいって考えている話です。その気持ちを「何者かが私を明日に連れていく、明日が来てほしくない」と表現しています。最初に読んだとき解像度が高くて感心したんですけど、改めて読むとよくわからなくて。この死にたがりの女の子、拒食症なんです。親やカウンセラーは、年頃の女の子だしダイエットのせいじゃないかって推測するんだけど、どうやら本人の心理は全く違うものらしい。何気ない日常で、よくいる嫌な大人と接触したことをきっかけに、ご飯が喉を通らなくなったんだって。

 

『少年のアビス』の場合

一方で『少年のアビス』では、ぽっちゃりの「ちゃこ」って呼ばれている女の子が拒食症になってしまいます。ただ、ちゃこは昔からぽっちゃりしていて、特にダイエットをしていたわけじゃないんです。物語の舞台は閉鎖的な田舎。ほとんどの若者は閉塞感に苦しみながらも、いつの間にか大人になって土地ごと自分の生を受け入れていく。でもちゃこは違います。「上京して早稲田大学に通い、将来は出版社の編集に携わるんだ!」って、外に希望を抱く明るい女の子。そんな彼女ですが、家族の反対で強制的に夢をあきらめることになります。「一生この土地で家族と生きていくんだ」そう覚悟した日の夕飯。母親の料理が喉を通らず吐いてしまうんです。「いつも通りの味だった。これから先いつまでも同じ味を食べ続けるんだ。」って。それ以降、母親のご飯が全く食べられなくなり、拒食症を患います。

 

観念的な何か

Papa told me』も『少年のアビス』も、拒食症の原因はダイエットじゃないんですよね。前者は、「大人は不潔で悪い存在だ」って思ったら、大人へと成長していく自分を受け入れられなくなったってところでしょうか。後者は、終身刑に処されたみたいな心持でしょう。子どもから大人への過渡期。10代のこの時期は、何がナイフと化して心を傷つけるのか、自分でもわかっていない繊細な時期です。大人になるとみんな忘れちゃうんだけどね。本人にとっては、明日の生存を懸けた死活問題なんです。一種のイニシエーションみたいなものなのかな。どっちの女の子も、食べ物を概念で捉えていますよね。どうしても受け入れられない観念的な何かを、食べ物に重ねて拒絶する。そんな風に感じます。

この二つの作品に出会っていなかったら、きっと今も、拒食症に至る心理を表面的にしか理解できていなかった。そして、自分の粗雑な物差しで他人をはかり続けるところでした。やっぱり勉強だけじゃ身につかないものってあります。無駄と思える知識や経験、どんどん集めていきたいですね。

 

 

最後に。突然ですが、キリスト教ってすごいんです。先日、自分の拳の上で「1月は31日ある」って確認をしていました。それでふと、「365日を12ヶ月で分けて、30日の月と31日の月に振り当てているけど、これって世界共通なんだよね」って思って。キリスト教が世界の暦を統一したってことですよね。言語すら統一できていないのに、暦を統一する影響力。すごい!

以上、ひとりごとでした。