マイペース

物語

ごきげんよう!ひとりです。最近、ライフステージというものを意識させられて焦っています。焦る必要はないのにね。やっぱり風潮ってありますよね。義務教育が終わったら高校、高校を卒業したら大学、大学を卒業したら就職、適齢期に結婚・出産。この流れに沿って生きるのが当然、みたいな風潮。まあ、今平和に暮らせているのって、こういう流れのおかげなのかもしれませんね。戦後一度は無秩序と化した日本に新しい秩序が定着して、平和な社会が創られていったんだから、良いことです。

ただ、ライフステージが周りと違えば、生き遅れていると感じられてしまうのは、悪い風潮だなって思います。別に、たった一本の同じ道を一斉に歩いているわけじゃないんだから。道なんて人の数だけあるんだから、遅れるも何もないじゃんね。人生って、物語みたいなものだと思うんです。他人の物語を参考にするのはいいけど、他人の物語に気を取られて自分の物語が進まなくなってしまってはどうしようもない。他人の人生が自分のものになるなんて絶対にありえないことなので、この人の物語は面白いな!素敵だな!羨ましいな!って思うくらいがちょうどいいです。そしたら今度は、自分の物語と向き合うか!って。

BLEACHのアニメ主題歌に『マイペース』って曲があります。一つ数えて進めばいい。二つ数えて休めばいい。三つ数えて考えりゃいい。自分の人生、「マイペースで進めればいい」んです。

 

法律と倫理

死んだら何も残らないし、いずれ絶対に死ぬ。死後の世界なんてわからないけど、自分が死んだら、名誉とか、賞賛の声とか、そういうものは全部無くなってしまう。そう考えたことがあります。それは同時に、失敗とか、他人の視線とか、そういうものも全部無くなるってこと。何もかも無くなってしまうんだから、他人がどう思うかなんて気にするだけ無駄なんだなって。

今年、27浪目にして慶應に合格した人がいるらしい。この話を聞いて、「人生ってこういうことだ!」ってビビッときました。この方は、他人がどう思うかじゃなくて、自分がどう思うかで行動している。自分だけの「好き」とか、欲求とか、とかがちゃんとあって、それに向かって真っすぐ突き進んでいるんです。誰が何と言おうと、私にとってはこの方の生き方が正解な気がしてなりません。有名な大学に行って有名な企業に就職して、次はどんな夢を持たないといけないんだろうって、無意識に義務感みたいなものを抱いていました。「特にないな、どうしよう。結婚?出産?」って。でも、夢を更新し続けないといけないなんて、そんな義務はなくて。それに、いつの間にか「周りと同じようにライフステージを進むこと」が夢になっていた。その根底には、やっぱり、“他人がどう思うか”があったわけです。

人生において、気にするのは法律と倫理だけでいい。それだけちゃんと考えていれば、あとは、「自分の好きなことをする!」っていうのが正しい生き方だと思うんです。“他人がどう思うか”だけを考えて就職した結果、生きるための労働のはずが、働くために生かされていると感じるようになった。死ぬまでの暇つぶしとも感じた。あの頃、想像する未来は死ぬまで真っ暗で、死んでいるも同じみたいなものでしたね。心身壊れてニートになって落ちるところまで落ちたけど、不思議と、これからの人生の方が絶対に幸せだって自信を持って言える。新卒で入社した企業以上に条件や給料の良い会社にはもう就職できないって、わかっているけどそんなのチャラヘッチャラ。ニートになったことはむしろ、“他人がどう思うか”を気にしながら生きていく道から離脱できて、喜ばしいとさえ思います。これから先の人生、“自分がどう思うか”で生きていけるようになったんです。GReeeeNの『道』が流れてきそうな気分。好きなことがあって、好きなことをするために働く。お金持ちになるでもなく、ライフステージを進めるでもなく、いかにストレスフリーに好きなことをして生きていくかっていうのが、私にとっては重要なんです。

 

機嫌

私は自分の顔が好きです。ビジュアルのコンディションが良いってだけで、その日は一日中ハッピーでいられます。『可愛くてごめん』の主人公みたいな感じ。嫌なことがあっても、「まあ、可愛いから、いっか!」って思えます。自分で自分のご機嫌を取れるのは、自分の良いところだなって思う。でもその反面、ビジュアルのコンディションが悪い日は最悪です。特に写真に残っていると、それを目にした日は一日中萎えます。身体と心とビジュアル、これらの調子は比例するどれかが崩壊すると、他も道連れにガタガタと崩れていきます。逆も然りで、どれかが回復すると、他も諸共回復していく。最近になって気づきました。

というのもね、去年の春から夏にかけての話。体調において最悪のフェーズから抜け出せたってだけで、「自分はもう治ったんだ」と調子に乗ったときがあったんですよ。体調が悪くて会いたくても会えなかった人たちに会いに行ったり、人から誘われたらとりあえず出かけてみたり、とにかく他人との接触を心掛けるようにしていました。そんな中で、例のデブのボストロールにね、「元気に見えるけどな」って言われたんです。知り合い未満の関係で。それまでの私の経緯も伝えてある上で。そりゃ人と会う時くらい、無理してでも元気に振舞いますよ。その言葉をきっかけに、元気になったと思っていた身体も心も見る見るうちに萎んでいって、しばらく外に出られなくなりました。

別に会いたいとも思わない、好きでも何でもない相手に、無理して元気を装った挙句「元気に見えるけどな」とか言われて。自分は何をやっているんだと心底情けない気持ちになった。病人として見て欲しいわけじゃないし、元気を装うという努力が実った結果なので、どちらかといえば喜ばしいことなのかも。でも、相手が悪かったかな。「思ったより元気そうで安心した」っていうニュアンスじゃないからね、なんせ出会って間もない知り合い未満ですから。私の何を知った気でいるんだろうって。自分の精一杯の気遣いがその一言でゴミにされた気分。というか、“無理して元気を装っている”時点で、全然治っていなかったんですよね。

 

ところで、私はブログというものを大学生の頃からやってみたいと思っていました。実は何度か挑戦してみたんだけど、年齢のせいか、どうしても文章から承認欲求がプンプン匂ってしまって。自分でもキモいと思うくらいだったから、何度も頓挫しました。今は承認欲求以外の目的も持ち合わせて書いているので、幾分かマシになりましたけど。でね、「退職したら今度こそブログを始めたい」って辞める前からずっと思っていて。でも、いざ会社を辞めて時間が有り溢れていても、出来なかった。体調が悪すぎると、好きなこともできないみたい。会社を辞めて一年が経過して、やっと、始められた。このブログを始めたのが去年の12月なので、思い返せば去年の春から夏にかけてなんて、絶不調もいいところだったわけです。

最近、去年の春夏に撮った写真を見返していたんですけど。思っていた以上にビジュアルが酷かった。当時は自分でも可愛いって思えたんだけど、心身が回復するにつれてビジュアルも回復してきた今、その頃の自分が醜く痛々しく見えるんです。無理して平気なフリをしているのに、全然平気じゃない自分の姿が、痛い。無理して平気なフリをしてそのまま平気になってしまえば、逞しく綺麗に見えるんだろうけど、そうはなりませんでした。写真、消したいな。まあもう過ぎたことだし、私のビジュアルを気にしているのなんて世界に私しかいないと思うので、考えないようにします。ちなみに、ブログを始めてからグングンと体調が良くなってきました。好きなことをするって、大事ですね。逆に、好きなことをできないっていうのがあまりにも異常なのかも。

 

 

最後に

ドラゴンボールは、「私の好きな漫画ランキングBEST3」に入る漫画です。だけど実は、初めて読んだのはニートになってから。会社に勤めていた頃は毎日死にたいと思っていました。そんな私がドラゴンボールを読んで、あの時死なないで良かったって思えた。生きていて良かった、自分はドラゴンボールを読むために生まれてきたんだって。だから、鳥山明先生の訃報を目にした時、動けなくなった。会ったこともないのに、どうしようもなく悲しい。私じゃどうすることもできないけど、先生のおかげで意味が生じた自分の人生を、自分で守っていかないとって思います。間違ってももう、死にたいと思ってしまうような場所には行かないように、努力する。先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

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ひとりごとより。/『ピースオブケイク①』ジョージ朝倉

 

 

ちなみに、デブのボストロールに関してはこちらから。

n-project.hatenablog.jp

 

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