風になりたい

ごきげんよう。ひとりです。

ナルトの母ちゃんがこんなことを言っていました。「母さんは女だからよくは分からないけど、とにかくこの世は男と女しかいないから、女の人に興味を持つことになっちゃう」だけど、変な女に引っかからないようにねって。息子を想う母の言葉です。どんな発言でも不適切になりがちな現代で、上手く適切に表現されているなと、個人的に印象に残っている場面。

私はこのブログで政治的なことを一切書きたくないんです。これは、「酒の場で宗教と政治と野球の話はするもんじゃない!」という精神と同じです。だから、性別に関わってくるような話も避けてきたんですが、今回は私が女性である故に経験したことを書きたいなと。まあ共感できる・できないというのに、性別は関係ないんですけどね。出来るだけ不適切にならないように話すつもりですが、「今回は女性の話をするよ」っていう予告をしておきます。

 

ねずみ色の話

ところで、ナルトの母ちゃんの言葉ですが、これも不適切になるのかなって色々考えちゃいました。「この世は男と女しかいないから」って言葉とかね。でも実際、カテゴライズするなら男か女かの二択に迫られるので、適切なのではないでしょうか。性別で悩んでいる多くの人も、身体的性別と精神的性別のミスマッチやギャップに悩んでいるのであって、“男と女”以外の性別があるってわけではなさそうです。そしてナルトの母ちゃんの言う通り、異性に興味を持つのは自然のことです。種を残すための生理現象なので、なかなか逆らえるものではありません。

最近でも何かと話題に上がる男女の二項対立ですが、なんだか主語が大きい気がしてうんざりします。男だからとか女だからとか、そういう問題じゃないよなって。でも確かに“傾向”というものはあって、”男と女だから生じる”という点は否めません。同性間より異性間で起こりやすい。だけど、それも確率の話であって、同性間でも起こることはあります。例えば、セクハラとかね。要は、白と黒では語れないグレーな話を白と黒で語ろうとするから、誰かに対して暴力性を帯びた表現になってしまうんですよね。これはどんなことにも言えるんですが、カテゴリーって前に付けるものではなく後に付けるものだと思うんです。男だから悪いのではなく、悪い人が男だっただけ。女だから優しいのではなく、優しい人が女だっただけ。もちろん傾向も関係するんだけど、まずはその人を一人の“人間”として見るべきかなって。まあ綺麗事っぽく聞こえますが、少なくともこのブログではこれを意識したいです。

 

亜麻色の髪の乙女

女性にとって髪は命と言います。私は、命というにはまあまあ粗雑に扱っちゃっているけど、頑張ってセットした日に強風が吹いて努力を無駄にされたときは「風死ね」と思います。学生の頃はTwitterで「風死ね」と検索していました。そう考えるとやっぱり、髪は自分の身体の一部であって、他人に侵されてはいけない領域にあるわけです。

そんな髪の毛をね、勝手に触ってくる男がいたんですよ。それまで他人に髪を触られたことなんてなくて、びっくりした。覚えていないだけで触られたことはあるのかもしれないけど、きっと許せる間柄だったんだと思う。勝手に髪の毛を触られるのが、なんて気持ちの悪いことなんだと、この時初めて知りました。お互い、友人の結婚式の場にいた。ただそれだけの、知り合い未満の男。怖すぎる。怖くて気持ち悪くて悔しくて、トラウマとなって今でもフラッシュバックします。この男ね、エスカレーターも真後ろに乗ってくるんですよ。一段も空けずに。距離感バグマンです。物理的にも心理的にも、こちらが一切許していない領域に土足で入ってくる。この男の足跡が拭えない汚れとなって、心にこびりついています。

この不快感は、痴漢とかセクハラとか、そういうものに値します。女性の髪の毛を勝手に触るのは女性より男性の方が多いし、逆に女性が男性の髪の毛を触ることなんてなかなかない。これが傾向ってやつです。でも、こんなことをしてきたのはその人が初めてだったので、傾向というのはやっぱり参考程度にしかなりません。それからというものの、この男の人がデブのボストロールに思えて仕方ない。ドラクエに出てくる、あの涎ダラダラのバケモン。最初は普通の人間に見えたんですけどね。太っているから気持ち悪いんじゃなくて、気持ち悪いことをしてきて気持ち悪い思いをしたから、デブのボストロールに見えるんです。嫌な思いをすれば、嫌な思いをさせてきた人間の、嫌な部分が、嫌でも目に付くようになる。大体のことはそんなもんですよね。

 

どす黒い感情

女性には月経というものがあります。こいつは本当に厄介です。神様は何を想ってこの機能を付けたのでしょうか。情緒が乱れていいことなんて一つも思い浮かびません。月経によって体と心に生じる不快な症状をPMSといいます。私自身もともとこれの症状が重い方で、受験生の頃は受験の日にどうか当たらないでくれと、何度も神様に祈ったほどです。

今まで生きてきた中で2回ほど、この世のものとは思えないどす黒い感情が発生しました。最初は大学一年生の冬。どうでもいいことや何でもないことに、殺意すら湧いてくる。二度目は大学三年生の冬。まるで悪魔に乗っ取られているかのよう。何のエンもないところから発生して、何のユカリもないところへと向かっていく。ブラックホールのように自分を含めたすべてのものを飲み込んで回る、恐ろしい感情です。

今思えば、PMDDというやつだったのかもしれません。PMDDとは、PMSのうちで特に精神面の不調が著しい状態をいいます。病名をつけて自分にそのレッテルを貼るのはできるだけ避けたいことだけど、どう考えてもあの感情は健全ではなかった。私の場合は症状の重さが毎回違って、PMDDと呼ばれる症状も数えられるくらいしか経験したことがありません。でも経験したからわかる。あれは自分でも理解できない感情です。自分で理解できないから、当然、他人も理解できない。理解できない言動をまき散らしている人間に触れて、祟られたり呪われたりしたときは、「この人はPMDDによって悪魔に乗っ取られているんだ!」って考えて祓うといいのかもしれません。もちろん病気を免罪符にできるわけではないけど、悪魔のどす黒い感情にあてられても、「自分も悪いのかも」と自責の念に駆られる必要はないってことです。そして実際にPMDDの悪魔に悩んでいる女性もたくさんいると思います。何でも許してあげられるわけではないけど、そういう苦しみもあるんだなと知ってあげられると、少しは何かが変わってくるかもしれませんね

 

 

最後に

男とか女とか関係なく、「一人の人間である以前に一人の異性として、あなたを見ていますよ」ってことが本人に伝わってしまえば、それは十分セクハラになりえます。辞めた会社にもそういうおじさんがいたんですけどね。いつもなら寮に帰るところを、具合が悪くて実家に帰ることになっていた日、大きなカバンを持って行ったんです。その帰り道でおじさんがね、「そんな大きなカバンを持っちゃって、彼氏の家に泊まるんでしょう?」ってしつこく言ってくるの。『不適切にもほどがある!』で阿部サダヲが言っていましたよね。「娘に言えないことを他の女性に言うもんじゃない」って。血の繋がった同胞の前で言えないことや出来ないことは、行動を起こす前にちゃんと吟味した方がいいです

 

後味が悪くなりそうなので、一旦、爽やかな風を吹かせてから終わりましょう。10年に一度あるかないかの、この上なく風が気持ちいい日ってありませんか。そんな風に初めて吹かれたのは、高校生の時だったかな。思わず脳内でTHE BOOMの『風になりたい』が流れたのを覚えています。「風になりたい」ってこういう気持ちなんだ!って。

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人間は強くはないけど、弱いからこそ、柔軟に適応していけるんです。以上、ひとりごとでした。/『小さな倫理学入門』山内志朗

平成

旅立ち

ごきげんよう。ひとりです。浪人時代、息抜きによく東海オンエアの動画を見ていました。一番好きなのは『旅立ち』の動画。GReeeeNはもともと好きだったけど、『旅立ち』を知ったきっかけは東海オンエアの動画。その年の1月と2月は『旅立ち』をエンドレスリピートで聴いていました。試験と試験の合間もずっと『旅立ち』。思い出の曲です。ちなみに現役生の時は、back numberの『アンコール』を永遠に流していました。

東海オンエアで『旅立ち』といえば、『世界でいちばん頑張ってる君に』も好きです。昔、スズキ・アルトのCMで流れていた曲。「君のためのアルト♪」ってやつです。これ久しぶりに聴いたら、もうボロ泣き。幼心を思い出しました。この年まで育ててくれた両親の愛情に気づいて、温かい涙がジワジワ~って。あの頃に戻りたいとか、そういうことは普段考えないんですけど、『世界でいちばん頑張ってる君に』を聴いている瞬間だけは子どもに戻りたいと心から思いました。

 

懐古

平成っていい時代でしたよね。思い出補正が強めに効いているのかもしれないけど。懐古風潮で昭和が人気なのは、昭和時代を生きた人口が多いからだと思うんです。私は平成生まれの平成育ちなので、やっぱり平成が好き。平成の30年間に閉じ込められていたいですGReeeeNの『キセキ』とか、MVを観ただけで涙が出そうになる。ラブ★コンのアニメED『キッス~帰り道のラブソング』も、映像と相まって涙腺が熱くなります。年齢が関係するのか、私にとって平成は“The 青春”の時代なんです。ラジオを付ければいつでもどこでもヒルクライムの『春夏秋冬』が流れていた時代。

こういうの、プルースト効果っていうんですかね。Netflixの『初恋』で見たやつ。宇多田ヒカルの『First Love』が記憶の引き金になる話です。本来プルースト効果というと、「特定の香りが忘れていた記憶を呼び起こす現象」をいうらしい。好きな人と同じ香水を街の中で感じると、ついて行きたくなっちゃう現象のことですね。「一瞬で体温蘇るから」って。でも個人的に、香りで何かを思い出したことはない気がする。やっぱり音楽が記憶と結びつきやすいです。強いて言うなら、校庭とか、海の家とか、夏祭りとかかな。砂埃やら潮風やら煙やら、いろんなものが混じった空気。“特定の香り”とは言えないけど、鼻がムズムズと反応するので多分プルースト効果です。

 

特定の香りといえば、ペットの匂いを香水に出来ないかなと、毎日考えています。そういう技術、そろそろ出てこないかなって。ついつい吸っちゃいますよね。お日様の匂いなのでしょうか。太陽の成分を体に吸収できるなんて、神に近い存在なのかもしれません。私は毎日のように、お犬様から御利益を授かっているってことですね。ところで話は変わりますが、GReeeeNの『旅立ち』、MVのラストシーン怖くないですか。突然のホラーテイストに情緒がおかしくなる。あのカップルの最後は『木綿のハンカチーフ』エンドだと勝手に解釈しています。

 

思い出

「いつのことだか思い出してごらん、あんなことこんなことあったでしょう」。これは『思い出のアルバム』です。幼児向けになった、中島みゆきの『時代』みたいな歌。「そんな時代もあったね」と、いつか笑って話せる日が来るから、今日は今日の風に吹かれましょう。『時代』、素敵な歌ですよね。“今”の価値は、今はわかりません。しかし、何十年も先では間違いなく、かけがえのないものになっています。そしてその無限に膨れ上がった価値に気づいたとき、温かい涙が流れるんです。宝石と同じです。宝石は、想像もできないほど膨大な時間をかけて輝きを得ます。歳を取ると過去が増えて未来が少なくなるけど、宝石を育てていると思えば、そんなに悪いものでもないですよね。

V6の『HONEY BEAT』って曲に、「思い出は今を越せないよ」という歌詞があります。早稲アカのCMで流れていたこともあって、学生の頃はすごく心に響きました。最高の瞬間を更新し続けよう!って。でも大人になると、「最高の瞬間を更新したい」という思いとは裏腹に、理不尽なことが降りかかってきたり、妥協しなきゃいけない場面に遭遇したりする。エゴを押し殺して生きる今を、思い出は優に追い越していく。だから、大人になると昔を懐古してしまうんです。昔はよかったという響きに今の時代を否定されている気がして、懐古主義をよく思わない人もいます。私ももう少し若かった時はそうでした。だけど、宝石を愛でるかの如く思い出に惚れ惚れするのは、エゴを押し殺しながら生きる大人の特権だと思います。思い出に越されてしまう“今”は、思い出の価値を享受するためにあるのかも。復習の時間ってことです。

今窮屈な思いを抱えている大人は、『世界でいちばん頑張ってる君に』を聴いて、思い出に耽ってみてください。きっと温かい涙が出てきます。

 

 

最後に

今期のドラマは『不適切にもほどがある!』を見ています。クドカンの最新ドラマです。チョメチョメ~♪ってメロディーがあるんですが、あれを聞くとガッシュのビッグボインを思い出します。元ネタがわからないからか、私だけですかね。これもまた、子どもが見る朝のアニメにしてはやや不適切です。令和で放送できるのかな。

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ひとりごとより。/『小さな倫理学入門』山内志朗

優しい小心者

ごきげんよう、ひとりです。

最近、『大神』ってゲームで遊んでいるんですが、モブキャラに優しい小心者が出てきます。ヨイチという名の弓の名手。彼の放つ弓矢のおかげでストーリーが進んだり、主人公に幸福が舞い込んだりします。「よくやった!」と褒めてあげたいところですが、当の本人は「偉いことをしてしまった、どうしよう」って感じで、犯人探しが始まってしまう前にトンズラをこきます。そこは「俺の手柄だぞ、感謝しろ」って傲ってもいいところなのに。彼は小心者だったんですね。そのいじらしさに微笑ましく思いました。

小心者といえば、ふかわりょう小心者克服講座もありますね。一時期めっちゃハマりました。今でも好き。微笑ましいです。

 

主人公

少年漫画の主人公って、みんなどこかのネジがぶっ飛んでいます。悟空とかナルトとかゴンくんとか。天然というか愛すべきバカというか、その抜けているところが面白いんですよね。笑っちゃってついつい許しちゃうの。そしてまた、ネジが抜けている故に彼らの正義は怖いくらい一直線で、いつも猪突猛進しています。強い奴と闘いたいとか、友達を里に連れ戻したいとか。自分の正義のためならなんだってする、素直と正直の究極権化です。どんな自己犠牲も厭わない。ゴンくんなんて、自分の腕を爆破させたり罪のない女の子を人質に取ったり、挙げ句の果てにはゴンさんになってしまうほど。

それでも、完全無欠にはなりえない彼らを、誰もが大好きになってしまいます。これは「完全無欠じゃないから」なのかもしれません。笑って許せちゃうようなおバカなところがあって、素直で正直で、闘うと強い。完全無欠ではないけど、最強じゃないですか。私の友達にもまんま主人公気質の子がいてね、私もその子が大好きだし、みんなに愛されています。その子のことを嫌う人がいるなら、それは嫉妬しているんじゃないかって疑うほど。マジで最強です。私もその子みたいになりたくて、中学生の頃はその子からたくさんのことを学びました。夏に31のアイスを二人で食べたんですけどね。先にアイスを受け取ったその子は、私が来るまで一切食べずに待っているんですよ。もう手とかドロドロになっているの。ツッコミどころあるけど、優しくていじらしいですよね。本当に主人公みたい。

でね、大学生になって色んなコミュニティを経験してから気づいたことがあります。こういう主人公気質でいると、あらゆる人間関係を上手く切り抜けられる。バカを演じるっていうと明け透けな物言いになりますが、プライドの端っこを少し切り捨てて「おバカさんだな、仕方ないな」って思われるように振る舞っていると、結構円滑に物事が進みます。もちろんそれを嫌う人もいるだろうけど、全ての人に好かれるなんてそもそも無理な話なので。あとは自分のプライドと相談ですね。許しちゃいけない線はちゃんと決めておくこと。自己肯定感を保てる範囲でやるといいです。ちなみに私が新卒で入った会社の女性社会では、一部の意地悪な人には通用しませんでした。でも今まで通用しなかったのもその一人や二人だけです。みんな誰もが自分の人生では自分が主人公なので、常に主人公マインドで生きていてもいいですよね。

 

幸福を願う

街で見かけた知らない人や、こちらが一方的に少しだけ知っているという人に、思わず幸福を願ってしまうことってありませんか。その人が可哀想に見えたわけではなく、ただなんとなくその人が悲しんでいないといいなって。ラッコの飼育員をやっているおじさんとか、人を傷つけないようにと教鞭をとる傷だらけの倫理学者とか。

数年前に電車であるおじいさんとおじさんを見かけて、今でもその時の風景を覚えています。きっと親子だったと思うんです。おじいさんの方がおじさんのことを優しい眼差しで見つめていて、いくつになっても親は子を愛しいと思うんだなって。この二人が幸せでいるといいなって、勝手ながら優しい気持ちになりました。ラッコを愛しそうに見つめるおじさんもそうだし、誰かのためを思って倫理学を研究する大学教授もそう。その人たちの背景は知らないけど、ある場面を切り抜くと間違いなく誰かに愛情と優しさを注いでいて、そんな人が悲しい思いをしていて欲しくないなって思うんです

もちろん、これはある種の偏見に過ぎないので、彼らも誰かにとっては良い人だけど誰かにとっては悪い人であるかもしれません。でも私はそういう背景を全く知らないし、私が幸福にしてあげるわけでもないので、そこまで考えなくていいかなって。私が目撃した限りで誰かに注いでいた愛情や優しさが、その人に還元されていることをただ願うだけです

 

 

最後に

「やってみたい要約300」。今回で『恋文日和』編は最後になります。要約なので、情緒という情緒は削がれています。エンドもわからないようにしました。是非、ご自身で物語の全貌を見届けて欲しいです。可愛らしい物語になっています。そして次回からは、自分は傷つきながらもみんなが傷つかないようにと、心を込めて書かれた倫理学の本を要約していこうと思っています。

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ひとりごとより。/『恋文日和②』ジョージ朝倉

Oh yeah!

別人格

ごきげんよう、ひとりです。最近、眠れない夜は自分の過去のひとりごとを眺めに行きます。そして拙い文章に驚かされます。「あれ?これ本当に自分が書いたの?」って。改行とか読点とか、気になりだすと気持ち悪くて頭が痛くなる。でも毎回、何度も推敲を繰り返して「よし!これで完璧!」と満足してから投稿するので、当時の自分にとってはそれが限界だったってことですね。だから後になってテコ入れするのもなんか気が引けます。拙い文章から窺える未熟な自分もちゃんと愛してあげて、限界を突破した今の自分を褒めてあげようって思うのです。

 

そういえば、「昨日までの自分はもう自分とは思わない、別人だ」って誰かが言っているのを聞いたことがあります。昨日の自分がどんなヘマをしようが、「だっせーあいつ」って思うだけで気にならないんだとか。無責任だなとも思うけど、このくらい割り切って生きないとこの世界ではやっていけないのかもしれませんね。

過去の自分を別人格と見るかどうかって、結構面白いテーマだと思います。私は過去の自分を別人格とは思わないけど、未来の自分は別人格として見ています。未来の自分が困らないように今を生きる。何でも先回ってお世話をしてあげるような感覚です。過去の自分になめられたものですね。文章は拙いくせに。でもね、これが結構助けられているんですよ。今まで何度、過去の自分に感謝したことか。あと、自分と自分で対話するのもなかなか面白い。自分の主観と、それを客観視する自分。紙とペンがあればできます。自分が今欲しい言葉って結局自分がよく知っているから、人に聞いて回るのもいいけど、自分で言い聞かすのが手っ取り早いです。私は孤独な自宅浪人をそれで乗り切りました。

何にしても、その時の気持ちを何らかの形で残しておくと、あとで財産になります。人間が保持できる記憶の容量は、きっと今使っているスマートフォンよりずっとずっと少ないです。ほとんどのことは忘れて無くなってしまう。そして時間も戻りません。10代のうちの10年間、毎日日記を書き続けた人がいると知って、私はめちゃくちゃ羨ましく思ったし後悔した。だから、フッと気が向いたときに、その時を生きた痕跡を残すようにしています。自分がおばあちゃんになった時、それを眺めて微笑んでいたいですね。

 

あの空

「あの空」といったら、どの空を思い浮かべますか。私は2000年代の晴れた空を想起します。大塚愛ちゃんの『SMILY』とか、オレンジレンジの『ロコローション』とか。あの頃ヒットした音楽のミュージックビデオで見る青空。なぜか「あの空」といったらこれなんですよね。私が小学生だった時代です。さらに言うと、の『Oh yeah!』は特別胸に刺さります。なんでなんだろうって、一度考えてみたことがあって。多分、10代前半を生きる私が初めて想像した“憧れの青春”ってやつなんだと思います。これから自分が経験するであろう爽やかな青春。夢がいっぱい詰まった青春。『Oh yeah!』が流れていたのってC1000のCMなんですけど、そこに映っているのがまさに私の想起する「あの空」だったんですよね。幼いながらに心の琴線に触れたのでしょう。

Oh yeah!』は歌詞が秀逸だと思っています。抽象的でわかりづらい部分もあるんですけど、いろいろ想像できてそれもまた粋です。わかりやすい部分で言えば、「もう一度あの日に戻るとしても、同じ道選ぶだろう」って歌詞が、結果がわかっていてもなお、迷いなく自分の過去を肯定するようで好きです。ここから先は『Oh yeah!』の歌詞を、私なりに解釈して垂れ流すだけになります。ぜひ、歌詞と照らしてみてね。

 

負ける戦はしないよ

『Oh yeah!』はティーンエイジャーカップの話。自分たちは何者にでもなれると信じてやまない、最強無敵の時期ですね。マリオのスーパースターを拾ったみたいな。それでも、心のどこかで敵わないものがあることを知っています。それは永遠です。マリオのスーパースターも永遠ではありません。きっと二人は、真っ暗で先が見えない未来に永遠を探したのでしょう。永遠なんて今はただ信じることしかできなくて、「二人の関係は永遠に続くよね?大丈夫だよね?」と何度も確かめ合ってきたんだと思います。バイト帰りに待ち合わせた夜。自転車に二人乗りしながら駆けた道。朝焼けの校庭に埋めた手紙。遠回りして一緒に超えた歩道橋。こうして、二人だけの世界を築き上げていきます。青春ですね。「負ける戦はしないよ」っていう歌詞は、「別れるとわかっていたら最初から一緒になっていないよ、大丈夫だよ」って意味なんじゃないかな。

 

いつからか少年は涙のわけを知り

時間が過ぎるにつれ、永遠を約束したあの日も遠ざかっていきます。何気ない思い出も、痛みを覚えた思い出も、たくさん積もっていく。涙を流した日もたくさんあった。その中に特別な涙があって、なんで流れてくるのか自分でもわからない。「いつからか少年は涙のわけを知り」って歌詞があるんですが、誰の涙かわからないんですよね。でも涙のわけになんとなく気づいてから、「心で泣いて顔は笑うんだ」って言っているので、どこか吹っ切れたようにも感じます。だから多分、この涙は自分の涙で、“永遠の約束”に窮屈さを感じ始めたから流れたのでは。一緒にいたいけど離れたい、みたいな。窮屈さに涙することって結構あります。この感情に関しては『あのこは貴族』って作品がわかりやすいです。恋人との約束って、お互いの自由を縛るものになりますからね。10代なら尚更耐えられないんじゃないですかね。あんなに二人で切望した永遠に、そろそろ終わりが近づいてきます。(ただ、涙が少女のものだった場合、GReeeeNの『旅立ち』パターンになりますね。)

 

午前九時街が動く

「午前九時、街が動く、二人乗せて」もうこの時点で大人になっていますよね。午前九時の街は学生に関係ない単語です。結局二人は別々の道を選んで、今は同じ空の下にいるだけ。だけど、「もう一度あの日に戻るとしても、同じ道選ぶだろう」です。あの日はいつなのか。これは永遠を約束した日とも取れるし、約束を破棄した日とも取れる。二人が一緒になったことも、離れたことも、どちらも後悔していないよって。ただ、正確な歌詞が「おなじ路(みち)」になっているので、もしかしたら永遠を約束した日のことかもしれませんね。二人で自転車に乗って翔けた路です。二人の関係は永遠じゃなかったけど、あの時のあの世界は二人の中で永遠に残ります。これが青春ってやつですね。『Oh yeah!』は言うなれば、爽やかで前向きな『秒速5センチメートル』だと思います。あくまでも私の解釈に過ぎないので、ご参考までに。

 

 

最後に

中学生の頃、毎日朝シャンをしていました。中3の春。部活の朝練で早いとき、日差しは強いのに風が心地よくて、自分の髪からシャンプーの匂いが香ってくるの。それはもう爽やかで。当時使っていた緑色のジュレーム。私の青春の匂いです。『アオハライド』の双葉ちゃんと髪形をお揃いにしてね、あの頃の私は間違いなく最強無敵でした。iPodで聞く音楽はファンモンかGReeeeN。流行りのアプリはテンプルラン。なんて爽やかだったのでしょう。あの刹那をジオラマにして閉じ込めたい。

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ひとりごとより。/『恋文日和1』ジョージ朝倉

雷櫻

いろはにほへと

ごきげんよう、ひとりです。令和版アニメ『うる星やつら』。原作へのリスペクトがヒシヒシと伝わってきます。それでいてしっかり令和風のデザイン。めちゃくちゃ可愛い。OPもEDも毎回可愛い。どれも本当にラムちゃんが歌っているみたいなんです。可愛くてなんだか幸せな気持ちになります。ED曲の『雷櫻』。春の情緒が身に染みる曲です。ドンピシャで好き。あとヨルシカの『春泥棒』も。

 

春の桜といえば日本を代表する殿堂入りの風物詩ですが、“いろはにほへと”を思い出しますよね。『雷櫻』の歌詞にも出てきます。私は『にほんごであそぼ』で知ったんですが、子どもの頃はただ50音を羅列しただけのものだと思っていました。これ、ちゃんと漢字に変換して意味を汲み取ると、めちゃくちゃ趣が深いの。びっくりした。思わずキュンとします。

色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日超えて浅き夢見じ酔いもせず色美しく香る花もやがて散ってしまう。私の住む世界では誰も永遠を知らない。留まることなく移り変わるこの世界を今日も生きる。いたずらに夢見心地に浸ることもなく、地に足つけて。不可逆的で限りあるものは美しいです。“いろはにほへと”って日常で使うことほぼないから、十二支よりも覚えられないですよね。私はモーニング娘。の『青春小僧が泣いている』を聴いて覚えました。これを聴くと嫌でも覚えます。古典の勉強って意味ないと思っていたけど、日本の風情を嗜むのに必要になりますね。もっとちゃんと勉強しておけばよかったな。

 

究極の夢

人間の究極の夢は昔から不老不死とされています。これはフリーザ様もベジータも望んだことです。ちなみに私が昔使っていたアイライナーもフローフシというものでした。でもそんなにいいものなんでしょうかね、不老不死。私は老けたくないけど、ちゃんと死にたいです。もし、自分史上最高に美しい姿のままいられるなら、短命でも構いません。不死って何かグロテスクで怖い。成仏することさえできない生きた屍みたいな。だって自分以外のすべての生き物に置き去りにされるんですよ。永遠に。私なら耐えられない。ピーターパンになっちゃいそう。

桜だって散らずに一年中咲き続けていたら気味悪がられていたはず。命に限りあるから美しいのであって、不死なら不老でも醜く見える気がします。さらに言うなら、一番美しく咲き誇る旬の時期は生涯のうちの真っただ中にやってきて、それを過ぎるとあとは枯れていくばかりです。でもだからこそ、美しい姿が際立つ。老いに耐えられない姿すら、生命の限りを想って美しく見える。桜と同じです。桜も満開の時が一番美しいけど、散っている姿も美しい。なので、旬が過ぎた後はいかに美しく散っていくかですね。美しく年を重ねて、美しく枯れていきたいです。

 

正解

私も大学を卒業してすぐ、老いというものに恐怖しました。社会人になって身体を壊して、みるみるうちにビジュアルも崩れていって。目に見えて変わっていくから怖くて仕方なかった。自分という人間が酷く不細工に見えて、これからの人生に絶望していました。まあそんな風に考えるなんて心が病んでいた証拠ですね。それでもやっぱり老いるのは怖いです。でね、どうしようかこれからって考えていた時に、たまたまオードリーヘップバーンの写真を見かけて。若い頃の彼女は、それはもう絶世の美女で、彼女の前では言葉をなくしてしまうくらいに美しいんですよ。実際に会ったわけでもないのに。オードリーが歳を重ねた姿を初めて見た時もまた、言葉にならなかった。確かに歳を取っているのに、とにかく美しいんです。この人は美しく歳を重ねていったんだなって。美しい内面がそのまま顔に映し出されているの。老いてもなお美しい彼女の姿を目の当たりにしてから、私の中で「美しく歳を重ねる」の正解が解った気がしました。

女性アイドルが好きな私は、彼女たちがアイドルを卒業する年齢に自分が近づいていく度、どこかで焦りを感じていました。アイドルでもないのにね。でも考えてみれば、歳を取っても美しい人ってたくさんいます。私の大好きなえびちゃんもそう。流石に芸能人と比べると都合が悪いけど、美しく歳を重ねていく努力はしていきたいなって思います。特に笑い皴を刻んでいきたいですね。ところで、今日は何回「美しい」って言葉を口にしたんだろう。一文に一個入っているかもしれませんね。

 

 

最後に。ニートになる前に経験した嫌な気持ちがしばしば蘇ります。忘れていたところをわざわざ掘り返すかのように、自発的に思い出します。忘れたいのに。ニートは時間が膨大にあるし、上書きするような新しい経験もないので、どうしても反芻してしまうようです。忙しく日々を過ごしていると嫌な気持ちになることってたくさんあるけど、忙しい故に自分で流すまでもなく勝手に流れていくんでしょうね。そしてニートはそれをわざわざ拾いに行く。早く復帰したいです。

この前、面白い文章を目にした。「相手をただの現象だと思い、何が起こっても“雨に降られたようなものだ、仕方がない”と考える」これを書いた人の文意とは違った取り方になるんですけど、忘れたいのに反芻してしまう嫌な記憶ってこうやって対処するといいのかも。

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ひとりごとより。/『恋文日和1』ジョージ朝倉

2月

地続き

ごきげんよう。ひとりです。

些細なことなのに忘れられないことってありますよね。よく覚えているなって自分でも感心します。私は特に受験生の時の記憶が多いです。毎日何かを学んでいる受験生には、毎日新しい気づきがあるんですよね。些細なことだけど、世界の見方が少し変わる瞬間自分の成長を愛でたくなる素敵な記憶です。自分の成長は自分ではなかなか気づきにくい。自分という人間は昨日も自分で、今日も自分で、明日も自分であり続けます。そんな地続きの自分を客観的に見られるようになるのは未来の話。今は不安で自信がなくても、精一杯に生きていれば、きっと未来の自分が褒めてくれることでしょう。

 

トリビア

些細なことの記憶で、“塩”にまつわる小話があります。世界史で中国を勉強していると、黄巣の乱って出てきます。唐の時代、財政難に陥った国が塩の専売を始めました。簡単に言えば税金を課したってことですね。その流れで塩の密売も厳しく取り締まっています。そのことに反発した塩の密売人、黄巣が起こした反乱を黄巣の乱という。世間知らずだった私は、「なんで塩?」って思いました。例えば、プリンが専売になっても困らないじゃないですか。プリンを食べられないってだけです。その感覚で塩の専売がいまいち理解できなくて。アホですよね。当時、ちゃんと調べたんですよ。調べるまでもないんだけど、塩がないと人間って生きていけないんです。そこで初めて塩を毎日摂取していることに気づきました。トリビアの泉でもへえボタン押されないレベルの些細な話。

私は世界史を勉強していて、こういう引っ掛かりがいっぱいありました。引っ掛かると気持ち悪くて覚えられないんですよね。世界史の教科書を作った人ってすごいです。何千年と続く世界中の歴史をあんなコンパクトにまとめています。無駄のない文章。でも抽象化されているからこそ、たくさんの「なんで?」が湧き上がってくる。きっと「なんで?」を自分の言葉にできた時、記憶が定着します。まあ受験が終わればほとんど忘れちゃうけど。受験生、頑張れ。

 

国語

受験生の頃、国語で記述式の試験を課す大学を志望していたこともあって、それはもういっぱい文章を書きました。慶應の小論文もそう。よく慶應だけに軽量入試とか言って揶揄されますが、私は小論文をたくさん書いたことが人生の糧になっていると思っています。そして国語力を高めるのに受験英語がすごく役に立つ。日本の英語教育は遅れていると正直思います。大学受験では読み書きに重点が置かれ、英語を聴く話すという一番身について欲しい能力の習得は後回しにされます。これはなんでなんだろう。今でもよくわかりません。ただ、英語を読む書くという能力は、実は日本語の読み書きの精度をグンと飛躍させます。

日本語って世界的に見たら結構難しい言語です。大人でも助詞がおかしかったり接続詞を間違えたりして、魔の文を生み出します。あれ、『パプリカ』を見ている時と同じ症状が出ますよね。受験英語では文の構造を嫌というほど勉強させられる。これって日本語の勉強の一環なんじゃないかなと、最近になって気づきました。英語は助詞や接続詞の使い方が解りやすいし、使い方を間違っていると点数をもらえません。なので、英語を勉強していれば自然と日本語が正されていきます。「英語」と「国語」って科目として分けて勉強していたけど、一緒にして勉強していたら何か違ったのかもしれませんね。当時の自分は気づいていなかったけど、間違いなく、両方での学びが作用し合ってそれぞれの力が伸びていたと思う。ガムシャラに勉強していたあの頃の自分を褒めてあげたいですね。

 

小論文といえば、先生が言っていた言葉で今でも覚えているものがあります。「本気で受かる気があるなら絶対に最後のマスまで埋めろ。」当時はわかるような無茶なような、そんな気持ちで聞いていました。だって、実際にマスに落としてみないと残りの文字数なんて正確にわからないから。1マス余ることもよくある。小学生のとき授業中にトイレ行きたいって言ったら、授業が始まる前に行っておきなさいよって言われたみたいな、そんな気持ちだった。でも今ならわかります。日本語って言い換え表現が豊富にある。語彙もそうだし、接続詞や文末もそう。マスが余るなら最後の方の文章を言い換えて調整すればいいんです。何より、採点する側の心証に影響します。マスを全部埋めている方が、切羽詰まっている感じが見て取れますよね。逆にマスを余らせてあるとどこか余裕を感じる。根性論に聞こえるけど、なかなか説得力のある言葉でした。

 

 

最後に

受験生の頃を思い出して、やってみたいことが次々に浮かんできました。慶應の小論文は一つ目の設問で要約を求められます。頭を鍛えなおすのに自分の好きな作品を要約してみたい。そう思いました。やってみたい要約300。でも要約するだけじゃ物足りない。同時にPowerPointの使い方を勉強したい。そう思い至ったので、要約した文章をデザインしてここに貼ることにしました。壁打ちみたいなものです。見て頂ければ光栄です。

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ひとりごとより。/『恋文日和1』ジョージ朝倉

言霊

ごきげんよう、ひとりです。今回は「言葉」をテーマに話していこうと思います。

言葉は取扱注意のいわば劇物です。薬にもなるし毒にもなります。私は言葉を、人間よりも何次元か上の世界にいる生き物だと思っています。自分は薬として渡したつもりでも、相手には毒となってしまうことだってある。忘れたくないのに忘れちゃう言葉、忘れたいのに忘れられない言葉。その不気味な生態にゾッとします。本来であれば、車を運転するのと同じかそれ以上に気をつけないといけないし、責任だって発生します。それなのに免許はないし、赤ちゃんから老人まで誰もが扱う。日本には表現の自由がありますからね、最終的には個人のモラルによるところが大きいです。ただ今一度、言葉の生態について整理しておきたいと思いました。

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ちなみに、私はテスト直前に詰め込んだ単語などを、試験開始と共にまず問題用紙にメモしていました。まあ基本的にテスト直前は何も見ないようにするタイプでしたが。焦っちゃうからね。忘れたくないのに忘れちゃいそうな言葉は、何かに残しておくといいです。安心して忘れることができます。そして、頭の容量に空きが増えます。

 

生産と消費

生産と消費って単語が並ぶと、まず食べ物が思い浮かびますよね。スーパーに行って農家さんの顔写真を目にすると、思わず尊い気持ちが湧き上がります。生産者って偉大だなって。でも一般消費者も実は、生産者そのものとして存在しているんです。じゃあ何を生産しているかって、それが「言葉」です。随分回りくどいですね、すみません。

私たちはみんな毎日毎分毎秒、いつでもどこでも言葉を生産します。それと同時に消費もする。気づけばネット上で、飲んで食べるが如く、他人の言葉を消費していました。どうりで、最近胸焼けがするわけです。善意か悪意かもわからない、顔も名前も知らない。そんな得体の知れない言葉がいっぱい体の中入ってきています。知らず知らずのうちに毒をも摂取しているかもしれません。欲していないのに次々に供給されるものですから、それを消費しようとする自分の無意識にストップをかけないといけませんね。

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ところで、backnumberの『青い春』って曲があるんですけど。「大人になってからまあいいやが増えたけど、それは考えさせないようにと企む誰かが、空気に変なものを混ぜているからじゃないか」って歌っている歌詞があります。SNSって得体の知れない言葉が何故か垂れ流しになっているじゃないですか。もういいやってなって、まあいいやってなる私は、確かに思考停止しています。言葉を“見ない”“受け取らない”という努力も必要になってきますね。

 

ドッジボール

言葉を受け取る上で、ドッジボールが理想的だと思います。パシッと受け取るか、サッと避けるか。特に言葉を避けるのって難しいですよね。下手したら不意にぶつけられて怪我をしてしまいます。でもね、常に穏やかな人に「どうしてそんなに穏やかでいられるの?」って聞くと、「言葉を受け取らないようにしているからだよ」って返ってくるらしい。どうしたら言葉を受け取らないって出来るんでしょうね。私はパシッと受け取るか、ドンッてぶつけられるかしかないです。これはもう人生の課題です。

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こういうのを根に持つって言うんですかね。だけど、嫌な記憶を忘れられないのは、同じ失敗を繰り返さないためとも言いますよね。うーん。言葉って、生きているうちにたくさん吸収します。それはもう、宇宙のチリほど数多です。その中で取るに足らないほど小さな、でもふと思い出すと一日中ハラワタが沸々するような、そんな消化不良の言葉がある。知り合い未満の人間による失礼な言葉。きっと知り合い未満という関係性で言われるから、印象に残るんだと思います。誰かに話すほど大したことでもないから、一人で悶々とする。なんであの時の自分、ヘラヘラと流したんだろうって。逆を言えば大人の対応が出来たってことなのかな。これ、まんまと言葉を受け取っていますよね。

言葉を受け取らないってやっぱり人生の課題だねっていう特にオチもない話ですけど、なんとなく生物濃縮を思い出しました。生物濃縮とは、普通なら消化して体外に排出するところを、濃度が高い故に分解できず体内に残留させてしまうこと。生体内蓄積とも言います。簡単に言えば、悪いものが体に留まり続けるってことです。まさにそれが言葉として起きています。自分が失敗したわけじゃないから反省のしようもない。早く忘れたいですね。

 

承認欲求

昨今SNSでの言葉が矛となって人を突き刺し、ひどく悲しいニュースになって流れてきます。それも一度とならず何度も。まるで『花より男子』の赤札みたい。赤札貼られているのを見つければ、みんなして卵を投げつける。

個人的に、特定出来る誰かに対して、追及するようにネットに書き込むことは絶対にありません。以前も言いましたが、自分の口を制する者がこの世を制すと思っています。ですが、やっぱり思うことはあります。思っているだけ。自分の中で完結していれば、それは自由です。なんでみんな、素人も玄人も、ネットに書いちゃうんだろうって。不特定多数の人に承認してもらえない言葉は価値がないのでしょうか。違うと思う。ノートや日記に書いても、それは自分の言葉に違いない。誰かと共有するにしても、ネットじゃなくても出来ます。百歩譲ったとして、自分と同じ意見の人が先にネットで物申しているはずだから、それで満足すればいい。なんでわざわざリスキーなことをするんだろう。

そうは言っても、誰かを守りたくなる時もあるし、誰かに間違いを認めてもらいたい時もありますよね。私だって書き込まないけど、同じ意見を目にすれば安心を覚えます。でもこれってなんだかいじめみたいだし、私はいじめの傍観者みたい。矛先が変わるだけでやっていることはいつも同じ現代の魔女狩りです。どんなに相手が悪くて、どんなに自分が正しくても、ネットに流れた言葉は矛となってまた誰かを突き刺してしまうかもしれない。そうなれば今度は自分が加害者です。悪者です。第三者が加勢すればそれはもういじめやリンチの類になります。そんなに正義感に溢れてエネルギーが有り余っているなら、全国の学校を回って世のいじめっ子たちに制裁を加えればいい。でもそれをする人はいません。やっぱりネット上だから起こることなんです。

じゃあどこまでが言って良くて、どこからが悪いのか。それは私にもわかりません。わからないから、書き込まないんです。もしわかりやすい基準を設けるなら、「自分や自分の大好きな人がされていたら嫌なことはしない」ですかね。加害者になりそうな時も、被害者になりそうな時も、自分を制することが出来ない時は一旦ネットから離れた方がいいですね。

 

 

最後に。もし私がタイで炎上してタイ語で罵倒されたとしても、きっとそこまでダメージは大きくありません。それは英語でもそうだし、日本の外での出来事なら同じなんだと思います。でも日本にいて日本語でいろんな言葉が飛んできたら怖いです。なんででしょうね。

ひとりごとでした。