Don’t you see!

ごきげんよう。ひとりです。

ZARD坂井泉水さん、ずっと見ていたくなるような美しい人です。美しい顔、美しい声、美しい言葉。美しい人は何から何まで美しい。スラムダンクマイ フレンドとか、ドラゴンボールGTDon’t you see!とか。汗と泥にまみれた青春の物語にも、真水のように綺麗な部分があって、それを掬い上げたような歌。そんな風に感じます。『DAN DAN 心魅かれてく』も、坂井泉水さんが作詞した曲です。彼女の曲を聴きながら街中を歩くと、自分まで清らかな人間になれた気がしてくる。

Don’t you see!』は、「私のことをわかってよ!」という少女の恋心を歌った曲。言葉や態度には出さないけど、心では一喜一憂していて、あなたのことが大好きなの。そんな感じの歌です。何とも可愛らしい乙女心。最近、恋の歌を聴くと「若いなあ」って感想が真っ先に出てくるようになった。まだ20代なんですけどね。今回のひとりごとは、『Don’t you see!』を聴きながら、昔思ったことと今思うことを話していこうかなって思います。

 

青ざめた恋

Don’t you see!』には「無理をして疲れて青ざめた恋は、予期せぬ出来事」って歌詞があります。この一節を聴いただけで、心当たりのある記憶がフワッと蘇ってきます。合わないのに合うと信じ込んだり、いつかは合う時が来ると期待したり。力技で合わせようとすると途中までは合うけど、あとで必ずその皺寄せが来て苦しむ。恋は無理をしてまでするものではないし、疲れを癒すものであって疲れるものでもないんです。ジョージ朝倉先生の『ピースオブケイク』という作品でも、無理をして疲れて青ざめた恋が描かれているんですが、もうそうなってしまうと二人の関係に劇的な回復は見込めなくて、出来るのは延命措置だけなんですよね。私は「無理をして疲れて」の文字を見ているだけで苦しくなってきます。

それでも、この少女は「いろんな人を見るより、ずっと同じあなたを見ていたい」って言っているんです。「あなたを超える人なんて、この世に存在するわけない!」ってやつですかね。これは、ブルゾンちえみの出番ですね。私がこの少女を「若いなあ」と思うのは、間違った一途をしているから。“あなた”の愛を信じているけど、それを止めたら楽になるってわかっている。」「ちょっと醒めたふりをするクセは、傷つくのが怖いから。」「たった5分の沈黙がものすごく長く感じた。これを聴くと、二人は合わないんだろうなって思います。本当は負けず嫌いなのに、“あなた”の前では言葉もスラスラと出てこないんです。だけど、“あなた”のことが大好きで、「私をつかまえていて」って。

 

不安を感じる恋に一生懸命な少女。そのひたむきさが純粋で美しい。たとえ間違った恋でも、誰かをそんなに好きになれるのは素敵なことだと思います。大人になればなるほど、間違いに警戒しやすくなるし間違いに気づきやすくなるから、誰かを思い切り好きになることが出来なくなっていく。『Don’t you see!』は、若い頃にしか経験できない感情、そんなかけがえのないものをギュっと閉じ込めた歌に感じます。私はこの曲を、若い頃の自分に重ねて聴くのが好きです。間違った一途をしていたころの自分。無理をして疲れたし、自分らしさを出せなくて窮屈な思いをしたし、力技で合わせようしてその皺寄せに苦しんだ。もう二度とあんな思いはしたくない。でも、今の私はあの頃の自分が好きです。SUNNY 強い気持ち・強い愛って映画で、広瀬すずちゃんが篠原涼子さんの高校時代を演じているんですけどね。篠原涼子さんが高校時代の失恋を回想する場面があって、泣いているすずちゃんを回想の中でヨシヨシしてあげるんです。そんな感じ。「あれから成長したな」とか「あの時は頑張ったな」とか、昔の自分をヨシヨシしながら『Don’t you see!』を聴いています。どちらかといえば嫌な思い出なのに、この曲を聴くと爽やかな気持ちになるんですよね。坂井泉水さんの歌は本当に素敵です。

 

裏切らないのは家族だけ

恋なんてエゴとエゴのシーソーゲームと言いますが、私はそんな可愛くて健全な乗り物に乗ったことがありません。乗ったことがあるのは、相手のエゴでグルングルン回される回転ジャングルジム。嫌というほど目が回ります。心なしか、「相手を自分の思い通りにしたい」という支配欲とか所有欲とか独占欲とか、そういう欲の強い人間に出会いやすい気がする。もちろん、そういった欲こそがエゴであって、すべての人間に少なからず備わっていると思います。私にもエゴはあります。ピースオブケイクでも、主人公が「“自分の思い通りにしてくれる男”だったら愛せたはず」と本音を見せる場面がある。元カレに“俺の思う通りの女でいること”を強要されて、従いながらもずっと軽蔑していたのに。やっぱり、恋はエゴとエゴのシーソーゲームなんですね。

私はもう回転ジャングルジムに乗りたくなくて、もう恋なんてしないなんて思ってしまいます。回転ジャングルジムとは、どんなことを言うのか。以前話したデブのボストロールで例えるなら、既に何度も見たと話している映画に無理やり誘った挙句寝ブッチをかましてきたり、歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレを名所と言わんばかりに観光させられたり、メンズ伊勢丹で高級革靴を購入するところを見させられたり。全部同じ日の話です。私の気持ちがどこにもない。まあこれは、恋とかそういう綺麗なものじゃ全くもってないから、参考程度なんですけど。もし、私の気持ちがあって恋というものであるなら、相手のエゴに丸め込まれてしまうことなんて容易い。そのエゴが可愛くて健全で、何より、自分が自分らしくいられるならいいんです。でも、私は回転ジャングルジムの中で自分らしくいられたことがないし、そんな相手と一緒にいるときの自分を好きになれませんでした。

自分でも偏った経験だなって思います。だけど、確率的にはそんなに珍しいことでもないのかなって。学生の頃、自分が将来結婚するのは当たり前のことだと思っていました。結婚の目的なんて考えたことがなくて、結婚すれば幸せが確約されると思っていたじゃあ結婚相手になるような人ってどんな人?一度冷静になって考えてみたことがあります。結婚相手になるような人は、“一緒に暮らせる人”一緒にいて楽しい人ってよりも、苦しい時も一緒にいられる人。そんな人なんじゃないかと、答えが出た。それって家族みたいな人ってことじゃん!って。家族って、私からしたらどう考えても特別で、理由もなく愛せて理由もなく許せる人たちです。生まれた時からずっと一緒で、血も繋がっている。最強の絆です。結婚は、そんな家族以上の絆を築いていける人とするもの。そう考えると、自分はもう結婚しないんだろうなって思うようになりました。あくまで、結婚できないとは言いたくないんですよね。結婚するために相手を探すんじゃなくて、結婚したい相手がいるから結婚するわけで、これを履き違えたくないんです。結婚するために血眼になって相手を探して、いざ結婚したら回転ジャングルジムの中で死ぬまで目を回し続けていた、とかなったら怖すぎる。だから今は、「裏切らないのは家族だけ」ってスタンスで生きています。でも『Don’t you see!』を聴いていると、「裏切らないのは家族だけなんて、寂しすぎるよ」って坂井泉水さんに言われます。やっぱり、心に刺さる曲です。

 

 

最後に

酸っぱい葡萄と言われたらそうなのかもしれません。葡萄が高いところに実っていてどうしても取れない。「どうせ酸っぱいんだろう」と思うことで、手に入らなかったことを正当化する。それと同じで、結婚しなくても今が幸せだと信じる。でも、回転ジャングルジムを何度か経験した後だと、手に入らない葡萄は本当に酸っぱいんじゃないのって思ってしまいます。酸っぱい葡萄にはもう懲り懲り。酸っぱくない保証があるなら頑張ってもいいけど、そんなのは食べてみないと誰にもわからない。だから今が幸せならそれでいいんです。兄弟でアニメソングのCD売上ランキングを見ながら、一位を予想して盛り上がっているような生活が私は好きなんです。ちなみに『Don’t you see!』は23位でした。『マイ フレンド』は9位。

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以上、ひとりごとより。/『ピースオブケイク①』ジョージ朝倉