初めてのひとりごと

慶應卒美女ニート

何を書こうか。のちのち恥ずかしくなって消しちゃうようなのは嫌だな。

なんてことを考えながら、初めてのブログ投稿です。

どうも、慶應卒美女ニートひとりです。以後お見知りおきを。ただ、この枕詞を言うのはこれっきりになるかもしれません。恥ずかしいので。

 

さて、私は今ニートをしています。好きでニートになったわけではありません。自分でもびっくりしています。まさかこの私がニートになるなんて。

よくある話です。パワハラにあいながら我慢し続けた結果、うつ病やら適応障害やら自律神経失調症やらを発症しちゃったわけです。さすがに病気には耐えられませんでした。

 

こんな目にあってから何度も悩んで何度も落ち込んで、人生もう終わったも同じだよなと悲観して、そろそろ悲観するにも飽きてきたころ。

学生の頃からずっとやりたかったブログ。もしかしてやるなら今なんじゃない?いや、むしろ、やりたいことをやるための時間的猶予を神様がくれたんじゃないか?!なんてね。

 

神さま

神様といえば、私は受験生のころにもその存在を意識させられたことがある。国立大学を志望していた私は、高3でセンター足切りにあい、浪人でセンター受験の申込みに失敗した。もうこれは、この大学に行かないほうがいいと神様が言っているんだと思った。結果的に慶應楽しかったし。普段は神様なんて信じないけどね。

 

あとこれは豆知識なんだけど、私の経験上、神様を自称する人間が身近にいたらそれは人間の中で最もヤバイ種なので、全力で逃げてください。この世界に実存する超バイヤ人です。ただ、自称神様の肌が緑色をしていたらそれはナメック星人なので信じてOKです。温厚でいいやつです。

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ちいかわ的生き方

最後に、私がニートになって気づいたことを話して終わろうかな。

 

実存主義に倣って言えば、人間は生まれてきた意味を後付けしていく生き物らしいので、悪いことが起きれば「なんのために生まれてきたんだろう」って思うし、良いことが起きれば「このために生まれてきたんだ」って思うわけです。

私は会社を辞めて無職になったとき、何のために生きているのか、生まれてきた意味を何度も何度も考えました。(まあ無職になるというのは私にとって絵にかいたような絶望だったので、毎日何かしら大それたことを考えちゃうんです、自分でも重くて参っています。)

 

これは私の価値観に過ぎないのですが、ドラゴンボールを読んでいてワクワクするとか、美味しい鍋焼きうどんを食べてホカホカしたとか、そういう、言ってしまえば取るに足らないほどの、小さい幸せを享受するために生まれてきたのだと思います。進撃の巨人の最終巻でアルミンが言っていたことと同じです。小さくてもそれらの集合体は、間違いなく私の人生を物語るのに必要不可欠な幸福的要素になります。

 

毎日忙しく生きていると忘れてしまうけど大事なこと。こういうのを意識して一つ一つ拾い集め、幸せをかみしめて生きることが、今の私の目標です。ニートは忙しくないので割と簡単な目標です。最近だと、スピッツを聞きながら近所の紅葉の中を歩いた時、爽やかないい気持ちになったかな。スピッツはスカーレットだったかな。文字にするとクサいけど、でも文字にしないと忘れちゃうかもね。

そういえば、山燃ゆる秋っていうけど、「山が燃えているね」なんて言われたら結構ビックリするよね。「どっち?」って。

 

 

最後の最後に、V6の「ありがとうのうた」という曲があるので、忙しい人は聞いてみてね。一番だけでもいいから。以上、初めてのひとりごとでした。