雷櫻

いろはにほへと

ごきげんよう、ひとりです。令和版アニメ『うる星やつら』。原作へのリスペクトがヒシヒシと伝わってきます。それでいてしっかり令和風のデザイン。めちゃくちゃ可愛い。OPもEDも毎回可愛い。どれも本当にラムちゃんが歌っているみたいなんです。可愛くてなんだか幸せな気持ちになります。ED曲の『雷櫻』。春の情緒が身に染みる曲です。ドンピシャで好き。あとヨルシカの『春泥棒』も。

 

春の桜といえば日本を代表する殿堂入りの風物詩ですが、“いろはにほへと”を思い出しますよね。『雷櫻』の歌詞にも出てきます。私は『にほんごであそぼ』で知ったんですが、子どもの頃はただ50音を羅列しただけのものだと思っていました。これ、ちゃんと漢字に変換して意味を汲み取ると、めちゃくちゃ趣が深いの。びっくりした。思わずキュンとします。

色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日超えて浅き夢見じ酔いもせず色美しく香る花もやがて散ってしまう。私の住む世界では誰も永遠を知らない。留まることなく移り変わるこの世界を今日も生きる。いたずらに夢見心地に浸ることもなく、地に足つけて。不可逆的で限りあるものは美しいです。“いろはにほへと”って日常で使うことほぼないから、十二支よりも覚えられないですよね。私はモーニング娘。の『青春小僧が泣いている』を聴いて覚えました。これを聴くと嫌でも覚えます。古典の勉強って意味ないと思っていたけど、日本の風情を嗜むのに必要になりますね。もっとちゃんと勉強しておけばよかったな。

 

究極の夢

人間の究極の夢は昔から不老不死とされています。これはフリーザ様もベジータも望んだことです。ちなみに私が昔使っていたアイライナーもフローフシというものでした。でもそんなにいいものなんでしょうかね、不老不死。私は老けたくないけど、ちゃんと死にたいです。もし、自分史上最高に美しい姿のままいられるなら、短命でも構いません。不死って何かグロテスクで怖い。成仏することさえできない生きた屍みたいな。だって自分以外のすべての生き物に置き去りにされるんですよ。永遠に。私なら耐えられない。ピーターパンになっちゃいそう。

桜だって散らずに一年中咲き続けていたら気味悪がられていたはず。命に限りあるから美しいのであって、不死なら不老でも醜く見える気がします。さらに言うなら、一番美しく咲き誇る旬の時期は生涯のうちの真っただ中にやってきて、それを過ぎるとあとは枯れていくばかりです。でもだからこそ、美しい姿が際立つ。老いに耐えられない姿すら、生命の限りを想って美しく見える。桜と同じです。桜も満開の時が一番美しいけど、散っている姿も美しい。なので、旬が過ぎた後はいかに美しく散っていくかですね。美しく年を重ねて、美しく枯れていきたいです。

 

正解

私も大学を卒業してすぐ、老いというものに恐怖しました。社会人になって身体を壊して、みるみるうちにビジュアルも崩れていって。目に見えて変わっていくから怖くて仕方なかった。自分という人間が酷く不細工に見えて、これからの人生に絶望していました。まあそんな風に考えるなんて心が病んでいた証拠ですね。それでもやっぱり老いるのは怖いです。でね、どうしようかこれからって考えていた時に、たまたまオードリーヘップバーンの写真を見かけて。若い頃の彼女は、それはもう絶世の美女で、彼女の前では言葉をなくしてしまうくらいに美しいんですよ。実際に会ったわけでもないのに。オードリーが歳を重ねた姿を初めて見た時もまた、言葉にならなかった。確かに歳を取っているのに、とにかく美しいんです。この人は美しく歳を重ねていったんだなって。美しい内面がそのまま顔に映し出されているの。老いてもなお美しい彼女の姿を目の当たりにしてから、私の中で「美しく歳を重ねる」の正解が解った気がしました。

女性アイドルが好きな私は、彼女たちがアイドルを卒業する年齢に自分が近づいていく度、どこかで焦りを感じていました。アイドルでもないのにね。でも考えてみれば、歳を取っても美しい人ってたくさんいます。私の大好きなえびちゃんもそう。流石に芸能人と比べると都合が悪いけど、美しく歳を重ねていく努力はしていきたいなって思います。特に笑い皴を刻んでいきたいですね。ところで、今日は何回「美しい」って言葉を口にしたんだろう。一文に一個入っているかもしれませんね。

 

 

最後に。ニートになる前に経験した嫌な気持ちがしばしば蘇ります。忘れていたところをわざわざ掘り返すかのように、自発的に思い出します。忘れたいのに。ニートは時間が膨大にあるし、上書きするような新しい経験もないので、どうしても反芻してしまうようです。忙しく日々を過ごしていると嫌な気持ちになることってたくさんあるけど、忙しい故に自分で流すまでもなく勝手に流れていくんでしょうね。そしてニートはそれをわざわざ拾いに行く。早く復帰したいです。

この前、面白い文章を目にした。「相手をただの現象だと思い、何が起こっても“雨に降られたようなものだ、仕方がない”と考える」これを書いた人の文意とは違った取り方になるんですけど、忘れたいのに反芻してしまう嫌な記憶ってこうやって対処するといいのかも。

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ひとりごとより。/『恋文日和1』ジョージ朝倉