Oh yeah!

別人格

ごきげんよう、ひとりです。最近、眠れない夜は自分の過去のひとりごとを眺めに行きます。そして拙い文章に驚かされます。「あれ?これ本当に自分が書いたの?」って。改行とか読点とか、気になりだすと気持ち悪くて頭が痛くなる。でも毎回、何度も推敲を繰り返して「よし!これで完璧!」と満足してから投稿するので、当時の自分にとってはそれが限界だったってことですね。だから後になってテコ入れするのもなんか気が引けます。拙い文章から窺える未熟な自分もちゃんと愛してあげて、限界を突破した今の自分を褒めてあげようって思うのです。

 

そういえば、「昨日までの自分はもう自分とは思わない、別人だ」って誰かが言っているのを聞いたことがあります。昨日の自分がどんなヘマをしようが、「だっせーあいつ」って思うだけで気にならないんだとか。無責任だなとも思うけど、このくらい割り切って生きないとこの世界ではやっていけないのかもしれませんね。

過去の自分を別人格と見るかどうかって、結構面白いテーマだと思います。私は過去の自分を別人格とは思わないけど、未来の自分は別人格として見ています。未来の自分が困らないように今を生きる。何でも先回ってお世話をしてあげるような感覚です。過去の自分になめられたものですね。文章は拙いくせに。でもね、これが結構助けられているんですよ。今まで何度、過去の自分に感謝したことか。あと、自分と自分で対話するのもなかなか面白い。自分の主観と、それを客観視する自分。紙とペンがあればできます。自分が今欲しい言葉って結局自分がよく知っているから、人に聞いて回るのもいいけど、自分で言い聞かすのが手っ取り早いです。私は孤独な自宅浪人をそれで乗り切りました。

何にしても、その時の気持ちを何らかの形で残しておくと、あとで財産になります。人間が保持できる記憶の容量は、きっと今使っているスマートフォンよりずっとずっと少ないです。ほとんどのことは忘れて無くなってしまう。そして時間も戻りません。10代のうちの10年間、毎日日記を書き続けた人がいると知って、私はめちゃくちゃ羨ましく思ったし後悔した。だから、フッと気が向いたときに、その時を生きた痕跡を残すようにしています。自分がおばあちゃんになった時、それを眺めて微笑んでいたいですね。

 

あの空

「あの空」といったら、どの空を思い浮かべますか。私は2000年代の晴れた空を想起します。大塚愛ちゃんの『SMILY』とか、オレンジレンジの『ロコローション』とか。あの頃ヒットした音楽のミュージックビデオで見る青空。なぜか「あの空」といったらこれなんですよね。私が小学生だった時代です。さらに言うと、の『Oh yeah!』は特別胸に刺さります。なんでなんだろうって、一度考えてみたことがあって。多分、10代前半を生きる私が初めて想像した“憧れの青春”ってやつなんだと思います。これから自分が経験するであろう爽やかな青春。夢がいっぱい詰まった青春。『Oh yeah!』が流れていたのってC1000のCMなんですけど、そこに映っているのがまさに私の想起する「あの空」だったんですよね。幼いながらに心の琴線に触れたのでしょう。

Oh yeah!』は歌詞が秀逸だと思っています。抽象的でわかりづらい部分もあるんですけど、いろいろ想像できてそれもまた粋です。わかりやすい部分で言えば、「もう一度あの日に戻るとしても、同じ道選ぶだろう」って歌詞が、結果がわかっていてもなお、迷いなく自分の過去を肯定するようで好きです。ここから先は『Oh yeah!』の歌詞を、私なりに解釈して垂れ流すだけになります。ぜひ、歌詞と照らしてみてね。

 

負ける戦はしないよ

『Oh yeah!』はティーンエイジャーカップの話。自分たちは何者にでもなれると信じてやまない、最強無敵の時期ですね。マリオのスーパースターを拾ったみたいな。それでも、心のどこかで敵わないものがあることを知っています。それは永遠です。マリオのスーパースターも永遠ではありません。きっと二人は、真っ暗で先が見えない未来に永遠を探したのでしょう。永遠なんて今はただ信じることしかできなくて、「二人の関係は永遠に続くよね?大丈夫だよね?」と何度も確かめ合ってきたんだと思います。バイト帰りに待ち合わせた夜。自転車に二人乗りしながら駆けた道。朝焼けの校庭に埋めた手紙。遠回りして一緒に超えた歩道橋。こうして、二人だけの世界を築き上げていきます。青春ですね。「負ける戦はしないよ」っていう歌詞は、「別れるとわかっていたら最初から一緒になっていないよ、大丈夫だよ」って意味なんじゃないかな。

 

いつからか少年は涙のわけを知り

時間が過ぎるにつれ、永遠を約束したあの日も遠ざかっていきます。何気ない思い出も、痛みを覚えた思い出も、たくさん積もっていく。涙を流した日もたくさんあった。その中に特別な涙があって、なんで流れてくるのか自分でもわからない。「いつからか少年は涙のわけを知り」って歌詞があるんですが、誰の涙かわからないんですよね。でも涙のわけになんとなく気づいてから、「心で泣いて顔は笑うんだ」って言っているので、どこか吹っ切れたようにも感じます。だから多分、この涙は自分の涙で、“永遠の約束”に窮屈さを感じ始めたから流れたのでは。一緒にいたいけど離れたい、みたいな。窮屈さに涙することって結構あります。この感情に関しては『あのこは貴族』って作品がわかりやすいです。恋人との約束って、お互いの自由を縛るものになりますからね。10代なら尚更耐えられないんじゃないですかね。あんなに二人で切望した永遠に、そろそろ終わりが近づいてきます。(ただ、涙が少女のものだった場合、GReeeeNの『旅立ち』パターンになりますね。)

 

午前九時街が動く

「午前九時、街が動く、二人乗せて」もうこの時点で大人になっていますよね。午前九時の街は学生に関係ない単語です。結局二人は別々の道を選んで、今は同じ空の下にいるだけ。だけど、「もう一度あの日に戻るとしても、同じ道選ぶだろう」です。あの日はいつなのか。これは永遠を約束した日とも取れるし、約束を破棄した日とも取れる。二人が一緒になったことも、離れたことも、どちらも後悔していないよって。ただ、正確な歌詞が「おなじ路(みち)」になっているので、もしかしたら永遠を約束した日のことかもしれませんね。二人で自転車に乗って翔けた路です。二人の関係は永遠じゃなかったけど、あの時のあの世界は二人の中で永遠に残ります。これが青春ってやつですね。『Oh yeah!』は言うなれば、爽やかで前向きな『秒速5センチメートル』だと思います。あくまでも私の解釈に過ぎないので、ご参考までに。

 

 

最後に

中学生の頃、毎日朝シャンをしていました。中3の春。部活の朝練で早いとき、日差しは強いのに風が心地よくて、自分の髪からシャンプーの匂いが香ってくるの。それはもう爽やかで。当時使っていた緑色のジュレーム。私の青春の匂いです。『アオハライド』の双葉ちゃんと髪形をお揃いにしてね、あの頃の私は間違いなく最強無敵でした。iPodで聞く音楽はファンモンかGReeeeN。流行りのアプリはテンプルラン。なんて爽やかだったのでしょう。あの刹那をジオラマにして閉じ込めたい。

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ひとりごとより。/『恋文日和1』ジョージ朝倉