健全なエゴイズム

もうすぐ春ですね。ごきげんよう。ひとりです。最近になって誰かが、空気に花粉と眠り粉を混ぜ込み始めたようです。鼻はくすぐったいし、目と喉はかゆい。そして暁を覚えることなく眠りこける。これはもう春ですね。今年も暖かくなるのが早いのかな。春と言えば、私の大好きな季節ですが、2年前の春はずっと雨が降っていた気がします。新入社員だった私の心を映すかのような雨模様。暗雲が立ち込めるってこういうことか!ってね。スラムダンクの山王戦で後半が始まる前も、暗雲が立ち込めていますよね。結構好きな描写です。

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恋文日和

恋文日和』、ジョージ朝倉先生の作品です。ラブレターを巡った短編集。可愛い話が多いです。素直じゃない人間たちの心の内を、赤裸々に晒してくれる手紙。純愛ってこういうことを言うんじゃないかと思わされます。差出人不明の手紙、FAX、交換日記、そして直球のラブレター。いろんな形のラブレターが出てくるの。誰かの心を動かしたいとか、何かを変えたいとか、みんな多かれ少なかれ期待するものがあって手紙を送ります。受け取った側も、相手の気持ちに応えようと一生懸命になる。まるで魔法のアイテムですね。私もこの作品を初めて読んだ時、触発されて当時好きだった芸能人にファンレターを送りました。まあ返事は当然来ないんですけど、伝わっているといいなって思います。ちなみに時々、「ラブとホラーは紙一重だよね」って感じの話も収録されています。ジョージ朝倉先生のことなので、きっと、江戸川乱歩の『人間椅子』を意識しているんだと思う。極端なことを言えば、ストーカーの心理も初めは純愛ですもんね。愛って超難関。

 

それにしても、人って、手紙になると思いの丈を直球でぶつけられるものです。オンラインが当然となった現代で、すごく趣のあるものだと思います。死に向かっている文化かもしれませんが、そんな時だからこそ、特別感がある。手紙って、頭を相手のことでいっぱいにして書きますよね。その瞬間は世界に自分と相手しかいないんです。なんて特別な時間。自分のために時間を割いてくれる人がいるって、その事実だけでも嬉しいです。やっぱりSNSじゃ得られない満足感があります。ぶっちゃけ、LINEや電話はいいから、交換日記や手紙でコミュニケートしたいものです。毎日のデジタルより、時々のアナログ。それくらいの距離感が理想的。

 

損得の感情

以前、FF9のジタンの話をした際、行動するかしないかの基準を決めたいと言いました。決めたいも何も、知らずのうちに決まっていました。自分ルールってやつです。天秤で量った時、デメリットがメリットを上回ったら離れる。これが私の基準。私はこの基準を特に人間関係に用います。人間って、良いところも悪いところも、両方持ち合わせているものですよね。誰かの悪いところが見えても、それは当然のことだし、良いところもたくさんある。どうせなら悪いところより良いところを見た方がいいじゃんって、中高生の頃は思っていました。性善説ですね。そう思っていても困らない環境にいました。でも大学に進むと、そうは言っていられなくなった。自分にとって居心地のいい場所を探すのはなかなか大変で。コミュニティの数だけ特性があるんです。当然のことなのに、初めて“合わない”って感覚を知りました。

やっとのことで合う場所を見つけたんですけどね、自分に合うコミュニティってだけで、その中には当然合わない人もいるわけです。まあでも、大学の友達なんてそんなにウェットな付き合いにはならないので、そこまで困っていなかったんですけどね。ただ、仲良くなるにつれて、自他の境界線って薄くなっていくじゃないですか。それで嫌な思いをすることがありました。親しき仲にも礼儀ありって言いますよね。仲良くなったからって何を言ってもいいわけではありません。たまにいるんですよ、仲良いことを免罪符に不愉快な言葉をかけてくる人。誰が聞いても明らかに不愉快な言葉なの。そんな人でも良いところはあるし、波風立てたくないので我慢していました。

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でもね、大学を卒業してある時、その人と付き合うメリットよりデメリットの方が大きいことに気づいたんです。だって、お金や時間や労力、あらゆるコストを払って会いに行っても、不快な思いをするんですよ。絶対におかしい。慈善事業じゃあるまい。人間関係を損得勘定で考えるなんて寂しい人間だなって、自分でも思ったことがあります。なんとなくいけないことをしている気分になる。だけどちょうどその時、『氷の城壁』って漫画を読んでタイムリーな場面に出会いました。「一緒にいて苦しいのに、でも良いところもあるしって、その人の一部や一瞬にしがみついていたら自分を消費していくだけだよ」って。解像度が高すぎて、私の話をしているのかと思いましたね。「あの時力になってくれたから」とか「優しくしてもらったことがあるから」とか、それだけの理由で我慢してまで付き合う必要はないんですよ。良いところがあるのは当然なんだから。それに一歩間違えれば犯罪に巻き込まれます。自分を大切にするのって、自分を大切にしてくれる人を大切にするってことです。私を大切にしてくれる人は、間違っても不愉快な言葉をかけるなんてことしません。不愉快な言葉をかけてもいいって思われているなら、こちらも、会って損する人って思っていいんです。

 

 

最後に。『チーズインザトラップ』っていう漫画が好きなんですけど、『氷の城壁』に何となく雰囲気が似ています。物語は全く違うんですけどね。リアリズム的な恋愛漫画ってところは共通するかな。どちらも面白いです。ひとりごとより。

イマジネーション3。

ごきげんよう、ひとりです。今回もこのタイトル。ですが、今回でこのタイトルも最後になります。まず前提として、想像力の差が理解力の差に繋がるよって話をしました。そしてその想像力を育むには、漫画をはじめとする娯楽から実学以外の学問まで、一見無駄に思える知識や経験が役に立つんだって。そう伝えたかったんです。

 

なんでこんな話を始めたかと言えば、私のトラウマが関係するんですけど。大学生の頃、「無駄」と「しょうもない」が口癖の、とある人間が近くにいました。言うまでもなく超バイヤ人ですね。私の好きなものをね、その口癖で端から否定してくるんですよ。もう洗脳のように言ってくるの。まあ気分は悪くなりますよね。でも、そのおかげで、無駄なことや遠回りが人生を豊かにするんだって気づいたんです。

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私の好きなものは、無くても生きていけます。例えば、ドラゴンボールとか、星の王子さまとか、クドカンのドラマとか。想像力が大事って話しましたが、想像力が乏しくても直感的に理解できる人間っているんですよね。だから、そういう人間からすれば、私の好きなものは無駄ってことになります。だけど、想像力が乏しいゆえに相手がどう思うかを察することが出来ず、他人の好きなものを無駄とか言えちゃうわけです。やっぱり想像力って大事だし、無駄に思えるものが心を豊かにするんだって、私の中で証明されたエピソードですね。例の超バイヤ人は私とは相容れないってだけで、言っていることは一理あるんだと思います。でも私は超バイヤ人とは違うし、そうはなりたくないってことで、自分に言い聞かせるように今回三本立てで投稿しました。ちなみに、今でも「無駄」と「しょうもない」って言葉が嫌い。

 

拒食症

拒食症って聞いたらどんな病気を思い浮かべますか。昔、近所の女子高生が拒食症になっちゃって、原因もわからないから困っているとご家族から聞きました。それを聞いた時、きっと見た目を気にする年頃だからかなって思ったんです。私も見た目が気になって仕方なかった時期、食べたものを吐いちゃうことがありました。拒食症って聞いたら多くの人が、“ビジュアルへの執着からくる過度なダイエット”を思い浮かべるんじゃないかな。でもつい最近、拒食症を患う心理がそんなに単純じゃないことを知りました。

以前、「心が風邪を引いていた時にハマった漫画」って話をしました。『少年のアビス』と『Papa told me』ですね。その時改めてどちらも読み返したんですけど、意外な共通点を見つけて。どちらの作品にも、拒食症を描写したページがあるんです。

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Papa told me』の場合

まずね、『Papa told me』なんですけど、それだけ読んでいても全然理解できなくて。たまたま同じタイミングに『少年のアビス』を読んだことで、やっと意味がわかりました。ある女の子が死にたいって考えている話です。その気持ちを「何者かが私を明日に連れていく、明日が来てほしくない」と表現しています。最初に読んだとき解像度が高くて感心したんですけど、改めて読むとよくわからなくて。この死にたがりの女の子、拒食症なんです。親やカウンセラーは、年頃の女の子だしダイエットのせいじゃないかって推測するんだけど、どうやら本人の心理は全く違うものらしい。何気ない日常で、よくいる嫌な大人と接触したことをきっかけに、ご飯が喉を通らなくなったんだって。

 

『少年のアビス』の場合

一方で『少年のアビス』では、ぽっちゃりの「ちゃこ」って呼ばれている女の子が拒食症になってしまいます。ただ、ちゃこは昔からぽっちゃりしていて、特にダイエットをしていたわけじゃないんです。物語の舞台は閉鎖的な田舎。ほとんどの若者は閉塞感に苦しみながらも、いつの間にか大人になって土地ごと自分の生を受け入れていく。でもちゃこは違います。「上京して早稲田大学に通い、将来は出版社の編集に携わるんだ!」って、外に希望を抱く明るい女の子。そんな彼女ですが、家族の反対で強制的に夢をあきらめることになります。「一生この土地で家族と生きていくんだ」そう覚悟した日の夕飯。母親の料理が喉を通らず吐いてしまうんです。「いつも通りの味だった。これから先いつまでも同じ味を食べ続けるんだ。」って。それ以降、母親のご飯が全く食べられなくなり、拒食症を患います。

 

観念的な何か

Papa told me』も『少年のアビス』も、拒食症の原因はダイエットじゃないんですよね。前者は、「大人は不潔で悪い存在だ」って思ったら、大人へと成長していく自分を受け入れられなくなったってところでしょうか。後者は、終身刑に処されたみたいな心持でしょう。子どもから大人への過渡期。10代のこの時期は、何がナイフと化して心を傷つけるのか、自分でもわかっていない繊細な時期です。大人になるとみんな忘れちゃうんだけどね。本人にとっては、明日の生存を懸けた死活問題なんです。一種のイニシエーションみたいなものなのかな。どっちの女の子も、食べ物を概念で捉えていますよね。どうしても受け入れられない観念的な何かを、食べ物に重ねて拒絶する。そんな風に感じます。

この二つの作品に出会っていなかったら、きっと今も、拒食症に至る心理を表面的にしか理解できていなかった。そして、自分の粗雑な物差しで他人をはかり続けるところでした。やっぱり勉強だけじゃ身につかないものってあります。無駄と思える知識や経験、どんどん集めていきたいですね。

 

 

最後に。突然ですが、キリスト教ってすごいんです。先日、自分の拳の上で「1月は31日ある」って確認をしていました。それでふと、「365日を12ヶ月で分けて、30日の月と31日の月に振り当てているけど、これって世界共通なんだよね」って思って。キリスト教が世界の暦を統一したってことですよね。言語すら統一できていないのに、暦を統一する影響力。すごい!

以上、ひとりごとでした。

イマジネーション2。

実学

ごきげんよう!ひとりです。前回、想像力を育むのに、漫画は重要な役割を担うって話しました。今回はその続きです。私が特に言いたいのは、実学じゃなくても人生の糧になるってこと。

 

大学に行っても実学を学ぶ学部以外はお遊びだって、よく言われますよね。私も思い当たるところがあって、悔しいような納得するような、複雑な気持ちで大学に通っていました。でも、実学とそれ以外の学問をどう捉えるかなんて、結局のところ個人の価値観に過ぎません。これはどんなことにも言えるんですが、正解が一つじゃない問題を、あたかも答えが一つしかないように話す論法があります。これめっちゃ危ない。他の選択肢が間違っているか、あるいは、存在しないと思い込まされてしまいます。断定表現には注意が必要です。ちなみに、論拠として「事実だから」と言う人にも要注意。その人の感想である可能性が高いです。

確かに、実学以外の学問はあまり社会の役には立たないかもしれません。だけど、全くの無意味なわけじゃない。社会というのは、心を持った人間たちで構成されています。なので、社会を動かすにはまず、人間の心に働きかける必要が出てくるわけです。そして、人間の心に働きかける方法は、実学を学ぶだけではなかなか身に付きません。やっぱり、どっかの場面で実学以外の学問も役に立つということです。まあそれっぽいことを言ってみましたが、個人的には、無駄と思えることだったり回り道だったりが人生を豊かにするんだと思っています。私が面白いと思うことの大半は、社会の役に立たないみたい。それでも人生は一度しかないから、自分の好きなように考えて、好きなように勉強して、好きなように生きればいいって思う。

 

そもそもね、学はある方がいいっていうのが一般論だけど、なんで?って聞かれたら答えられないことに最近気づきました。学を必要だって思うなら勉強すればいいし、必要ないって思うなら勉強しなくてもいいんじゃないかって。頭空っぽの方が夢詰め込めるって言いますよね。それに、頑張って良い大学に入って良い企業に就職しても、思いがけずニートになっちゃうことだってあるんです。だからやっぱり、他人の人生に口出しなんて出来ない。一般的に良いとされることでも、それが絶対的な正解とはならないからね。本当に危ない。断定表現には気を付けないと。逆に、ニートになってよかったと思う点は、一般的に良いとされるからって理由で選んできた人生に区切りをつけて、自分の人生を自分の好きなように生きるチャンスが巡ってきたこと。あのままだったら残りの人生、危うく死ぬまでの暇つぶしになっちゃうところでした。

 

 

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最後に。ダックスフントがいっぱいと時々フレンチブルドッグが出てくるYouTubeチャンネルを見つけました。ずっと見てられる。一生分のダックスを見たかもしれません。いっぱい見過ぎて夢にも出てきた。以上、ひとりごとより。

イマジネーション1。

美しい日本語練習帳

ごきげんよう。ひとりです。出口先生の『美しい日本語練習帳』。思わず書き写したくなるような、美しい日本文学を紹介する本です。大学生の頃に買って一通り楽しんだのち、最近まで部屋の隅で眠っていました。久しぶりに開いたら、一つ目に紹介されている川端康成の『雪国』に魅了されてしまって、なかなか先に進まない。どうやら実際に雪国を手に取ってもらいたいらしく、出口先生の紹介文もあえて違和感が残るように謎めかしてあるんです。まんまと罠にはまりました。

「トンネルを抜けると雪国であった」で有名な雪国。美しいと思う以前に結構難しくてびっくり。多分一回目に読んだとき理解していなかったんじゃないかな。文体や単語は特に難しくないんです。むしろ余計な修飾がなくて、綺麗に引き算された文章。ただ、そのシンプルな情景描写ゆえに、場面を絵として想像するのに時間がかかる。紹介されている場面はほんの一節しかないのに、なかなか理解できなくて何度も読み返しました。でもやっと想像できた世界は本当に美しくて、改めて川端康成ってすごいなと思いましたね。

美しい日本語練習帳、出口先生が前書きで面白いことをおっしゃっていました。本書は“書き写し”に重点を置いていて、視覚で文学を堪能して欲しいらしい。「文明が発達するにつれて、言葉というものは“聴覚で捉えるもの”から“視覚で捉えるもの”へと変遷していった」と。確かに、これは日本だけに限らず、古くはヨーロッパで吟遊詩人が活躍していた時代もありますよね。今でも言葉を理解するのに、視覚が頼りになることがよくある。歌を聴いていて何て言っているかわからないと、すぐ歌詞を調べます。会話の中でも、漢字が解らないと意味が伝わらないってことが多々ある。普段は意識しないけど、目の力ってめちゃくちゃすごいです。思わずブルーベリーを食べたくなりますね。

 

娯楽も参考書のうち

でも、文字を読むことなんてほとんどの人が出来るのに、文字を理解することには個人差が大きく出ます。何が違うんだろうって考えてみたんですけど、“想像力”が要なんじゃないかと思い至りました。以前、情報量過多って話をした時、情報を理解するのに処理落ちのラグがあると言いましたね。これと同じです。

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じゃあ想像力ってどうやって育むのか。これも考えてみました。まず、想像力って理解力に直結すると思うんです。偉い学者さんたちが考える思考実験って、みんなが簡単に想像できるものを例に使っています。「アキレスと亀」とか、「テセウスの船」とか、「トロッコ問題」とか。取っつきにくい量子力学の「シュレーディンガーの猫」でさえ、猫と毒ガスといった、小学生でも想像できるものを用いています。想像が出来て初めて、理解につながるわけです。

話を戻します。想像力を育むには、まさに今、AIがやっていることと同じことをすればいいのではないでしょうか。世界を“見る”んです。いっぱいいっぱい見て、自分のものにするんです。今思えば、世界史の図録って結構大事だったんだなと気づきました。想像力は、“絵”として情報をインプットすることで育っていくんじゃないかって。まあ英語で言うとイマジネーションだし、イメージは画像って意味なので、言うまでもないんですけどね。だからね、漫画って「読書じゃなくて娯楽でしょ」って思われがちだけど、想像力を育むためにめちゃくちゃ重要なアイテムになるんです。アニメもゲームも然り。読書が苦手な子どもにはまず、娯楽から触れさせてみるのもいいかもしれませんね。

 

 

最後に。今回は中途半端に終わるひとりごとです。なんせ書きたいことがたくさんあるもんで、分割しようかなと。取り急ぎひとりごとまで。

アバンギャルド

ごきげんよう!ひとりです。

アバンギャルド、フランス語で「前衛」って意味です。前衛的な、先駆的な、革新的な。もともとは軍隊用語だったけど、今では政治や芸術など様々な分野で使われる言葉なんだって。口語的には、「なかなか攻めているね」とか「尖っているね」ってニュアンスになるのかな。経験上、心と体が危険な状態にあるとき、思考がアバンギャルドになる気がします。人間も動物なので、いざとなったら防衛本能が働くってことですね。誰しも、アバンギャルドでいないとやっていられない時があるんだと思います。周りでトゲトゲしている人間がいたら、「この人はそういう時期なんだ」って優しく受け入れてあげられるといいですよね。

 

眠れない夜

「誰かの不機嫌も、寝静まる夜さ。バイパスの澄んだ空気と、僕の町。」

キリンジの『エイリアンズ』です。ナイトドライブで流したい一曲ですね。私はこの歌を聴くといつも、夜の高速道路とサービスエリアを思い浮かべます。深夜の刹那みたいな。実にエモーショナルです。きのこ帝国の『クロノスタシス』なんかも雰囲気が似ていますね。映画だと『ちょっと思い出しただけ』が同じような感じで、胸がギュッてなります。主題歌はクリープハイプの『ナイトオンザプラネット』。これもまたノスタルジックで、雰囲気に酔える曲。『花束みたいな恋をした』のキラキラフィルターを外したような映画です。めちゃくちゃリアルなの。しばらく余韻に浸れるエモい作品なので、是非見てみてください。

 

夜といえば、会社を辞めてすぐの頃、全然眠れなくて。神経が興奮していたんですかね。気分はダンボの悪夢のようで、気味の悪い夜が続きました。全ての生命体が眠りについている中、自分だけが起きているんです。なんだか世界に自分だけが取り残されたみたいで、怖かったな。きっと当時の心境も相まっていたんでしょう。今では夜が心細いなんて全く思わなくなりました。だから、あの時に感じた気持ちは貴重な経験です。辛い時って神経が研ぎ澄まされて、鋭くなっているんだと思う。その時限りの感性ってやつ。どうせ辛い思いするなら、その時しか見えない世界を心に焼き付けるのもいいかもしれませんね。ほとんどのことはあとで笑い話になります。まあ今でも自律神経が悪戯して眠れない夜ってありますが、そんな時は私の不機嫌が目を覚ますだけで、今はもう特に変わりない平凡な日常。脱アバンギャルドってことです。

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美を崇拝する

私がパワハラにあっていた時、見える世界は美醜のコントラストが強いものでした。私の元職場は典型的な女性社会で、新人だった私の教育指導員も女性でした。まあ意地悪でしたね。業界自体に法律で定められた細かいルールがたくさんあって、その上に会社が用意した独自のプラットフォームと更に細かいルールが、宇宙のチリのように散らばっていました。もう本当に気が狂いそうになるほど細かいの。中でも、会社のルールなんて、教えてもらわないとわかるわけがない。郷に入れば郷に従えっていうけど、郷を知らなければ郷に従えないわけですよ。そこを突いて、“仕事を教えてもらえないいじめ”にあいました。私は自分のミスが一番許せない性格なんですけど、そこで一生分のミスを経験しましたね。

おそらく、私に勝っているところがそこでの経験と知識しかなかったんでしょう。妬み嫉みってやつです。そんな醜悪な世界を生き抜くためのアバンギャルドな思考が、“ルサンチマン”でした。ルサンチマンっていうのは、ニーチェが提唱した奴隷道徳のことです。簡単に言うと、強者を悪、弱者を善とみなす価値観のこと。主語がでかいですね。ユダヤ人の選民思想をイメージしてもらうとわかりやすいかな。要は、自分に降りかかる理不尽な不幸を正当化するための考えです。ニーチェはこれを「嫉妬心からくるただの負け惜しみだ」って言って批判しています。ニーチェの言う通り、自分に降りかかる不幸がいくら理不尽でも、他人の幸せを叩き落していい理由にはなりません。

私はこのルサンチマンを胸に、日々奮闘していました。「あいつのやっていること、ルサンチマンじゃん!」って。例のパワハラ指導員を「なんて醜悪な人間なんだろう」と思う反面、そんなに嫉妬される私は「なんて美しい人間なんだ」って思うようになりました。言葉にすると可笑しいですね。でも当時は、自分が価値のない人間に思えちゃって、一生懸命自分の価値を探していたんです。それからは心身が弱っていくのに比例して、「美」への執着心が強くなっていきました。美を崇拝すらしていましたね。美しいものこそ正義って。この時期はジョージ朝倉先生の作品にブクブク溺れて、谷崎潤一郎の『刺青』に共感しました。悲しいことに、今はあの頃の自分の気持ちに共鳴できなくなってしまった。谷崎潤一郎も、今はもうよくわからない。魔法が解けてしまったみたいです。これが私の“その時限りの感性”でした。

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最後に。一生分のミスを経験したってことは、これから先の人生、そんなにミスすることがないのかもしれませんね。ちなみにパワハラ指導員の女性は接客部門にいたんですが、勤務先をGoogleマップで調べると、口コミにその人を名指ししたクレームが数件残っているんです。配属が言い渡されてすぐにその事実を知り、きな臭いと思ったら案の定でした。ね、グロテスクでしょ。掘れば掘るほどグロテスク。

以上、ひとりごとでした。

知恵熱

人間機械

ごきげんよう。ひとりです。前回、情報量過多って話をしたんですけど、それで一つ思い出したことがあります。

私が高校生の頃の話なんですけどね、大学受験の勉強をしていて気づいたことがあって。脳にすでにインプットしたはずの情報が、しばらく経ってから処理されるんです。処理落ちのラグがあるの。文字や文章は何度も見ていて頭に焼き付いているのに、絵として想像ができていないんですよ。例えば、世界史の割と最初の方にノルマン人って出てくるんだけど、彼らはヴァイキングと呼ばれて海賊行為を働いていました。ここはそんなに難しいところでもないから、何周も復習していると当然のように覚えたつもりになっているの。でもある日突然、「あ、海賊ってあの海賊か」って絵を思い浮かべた時があって。絵はなんでもいいです。ワンピースとか、ひょっこりひょうたん島とか。絵を想像した時に初めて、ストンって理解出来たんです。

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そういうことが何回かあって、自分は頭が悪いんだって落ち込んだこともあります。だけど、このことを当時慕っていた先生に相談したら、意外な返事が来ました。どうやら同じような実態が他の生徒にもちらほら見られるんだとか。「最近の若い子はインターネットで、以前だったらあり得ない量の情報を拾うから、理解が追い付かないんじゃないか」って。なんだか人間ってコンピューターみたいですよね。実際、処理落ちしているときに頭を使おうとすると、体が熱くなります。サマーウォーズを思い出しますね。氷をいっぱい置いてね。

逆を言えば、機械を扱うみたいに頭の中を整理するといいかもしれません。上書き保存、フォルダー保存、ごみ箱。必要なときに必要なものだけ開いて。まあ、もともとそういう風に人間の脳は作られているんだろうけど、意識するだけでも今より生きやすくなる気がします。ちなみに、人間機械論というものがあるらしい。人間を機械に見立てる思想。でも機械は人間が創ったものだから、機械が人間に似ているんじゃないかな。

 

儀式

私には昔からお気に入りの儀式があります。まずペンを用意してね、自分の考えていることをバーッて書いていくんです。一通り書き終えたら今度は違う色のペンを用意して、自分の書き出した言葉一つ一つに返事を添えていきます。たったこれだけです。これが私の儀式。私がこれをやるのは、同時にたくさんの悩みを抱えている時や、なんとなく気持ちがモヤモヤして晴れない時。最初に書き出すのは自分の主観です。そして、その主観に対して、今度は客観的になってアンサーを書き出す。まるで友達の相談に乗るみたいにね。

この儀式、結構効果大きいんですよ。めちゃくちゃ頭がスッキリするの。それまでの悩みが全部解決しちゃう勢いで。サウナで整った時みたいなデトックス効果すら感じる。必要なものはペンと紙だけですからね、コスパもいい。よく心配事の9割は起こらないっていうけど、本当にその通りです。私の場合は自分のキャパを超えて考え過ぎちゃうらしくて、納得いくまで吟味出来ていない気持ちが心のどこかにあると、ずっと得体の知れない不安に駆られてしまいます。でも、そんなときにこの儀式!不安の正体も突き止められるし、心の隅々まで吟味できる。もちろん、誰かに思いの丈をぶつけるでもいいんですけど、考え方を変えるのって結局自分だから、一皮むけたいって強く思うときはこの儀式がオススメです。特に、私みたいに小さなことを勝手に大きな不幸にしちゃうような人には、ぜひやってもらいたい。

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この儀式を開発したのは、高校生の頃。もともと部活で反省会ってあって、ノートに自分の反省点を書き出す習慣がついていました。その上である時、世界史の勉強をしていてわからないところを一気に書き出してみたんです。一つ一つ自分で調べて解決していったら、前よりも覚えがいいことに気づいて。ノート術っていうんですかね。これはスゴいぞ!って思いました。そしてちょうどそのくらいの頃、『ホタルノヒカリ』で綾瀬はるかが自分の思考回路を紙に書き出すのを見て、「これめっちゃわかりやすいじゃん」って真似してみたところ、今の儀式が完成しました。ちなみに、就活の自己分析も同じやり方でノート5冊くらい使いましたね。本当に、思っていること全部殴り書きでいいんです。ノートを綺麗に使おうとしちゃダメ。とにかく書く!です。

 

 

最後に。儀式といえば、『イニシエーションラブ』って映画があります。前田のあっちゃんと松田翔太が出ているやつ。めっちゃ面白い。オススメです。

以上、ひとりごとでした。

ベホマを求む

情報ジャンキー

ごきげんよう!ひとりです。久しぶりにオザケンの『今夜はブギー・バック』を聴きました。思っていた以上のスローテンポにびっくり。私でもラップを歌えそうな気がしてきます。本当にゆっくりなんです。良い意味で気怠い感じがウケたんでしょうね。でも、どの時代もスローテンポな曲ってあまり流行っていないような。オザケンが流行った当時はバブル崩壊後で、みんな疲れていたのかな。確かに、疲れている時にYOASOBIの『アイドル』を聴いたら神経が休まらなそう。

最近の人は、音楽すら倍速で再生することがあるらしい。生き急いでいますね。まあかくいう私も、ドラマはたまに倍速再生します。作品にリスペクトがないだとか失礼だとか、そういう声もあるそうですが。堺雅人さんなんて、倍速再生させてたまるか!とあえて早口でセリフを喋っているんだって。でもリーガルハイはめちゃくちゃ面白いから、もし古美門研介がゆっくり喋っていても、別に倍速再生しませんけどね。サブスクで配信されないかな、リーガルハイ。入口出口田口のせいでお蔵入りって聞きますが、どうなんでしょう。

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ところで、倍速文化ってやっぱり濃度の問題なんですかね。「より短い時間で、より多くの情報を!」って。広瀬香美の『Promise』、通称ゲッダンなんて、倍速じゃないのにあの映像を見ただけで倍速再生した気分になります。(見たことない人は一度見てみてください、「ゲッダン」で出てきます。)バカリズム脚本のドラマも情報量がちゃんと多いから、通常再生で爆笑しているうちに、気づくと時間が過ぎているんですよね。だから、倍速にするからといって、生き急いでいるわけではなさそうです。みんな情報を求めているんですね、これぞまさに情報社会

 

おかゆ

お腹を休めるために、たまにお粥を食べると良いって聞いたことがあります。さっき、「オザケンのスローテンポが流行った時代は、みんな疲れていたんだよ」って言いましたが、現代人も十分疲れている気がします。きっと情報量が多すぎるんですね。オザケンみたいなスローテンポを取り入れるべきなのに、次々にハイテンポな曲が流行るから、休む間がないんですよ。これはもう中毒です。脳が起きっぱなしになっています。そりゃ疲れちゃいますよ。

自分のプレイリストを見ても、好きでいっぱい聴いた曲だけど、ほとんどがハイテンポなんです。疲れている時に聴きたいって曲を探しても見当たらないの。だからもういっそのこと、音楽聴かなくてもいいやってなる時があります。ジェットコースターは大好きだけど、なんかね、やっぱりずっと乗り続けるのはしんどいです。10代の頃なら行けたかもしれないけど。時には観覧車にも乗りたいし、なんならベンチで休憩したい。そろそろ、オザケンみたいで観覧車のようなお粥らしい音楽が流行らないかな

 

全然関係ないけど、恋愛ってよくジェットコースターみたいだって表現されるじゃないですか。それでね、「それって、カンカンカンってゆっくり上がって、ゴーッてすごいスピードで落ちて、最後はシューって止まるってこと?」っていうのを最近耳にして。なるほど。確かに、ジェットコースターが終わる瞬間って名残惜しい。だからまた乗っちゃうんですよね。最初に恋愛をジェットコースターに喩えた人、センスありますね。

 

 

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最後に。倍速文化の話でなんとなく、backnumberの『スーパースターになったら』を思い出しました。2番の歌詞に、「世界の流れは速いから、たとえ僕の足が折れるまで思い切り走ったとしても、置いていかれて恥をかくだけだ」ってあるんですけど、ここがめっちゃ好きなんですよ。言い得て妙じゃないですか。なんか自分以外の全員が生き急いで見える時ってありますよね。自分だけ取り残されているような気がして焦るの。それなのに、ふと時計を見たら針が止まって見える。時間ってなんだか怖いですね。ハリーポッターに出てくるケルベロスみたい。

以上。ひとりごとより。